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2004年09月29日

携帯コンテンツをつくる 1

『巌流島』という作品を携帯コンテンツ用に再編集しました。着ムービーというものに使用するらしいです。僕はPHSなんで着ムービーというのがどういうものなのかよくわかっていませんが、とりあえず20秒×3話という形にしてみました。

そんなわけで、20秒程度の短い曲を自作。sound_02.mp3

久々に ModPlugTracker を使ってみて、自分のサイト名が「Be MOD」であることを思い出した次第です。曲というにはおこがましい簡単なヤツですが、やっぱりMPTは楽しいなぁ。才能はまったく無いけど。

Posted by Syun Osawa at 23:07

偶然といえば偶然

任天堂がアニメ制作進出へ

artistgoods.com 情報によると、題材は「小倉百人一首」らしいです。ビックリですね。なぜって今日、会社の帰りに本屋で『原色 小倉百人一首』(文英堂)を買ったからなんですね。昔NHKで放送された百人一首大会に青春をかけた女性たちのドキュメントを思い出しました。あまりの本気さにビビッたドキュメントでしたが、まさかそっちのアニメ化じゃないでしょうね…『ヒカルの碁』みたいに。

Posted by Syun Osawa at 22:48

2004年09月26日

Scripter3 が動かない?

燃えて京都 第一章今から5、6年前に「Scripter3」というフリーソフトを使ってヴィジュアルノベルゲームを作ったことがあった。『燃えて京都』というまったくもって意味不明な作品であった。ちなみにScripter3は、伝説の同人ゲーム『月姫』でも使用されたヴィジュアルノベル作成ツール「Nscripter」の前身となったツールである。当時は誰もがエロゲー『雫』や『痕』に感銘を受け、ヴィジュアルノベルを作っていた。

それを公開しようかなと思い昔のCD-Rから引っ張り出して起動させたところ、XPでは正常に画像が表示されないことがわかった。ネットで調べてもScripter3に関するものはほとんど見つからない。たった数年前の話なのに、ネット時代のスピードというのはどこまで早いんだろう。うーむ、困った。Nscripterに移植しようかな? …メンドクサイなぁ。当時は吉里吉里よりも人気あったのに…。「継続は力なり」ってヤツですか。

Posted by Syun Osawa at 00:23

2004年09月25日

GOTH −リストカット事件

GOTH乙一が気になって仕方がなくて、ようやく最初に読もうと思っていた本を読了することができた。『GOTH −リストカット事件』。長編なのかと思ったら、二人のキャラクターを主軸に据えた短編集だった。どの話が一番というのは言えないけれど、しいていうならば「土」が好き。ただし「土」はキャラ立ちが弱いので、そういう意味では最初の二作から順を追いながら二人の物語を楽しむのが一番最適な方法なのだと思う。

どアタマの話は高橋ツトムの絵が浮かんだまま消えなかった。あいかわらず徹底的に冷めている。そして冷めている自分たちの回復に本質があり、そこがせつなさとなって表出する。それが僕の中の乙一像だった。しかし乙一はあとがきでこう書いている。

 二話目の『リストカット事件』を書いたとき、知り合いのホームページの掲示板に、「せつなくない」「乙一のウリであるせつなさが感じられない」という感想があって憂鬱になりました。…(中略)…ところで、僕本人は、「せつない」というのをウリにしたいと思ったことはあまりありません。もちろん、本の中身が「せつない」のであれば、そういう売り方をしないと本が売れないわけですけど……。でもそういう売り方は、人の尊い部分を資本主義の汚い手で触れているような気がします。

読了後、僕と森野の物語の余韻に浸りながら本を閉じた。そのとき本の背に「角川書店」の文字を見つけ、あわてて目をそらした。「資本主義の汚い手」はこの作品をメディアミックスの毒牙にかけるだろうか。『ZOO』も機会があれば読んでみたい。

Posted by Syun Osawa at 14:40

2004年09月23日

クリスマス・テロル

クリスマス・テロル『クリスマス・テロル』というタイトルの意味するものを考えながら読んだ。考えれば考えるほど腹が立った。佐藤友哉は『フリッカー式』から順を追って読むべきだったかもね。

「密室」というテーマが前提としてあって、しかしストレートなトリックや物語で勝負したら負けは見えていて、だからこそのズラしなのかなとも思う。平均点しか取らない僕の認識は少なくともそうだ。僕もたまに「僕はどうしようもないヤツだから」とか「平均点しか取らない僕」と自分を貶めることで、自己防衛するギャグを言うときがある。もちろんそれは自分の予想する範囲を超えて他人に自分を貶めさせないためだ。それを隣の席のヤツが屈託なくやってるって感じかな。

もしかしたら最初の第一歩は非常に気持ちが内側に向いていたのかもしれない。そこはわからない。でも肥大する自尊心が外側からの評価で何となく確信に変わり始めていて、上手くやっている自分を自覚しているんだけど、でも屈託なくやってると。もちろんわかりませんが。

僕はタイトルの「テロ」に響きがなかったのと、弟が主人公の横を素通りしたのに気づかなかったというアングルに共感を覚えなかったので、おそらくこれ以上何を言っても空回りなのだと思う。

Posted by Syun Osawa at 15:57

2004年09月22日

さみしさの周波数

さみしさの周波数角川スニーカー文庫に手を出してしまった。『さみしさの周波数』はとっても素敵なタイトルだと思う。同本に収録された短編は4編。そのうち「手を握る泥棒の物語」と「失はれる物語」は『失はれる物語』にも収録されている。

「未来予報」は時間軸すっとび系(きっと適切な呼び方があるのでしょーが)。男性の小学生から大人になるまでを描いているのに、一向に内面が成長しない様が非常に今日的。逆に女性の気持ちはほとんど書かれず、男性の妄言がきれいな言葉で埋め尽くされていた。そのあたりは共感しつつも若干の居場所の違いを感じた。リアルな体験を誘発する物語ではなく、あくまでも「こうなったらいいのに」という願望が刹那的に語られている。

「フィルムの中の少女」は文体が独特。乙一自身が『失はれる物語』のあとがきで「この頃はどうやって小説を書けばよいのかわからなかった」と語っていた事を思い出した。「失はれる物語」とあわせ、きっとこの頃の事を指しているのだろう。

乙一は世界観を設定するのが上手く、なおかつ早い。そしてその世界には内向的な人間が共有できる弱さと、その弱さをそっと慰めてくれる暖かさがある。不思議なことにそのあたりにちょっとヤラれている。

Posted by Syun Osawa at 21:49

2004年09月20日

東京JAZZ 2004

東京JAZZ 20042年ぶりに東京JAZZへ行った。相変わらずジャズのことなど何にもわからん僕にとっては、ハーヴィー・ハンコックが誰とコラボレートするのかというのが大きな楽しみになっている。今年はTOTOだ。(ちなみに昨年はスピーチ、一昨年はブエナビスタ・ソシアルクラブ・バンド)

今回の会場は東京ビッグサイトの東1ホール。2002年が東京スタジアムだったこともあって、会場はかなり狭く感じられた。音響はやや大人しい。これは僕がガチャガチャした音楽を聴きすぎているためかも。売店は良心的な値段設定。FOOD関係が300円、酒類も400円から。客席の後方に売店があって、食ったり聴いたりしながら全体的にダラダラした感じが何ともいい。

会場に入ったのが19時30分を過ぎていたので、クリヤ・マコト SUPER JAZZ FUNK PROJECT featuring 椎名純平はほとんど見ることができなかった。会場に入った瞬間にステージ脇の大型スクリーンに椎名純平の顔が映し出されていたことだけが印象的だった。ま、これはこれでいいんです。

ここからの展開が素晴らしい。セロニアス・モンク・インスティトゥート・オブ・ジャズ・アンサンブル special guest リオーネル・ルエケ。男の色気が出まくってる。とくにサックスのジラード・ローネンが素敵。上野樹里も可愛いがやっぱり違う。モテまくりな雰囲気を漂わしていた。

続いて“ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、デイヴ・ホランド、ブライアン・ブレイド”カルテット。このカルテットのステージをみていると、「エレクトロニカだろーがドラム&ベースだろうがそんなものは所詮たわごとで、音楽なんてものは彼らの時代ですでに詰んでるんじゃないだろうか?」なんて気分になる。自由であることの重要性を知る。

最後はSUPER UNIT featuring TOTOの登場。言葉なし。カッコイイ。とにかくその一言につきる。TOTO目当てで行ったわけで、ハービーとのコラボも見ることができてとにかく感動。それ以外はない。

SUPER UNIT featuring TOTOが始まる前、DJとピアノというセットでハウスのリズムに合わせて外国人と日本人の女性が二人でボーカルをとるという前座があった。2002年の感想 でも書いたことだが、日本人と外国人で何が一番違うといえば、とにかくボーカルだろう。もうこれは仕方ない。ドアタマから違うんだから。二人の女性が並んでボーカルをやっていたのだけれど、日本人の女性の方が気の毒に見えたくらい。

2002年の東京JAZZはハービーの『Future 2 Future』を踏襲していたこともありテクノ寄りなイベントだった。今回はここの前座部分だけ2002年のノリに近かく、全体的には本格〜8ビートがメインという印象だった。普段ジャズを聴かない僕にとってはかなり新鮮な体験だったし、値段もこの面子を考えれば立ち見とはいえお手ごろ。毎年一度だけ東京JAZZでジャズに触れるというのも悪くない。

Posted by Syun Osawa at 11:19

2004年09月19日

チェチェンで何が起こっているか?

カフカスの小さな国文京区区民センターで チェチェンニュース の大富亮氏とジャーナリストの林克明氏がベスランの学校占拠事件を受け報告会を行うというので、川崎での『ワラッテイイトモ、』上映会 の帰りに参加した。つい最近、林克明氏の『カフカスの小さな国』を読んだこともあり、テレビではなかなか語られることのない「チェチェンの今」の報告を楽しみにしていた。参加費の1000円も知的欲求を満たすための代金として支払った。

しかし、最初にビデオで流されたのはテレビ朝日と日本テレビのニュース報道。その後は、本を読めば載っているようなことを説明し、最終的に学校占拠事件などに至っては「わからない」を繰り返していた。僕は平和団体の協調行動に参加したかったわけではない。1000円はカンパじゃない。ただ単純に、テレビでは流されることのない、つまり林克明氏が『カフカスの小さな国』で書いていたような内容を映像的に見せてくれるものだと期待していたのだ。だって、テレビ局にはそういう映像を提供しているのだから。

ロシア側の謀略説(ロシアがチェチェンの犯行と見せかけて自作自演を行っているという説)は僕にとって興味深いし、昔読んだ寺谷弘壬氏の『ロシアマフィアが世界を支配するとき』や『ロシアン・マフィア』的な文脈での推察が僕が一番聴きたかった趣旨ではある。しかしそのあたりはむこうのニュース報道を和訳する程度で歯切れが悪く、最後は「わからない」というところで終わっていたのが残念だった。本質的な問題として、これは国家同士の戦いなのか、それとも一般人を巻き込んだマフィア同士の戦いなのか、僕にはサッパリわからない。また林氏が感銘を受けているチェチェン人の美意識とシチリア・マフィアやコーサノストラの掟の美学が僕にはダブっても映る。でもその理由はよくわからない。とにかくわからないことだらけだ。

Posted by Syun Osawa at 13:15

ワラッテイイトモ、無修正版

ProgettoPROGETTOの主催で『ワラッテイイトモ、無修正版』の上映会があると某人に教えてもらった。『ワラッテイイトモ、』とは「キリンアートアワード2003で審査員特別賞を受賞しながら、作品の特異性ゆえ受賞作品展でも修正版でしか上映する事ができなかった」ということが各所で話題になった短編映画である。そんなわけで川崎LA CITTADELLAへ。

上映時間47分。どの部分がこれまでカットされていたのかわからない。観客は8割が美大系、7割くらいが女性だった。そういう客層に向けた村上隆的市場のズラし効果なのかもしれないけれど、僕には「マッドビデオやん…」という以外の感情は湧いてこなかった。ネットを探索してみると『ZAMDA』というミニコミ誌で酒徳ごうわくという人が「『ワラッテイイトモ、』の呪縛―またはマッドビデオ覚え書き」という記事を寄稿していた。

エイフェックス・ツインの変態サンプリングのように『笑っていいとも』を切り刻んで新しい可能性を見つける。しかし観客が笑っているのは評論家が指摘する芸術性ではなくて、マッドな部分、つまり有名人の言葉を繋げて変な言葉を言わせたり、逆に言わせなかったり、編集でヘンテコな会話を演出したりというようなシンプルな部分の面白さなわけだ。そういう意味では外枠は現代美術でもやっぱり「マッド」かなぁと思った次第。

Posted by Syun Osawa at 11:37

2004年09月15日

変なことがよく起きる

なぜ全米デビューという触れ込みで普通に日本で売るのか?

しかも「初動売り上げは52.4万枚で、洋楽のオリジナル・アルバムとしては過去最高」などと戯けた記録のオマケつき。21世紀にもなって、日本人はまだこんなオナニーを続けるのかと心底ガッカリした。日本人の日本人による日本人のための歌を宇多田ヒカルが歌っている。それ以上でもそれ以下でもない。逆輸入戦略だってエイベックスが10年前にやっている。しかしながら、ペプシのCMに出演しているビヨンセら3人のような振る舞いが彼女にできるというのなら別、エロいUtada姉さんを拝見できれば前言撤回でしっかり萌えます。

そんな日本でもこんな素敵な事件が起きている

統太郎という人がかなりいいキャラを出しているのですが、実はこの人 BEE-HIVE にもタレントを送っている北海道アクターズスタジオの代表。札幌オフの結果を見ると2ちゃんとは結局「自意識の補完物」でしかなく、リアル世界では実行力を伴わないということが見えてくる。次はどうか? 渋谷オフの結果を静かに見守りたい。

そんな中、『ワールドダウンタウン』が終わる。ゴールデン進出とかじゃなくただ終わるのだろうか。この番組を見たとき、ダウンタウンは別格だったと確信したものだった。こればっかりは寂しすぎる。

Posted by Syun Osawa at 00:16

2004年09月14日

失はれる物語

失はれる物語これだな。乙一。角川スニーカー文庫で出ていた短編を一般文芸書風に編纂し直したもの。別に内容が変わったわけじゃない。外だけが大人向けになったというだけ。

「Calling You」に感動。中学生の頃の小説体験がドドーッと甦ってきた。物語発動装置となる設定が本当に素晴らしい。「しあわせは子猫のかたち」は新海誠の『彼女と彼女の猫』がフラッシュバックした。同時代の琴線というのだろうか、それはやはり繊細にできている。「失はれる物語」は同書の中で一番渋く意欲的な作品。平坦に終わったため個人的には食傷気味だったものの、展開がすごくいい。丁寧な設定がドラマを盛り上げている。そのほかの作品も含め、主人公が弱くナイーブで冷めている。しかも徹底的に冷めている。そしてそこが共感できる。

同書全体を通して感じることは、読者に舞台設定を明示するタイミングがとにかく早い。まず最初に言い切ってしまって、それ以降はドラマだけに集中している感じ。屈託なくそれをやっているので不快な気分がしない。例えば、「言葉では言い表せない画期的なデザインの腕時計である。」と最初に言ってしまう。嫌味がない。重要なのはそんなところじゃないと僕らは知っている。同時代の共通感覚がそこにある。

Posted by Syun Osawa at 01:16

2004年09月13日

やはりそうですか…

すべてのサンプリングに使用料が義務付けられる

だそうで。まっとうと言えばまっとうな判断がくだったわけですが、だったら「90年代とはそもそも何だったんだ?」ということにもなりかねません。先日、キーボード奏者さんにその話をしたところ「ダメだよ、人の物を盗っちゃ」とのこと。自分で弾ける人はいいやね。

Posted by Syun Osawa at 19:44

2004年09月12日

スタイルシートの恐怖

会社のMacでホームページを確認したらレイアウトが大変なことに。あわててOperaで確認するも、それなりには見えている。確認のためMozillaでチェックしたところ、画面がエラいことになっていた。単純に回り込みの命令を解除し忘れていただけだった。情けない。

Posted by Syun Osawa at 15:06

2004年09月10日

Perfume新曲キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!!

Perfumeの新曲『 ビタミンドロップ 』のPVが見られます

最初のフリーウェイハイハイはすっ飛ばしてください。PerfumeのPVは後半からはじまります。今回も中田ヤスタカのプロデュース。素晴らしいです。80年代をクロスオーヴァーさせながら哀愁あるメロディ、シンセ。アイドルとしての売り方も支持してますが(基本アイヲタなので…)、WIREのサブフロアとかにも出て欲しい気分です。アルバムに期待☆

そんでもって…

今年のエレクトラグライドにはプロディジーが出演するそうです。アルバムのリリースタイミングなんかを考えるとそうなのかな。第一回から唯一皆勤賞のイベント。今年も参加の方向で。

Posted by Syun Osawa at 02:28

エイベックス・ドリ〜ム 3

beatfreak前回からのつづき

だいぶ間が開いてしまった気が…。

『エイ・ドリーム』の著者、水草岳司氏はその後いかなる運命を辿ったのか? 彼はヴェルファーレの再建を断った後、1999年に退職する。ちなみに水草氏が退職するまで編集長を務めていた『beatfreak』は、現在発行人が松浦氏、編集人が倉地豊氏となっている。

インターネットでわかる範囲で調べてみると、水草氏はエイベックス退社後に HU-Recordings というレーベルで活躍したようだ。会社概要をみると設立は2001年となっている。ヒューコネクトという会社の一部門を担う形で運営されているようだが、ホームページの更新は2003年で止まっている。

また、アニメ事業にも進出しており『 穹蒼〜SORA〜 』のサウンド・プロデューサーとして水草氏の名を見つけることができる。しかし、このアニメ事業もまた2003年12月を最後に更新が止まっている。映像を担当している 映像集団ねこやのホームページ には以下のような文章があった。

※リンク先の「穹蒼〜SORA〜オフィシャルページ」につきましては当方が管理運営しているわけではありませんので、更新時期等のご質問を頂きましても、お答えできかねます。ご了承ください。

どうやら事業そのものが頓挫しているようだ。エイベックスの創業者である鈴木氏がエイベックス退社後に立ち上げたレーベルが、その後頓挫したのと似ている。エイベックスを内側から眺め、かつてエイベックスが持っていたはずの「町田スピリット」をもう一度甦らせたいという彼らの思いは、ショウビジネスの世界の中でもろくも散っている。

僕も成り上がりの思想が好きだ。たくさんの障壁を乗り越えてゼロから成り上がる。そのときスピリットは多くの人を打つ。しかし、『エイ・ドリーム』やその周辺から見えてきたものは、島本和彦のこの思想であった。

それはそれ、これはこれ

「運」と「資本」なんだよな。結局。

追記

某関係者から情報をいただきました。Hu-Recordingsというレーベルは水草氏が立ち上げたものだそうで、ここはCDを出すときだけ使用しているレーベルだとの事です。水草氏自身はエイベックスを退社した現在も音楽業界の現場で活躍されているそうです。妄想からの決め打ち、大変失礼致しました。

Posted by Syun Osawa at 01:11

2004年09月07日

死にぞこないの青

死にぞこないの青乙一著『死にぞこないの青』(幻冬舎)を拝読。乙一を読むに当たって、これが最初ってのはやっぱ違うんだろうなぁ、きっと。図書館では乙一ってとにかく人気で、複数区の図書館をハシゴしてもすべて貸し出し中になってる。それだけで読んでいる年齢層がすごく低いっていうのがわかるのだけれど、そういう意味で言えば、中学校のときに『ロードス島戦記』と『ヴァンパイアハンターD』を読んで以来の感触ってのを僕は味わったのかもしれない。

いじめの話。先生の話。事件としては行き着くところまではいかず、少年のビルドゥングス・ロマン(少年がちょっと大人になるというような人間的成長)に主眼を置いている。人間関係が少しずれて人生が上手く運ばなくなる感じなどは、世代的なことかもしれないが共感できるし、タイトルにもセンスの良さを感じる。でも乙一の良さはきっとこうじゃないんだろうな。アッサリし過ぎてる気がする。とにかく次を読もう。

Posted by Syun Osawa at 20:54

2004年09月05日

サイキック・ミーティング in 東京

サイキック・ミーティングサイキックのイベントに行ったのなんて何年ぶりだろう? 学生時代に行った円山公園か、ジュンク堂でのサイン会あたりだから相当古い話だ。今回は昼の「濃くない方」に参加。ゲストは浅草キッドと大川興業の大川総裁だった。このあたりの面子も相変わらず変わっていない。ちなみにサイキック・ミーティングとは大阪のラジオ番組『サイキック青年団』のリスナーを集めて行われるイベントのことである。

雨の中、九段下駅で降りて千代田公会堂へ向かったら人の列が。もちろんここだろうと思って並んでいたら、「コミケが〜」とか「〜なり」とか、自分の事を「ぼく」と呼ぶ女性とか、客層が妙にズレてる気がしたけれど僕も久しぶりのサイキックのイベントだったので途中まで気づかなかった。そこは九段会館でやっていたイベントは『智一・美樹のラジオビッグバン 公開録音』だったようだ。急いで隣の千代田区公会堂へ向かった。

内容はあいも変わらず。細○数子の裏事情とか、某宗教法人の話とか、オナニーマシーンの実演とか、やってることは昔から全然変わってない。東京に上京してからはラジオも聴いていなかったので、変わってない彼らの姿が嬉しくもあった。「メジャーよりサブカルの方が良いんだ」というスタンスではなくて、「本当は俺だってメジャーになりたい」「アイドルとエッチしたい」、でも適わない、というスタンス。僕が今もなお彼らを支持している最大の理由はそこにある。

Posted by Syun Osawa at 23:38

2004年09月04日

わが哲学論争史

わが哲学論争史マルクス著『経済学・哲学草稿』(岩波文庫)の訳者としても知られる田中吉六氏の半生を描いた自伝。田中吉六氏とは大学の教授や研究員にはならず、日雇いの肉体労働で生活費を稼ぎながら研究を続けていた方。

どこでそんな話を耳にしたかは忘れてしまったけれど、機会があったので読むことにした。自伝といいながらも軽いエッセイなどではないため、半分くらいは唯物論研究、認識論と技術論、実践による主体性とその論争などが占めており、僕にはよくわからない部分が多い。知りたかったのは、彼の実生活の方だけだったので、その辺はサラサラと読み飛ばした。マルクス主義者に限ったことではないが、「経済」を研究している人が、こうも貧乏な現実が僕にはやっぱりよく飲み込めない。堀江モンや楽天の三木谷氏がマルクス主義者であるはずもなく、誰のための何のための研究かも僕にはよくわからない。

そういう部分は大学の先生が飽きるほど研究されているので、それはそれとしてやはり興味があるのは人生の方。僕は当初、田中氏は多くの大学や研究機関からの採用を拒否し、自ら日雇い労働の道に進んだと思っていた。本書を読んでみるとそうではなくて、大学に行っていなかった田中氏の学歴がそれを許さず、結果としてそういう道に進んだようである。こういう物語は後付けでピカピカに偽りの光を放つことが多いので、そういう意味では田中氏のこの自伝は、率直に自分の生活(愛の生活も含め)を描いており、僕のわかる範囲では好感を持てる部分が多かった。

田中氏も若い頃は自分の著作印税だけでご飯を食べていたが、それだけでは食べていけなくなりやむなく日雇いに出るようになるわけだ。でも実は大学の教授の本だって似たようなもので、生徒に糞高い値段で買わせているけれど、それで食べていける人は多くない。東浩紀は「サブカルなんかやっても媒体もないし金にはならない。現代思想は固定ファンがいる」と言っていたけれど、本当にそうだろうか? やっぱりぼくは彼なんかもアニメや漫画といったサブカルに「お金」の匂いを少なくとも感じているのだと思えてならない。話がそれた。

Posted by Syun Osawa at 21:30

2004年09月03日

な…中田よ…

韓国では微笑みの貴公子なんですね

自分で服をはだけさせて筋肉を見せてる感じが妙にエロくて人間らしさを感じます。峠を越えた最近の彼は結構好きです。

Posted by Syun Osawa at 22:03

スチームボーイ

スチームボーイ打ち切り3日前に『スチームボーイ』を観賞。『ラピュタ』だなぁ…と思う人が多かったんじゃないでしょうか。「スチームボーイ ラピュタ」で検索をかけると、案の定ザクザクとそういったレビューが出てきました。監督の大友克洋氏が数年前、「宮崎さんは『ラピュタ』みたいな冒険活劇を作るべき」と言っていたけれど、結局それを自分でやったようです。

この作品の前半に出てくる大きな車輪の一人乗りのバイクの映像が公開されたのは何年前のことだったでしょうか。その当時、メイキングでアレを見たときはとんでもないものを作っていると思ったものでしたが、時代の流れとは恐ろしいものです。残念ながらその時の感動を超えるまでには至りませんでした。

『イノセンス』を見たから言うわけではないですが、大友氏もちょっと説教臭くなってます。いや、違うな。僕たちが追うことになった物語が説教臭かったと言うべきでしょう。SF畑の大友氏がスチームパンクで古き良きロンドンを描きたいという欲求は頷けます。「科学は偉大。すべてをロボットにやらせれば〜」という思想はレーニンの電化政策にも似ており、そうしたものにとりつかれた人間の狂気も良いでしょう。ただ何といいますか、スチーム城がロンドンの町で崩壊したときに感じるはずの「無力感」を、僕は感じませんでした。

詳しいことはわかりませんが、この映画の製作には紆余曲折があったのではないでしょうか。無理やりに設定で加えられた少年と少女。もちろんそんな事はないと思います。しかし明快なストーリーが、逆に面白いポイントであるはずの各国間の軍事的な駆け引きとか、そのむなしさといったものを見え難くしていたことが何より残念です。

Posted by Syun Osawa at 20:44

2004年09月02日

『動物化するポストモダン』とその周辺

動物化するポストモダンタイムリーな本じゃないんですけど、図書館で見かけたので拝読。内容を事前に人から聞いていたこともあり、想像通りの内容に驚きはありませんでした。非常にシンプルでわかりやすかった事が、僕でも知るくらいに有名になった原因なのかな?

「動物化」とは欲望に忠実になるというような事で、そんなオタク事情を区分けした上で、こんなようなことを言っております。

シュミラークルの水準で生じる小さな物語への欲求とデータベースの水準で生じる大きな非物語への欲望のあいだのこの解離的な共存こそ、ポストモダンに生きる主体を一般的に特徴付ける構造だと筆者は考えている。

この一冊だけでは何なので、東浩紀氏のホームページで公開されている原稿の中でアニメ関係のものをいくつか読んでみました。(『存在論的、広告的、スーパーフラット的』『存在論的、広告的、キャラクター的』『コンピュータ文化なき日本』『見えるもの/見えないものの対立軸では、もはや世界は見えなくなっている』『唐沢俊一氏の「悪口」について 』『新たな時代に向かって』『データベース型世界へ』『萌える世界、さまよう作家性』『静かな昆虫的世界』『新しい批評のために』『データベース的動物の時代』『社会が動物化している』『ゲームの名のもとに』『立ちから萌えへ』『味気ないが満足はできる社会?』『堤清二の子どもたち』『自由と天皇のあいだで:『憲法対論』の宮台真司』『不純さに憑かれたミステリ』)

格闘技はどうだろう? 今も昔も「ヤオ(八百長の意味)か?」という精神は存在しています。だからと言ってイラク武装勢力による人質首切りビデオみたいなリアルファイトが見たいわけではありません。

演歌はどうだろう? 「親父」「桜」「酒」などのキーワードや、特定のコード進行による「萌え」にも似た感情は昔から存在しています。

わかりやすいんだけれど、何と言うか俯瞰されている感じがオタクな僕には楽しくない気がします。「おたく」という言葉は登場し、僕らが納得する程度の具体的事例は登場するのだけれど、何か飲み込めない。東浩紀が作ったコロニーの中のおたくを外から勝手に眺めて、勝手に絶望している感じでしょうか。僕はそんなことにすら気づかずただ毎日を生きているわけですけれど、僕は彼のいう「おたく」に果たして該当しているんだろうか? そもそも彼の言っている「おたく」とは誰なんだろう? 僕にはよくわからない。

Posted by Syun Osawa at 11:18

嵐の中の東北旅行

台風の中での東北旅行。しかし背戸我廊、入水鍾乳洞は素晴らしい。

東北旅行

Posted by Syun Osawa at 10:38