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2007年02月25日

ドラムンベース=太陽族=休刊=閉店=尾道

3月に引越しすることとか、仕事量の増加とかで、結果的に時間がない。ACCESSの勉強などもしなければならず、自分の時間がとれな過ぎてキレそうになる(つか無駄にキレてしまう;;)。そのためネット、漫画を描く、読書の順に時間が削られる。ネットはいいとして、それ以外はストレス解消にもなるので削られるのは体調に悪い。

ヴェローチェからココアラテが消えた。もともとメニューには載ってなかったのだが、これまではなぜか「ココア」と言うとココアラテが出てきた。ところが先日から「ココア」と言うと、不思議な顔をしながら「申し訳ございませんが、メニューからお選びください」と言いやがる。まるで僕が意味不明なことを言っているような顔で。こんなことでキレてしまうくらいにスケジュール管理が上手くいっていない。うーむ。

中学校の社会の参考書を買いに本屋へ行ったら中野晴行さんの『 謎のマンガ家・酒井七馬伝 』(筑摩書房)が出ていた。核心部分は宣伝誌『ちくま』の連載時に読んでしまっているので今回は購入を見送ったが、必ず読もうと思う。

ハートブレイク太陽族

とんかつ村 で紹介されてた。作詞を松本隆、作曲を細野晴臣が担当している。初めて見たがめちゃめちゃ良い曲ではないか! ずっぽりハマってしまった。夜ヒットのバックの演奏も含めて、かなりいいぞ!!

Stoyan Yankoulov & Elitsa Todorovaの生演奏

あと、これとか 。ブルガリアの人みたい。

公式サイト新曲 などを聴くと「嫌いじゃないけどまぁまぁかなぁ…」みたいな印象なんだけど、ドラムンベースを意識した生演奏のライブは相当かっこいい。

CDよりライブの方がカッコいいパターンの人たち。SOUNDZ FROM GERMANY 2005 で見たMouse On Marsなんかもそんな感じだった。で、何を思い出したかというと、こういう曲 なんかに反応してしまうのは、昔タルヴィン・シンとか聴いてたなぁ…とかいう淡い思い出だったりするのだ。

ノエル・ギャラガー VS トム・ヨーク

この構図はいろいろ考えさせられる。

月刊少年ジャンプ

集英社は39万部でも休刊するのか…。返本率を念頭に置くと、実際にはもっと売れてないのでは? 攻めの休刊と考えるならば、休刊の噂が絶えないのにダラダラ続いている「ヤングサンデー」とかの方がどうなんだって気もするが…。

旭日屋書店京都店が閉店するそうな

かつてこの本屋で僕の友達がバイトしていたんだよな。何でも近鉄百貨店自体が閉店するとのこと。京都タワーの裏側というとても地味な場所にあったので無理もないか。ただし、立地条件は破格に良かったので、深夜や早朝の営業に力を入れればもう少し延命できたのではないかと思う。京都の夜は東京と比べると本当に行くとこないから。

Cali Rezoのイラストはやっぱりいい

この人の絵はなんか残るんだよな。何でだろ? すごく好き。

「かみちゅ」の原風景のさらに倍!ドン!

かみちゅの尾道が80年代の原風景だったわけで、そこに僕はノスタルジーを見ている。こちらは戦前の写真だからノスタルジーどころか、ひっくり返ってファンタジーの世界…と言いたい所だが、雰囲気はあんまり変わってない。今後も変わらないでほしい。

「DAICON 3 オープニングアニメ」がなぜ?

DAICONはアメリカでも伝説なのか…。

全面禁煙化には反対だ

僕はタバコは吸わないが、他人が吸うのは勝手だと思っている。つまり嫌煙家ではない。タバコを吸っている人は吸わない人より多くの税金を払っている。しかも、嗜好品であり、常習性もあるので税金を取る側も取りやすい。僕の要望は、タバコを吸いたい人にはどんどん吸ってもらい、そのかわり地味に地味にタバコの値段を上げていってほしい。全面禁煙化なんかしたら、値上げしにくくなるじゃないか。

Posted by Syun Osawa at 22:24

2007年02月23日

鉄の処女

栗本慎一郎/1985年/光文社/新書

鉄の処女80年代半ばに活躍していた日本の思想家を俯瞰した本。著者の栗本さんは、僕の記憶の中では「しゃべりの上手なズラの政治家で、脳梗塞で死の淵をさまよった人」というイメージが強い。この本を出した当時は明治大学の名物教授で、80年代にはバリバリと哲学者の批判などをしていたらしい。

そういうゴーゴーな時代に出された本ということもあって、ものすごく勢いがある。柄谷、蓮實、浅田などのスターを、頭が良くて、スポーツができて、そこそこ男前(男前か?)の筆者が斬って、斬って、斬りまくる。その書き口が芸になっていて、古い時事本にも関わらず楽しんで読むことができた。もっとも、登場する思想家のメンバーが今も大きく変わっていないことも楽しめた一つの要因ではあるが(それはそれで妙に悲しいものがある)。

筆者は、蓮實の映画批評が素晴らしいことを認めたうえで、筆者が好きだった『ハンガリアン狂詩曲』を「くだらん」と一言で片付けたことに以下のような異議を唱えている。

他人が喜んでいる映画や小説を、批評家が「くだらない」と言ってしまったとき、そのことが自然に持つ不当で無根拠な排除性のゆえに、批評の言語は表層で倒錯する以前に死んでしまっているのである。

くやしかったんだろうな…。ということはさておき、この文章は多くのネット批評家を見越したような指摘にもとれて特に印象に残った。と、同時にずいぶん前に買った第二次惑星開発委員会の同人誌『PLANETS』などは、この本の縮小再生産のような雰囲気がある(関係ないけど)。

Posted by Syun Osawa at 23:45

2007年02月22日

ニーチェ入門

竹田青嗣/1994年/筑摩書房/新書

ニーチェ入門ぶっちゃけニーチェの本は読んだことがない。

哲学書など難しいし読み込める能力もないので、はなから読むつもりはない。ただ、この歳にもなると表面をなぞるくらいには知っておかないと恥ずかしいらしいということを知り、高校生が読むような入門書をちょっとだけ読み始めることに。

入門と名がつくだけに、さすがにわかりやすい。わかりやすく書かれ過ぎていて「本当か?」と心配になるくらい簡潔明瞭に書いてある。ニーチェの三つの柱は「ルサンチマン批判の克服」「これまでの一切の価値の顛倒」「ニヒリズムの克服(価値の創造)」であるとし、ポストモダンの現代思想家たちは前の二つを上手くくみ上げたが、最後の一つについてはその可能性をむしろ殺しているのではないかと筆者は言う。

なるほどそうかもしれない。そうかもしれないが、僕の中にも充満しているニヒリズムを克服するために「超人の創造」と「永遠回帰」を胸に刻むのはなかなか難しい。キリスト教中心の世界で育っていないし、ニーチェの生きた時代とも違うし…。そもそも、近代ヨーロッパのニヒリズムと21世紀日本のニヒリズムは同種のものなのかもわからない。

ともかく、ニーチェは安易なロマン主義を批判しているらしいので、その部分は共感できた。だから、ニーチェにならって、知的モードな人たちにも安易な愛国主義にも惑わされることなく、発狂しない程度に「善きこと」の追求をしていくことを人生の指針の一つにするのも悪くないなとは思った。

Posted by Syun Osawa at 00:04

2007年02月19日

厄除け=秋聲=ビヨンセ

足利学校素敵な友人のおかげで、関西人にしては珍しく北関東に行きまくっている。佐野厄除大師で御守を買い、佐野アウトレットでJUNMENの激安ハーフパンツ(1900円)を買い、足利学校近くのお土産屋で激安の頒布かばん(1000円)を買った。佐野のアウトレットは行くたびにでかくなってる気が…。ただし、値段だけなら下北沢のマルイアウトレットの方が安いかも。

なんか急に「 山なみ遠に春は来て 」を思い出して、double faceを調べたら、昨年6月にTOY'S FACTORYからリリースしてた。おおっ。

(手に入れた本など)
小早川秋聲『画集 伏聲の譜』(日南町美術館)
小野耕世『ドナルド・ダックの世界像』(中央公論新社)
梅原猛『地獄の思想』(中央公論社)
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(新潮社)
孔子『論語抄』(足利市教育委員会)

小早川秋聲の画集がでかかった。『熱風 2006年11月号』で高畑勲さんが小早川秋聲〈国之盾〉について書いているが、ああいう風にちゃんと絵について書いている文章は最近見かけない。最近は、斉藤環さんの文脈病ではないが、すぐに話が遠いところへ行ってしまうので、たいてい絵は置いてけぼりになる。これは漫画もそうかな。

他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?

「池田信夫 VS 山形浩生」で話題。モデルとしては理解できるが、実感はない。『ナショナル・シオグラフィック 2007年2月号』で ナイジェリアの石油利権が国民を幸せにしていないという記事 を読んだこともあり、その理論だけでは猜疑心の強い僕のような貧乏人は納得することができないのだ。→ 現在ここ

ブリトニーがスキンヘッドに

スゲー。こういう展開は日本だとSHIHOくらいしか知らないなぁ。精神を病んでのことならば、どうなの? って感じですが。

Suimsuit2007にビヨンセ登場!

去年はテニスのシャラポワが出てましたけど、今年はビヨンセですか。

総監督庵野秀明さんの所信表明文

ようするに『エヴァ』をまたつくるんですね。
新しくない『エヴァ』を…。

Posted by Syun Osawa at 23:46

2007年02月13日

タイトルマッチ=ネット音楽=期間工=アニメPV

日本スーパーフライ級タイトルマッチ後楽園ホールへ日本スーパーフライ級のタイトルマッチを観に行った。1ラウンドに河野がチャンピオンの菊井からダウンを奪い、その後も河野有利で試合が進んだ。チャンピオンも後半粘りを見せたが届かず。両者ともに世界ランカー(3位と5位)なので、勝った河野は次々回くらいに世界チャンピオンの名城と対戦するのではないかと期待が膨らむ。なかなかの好試合だった。男の価値は強さだよなぁ…ボクシングを見るたびにいつも思う。

(手に入れた本など)
江原啓之『スピリチュアルな人生に目覚めるために』(新潮社)
『熱風 2007年2月号』(スタジオジブリ)

es24: Modul - Cutting Edge

パソコンしているときは、大抵ネットラジオかネット音楽を聴いている。ロシアのネットレーベルelectrosoundからリリースされる曲は、演歌チックなエモテイストが僕の好みに合っていて心地よい。「 Sum.Yellow: Low Node 6 」、「 Win.Blue: TEA 22 」、「 Spr.Green: Easy Recovery 」などなど。どれも大好きです。

10年前に聴いていたネット音楽

Haujobbに所属していたJazzの「serene lily」などを聴いておりました。BEMODでも5年ほど前に 感想 を書いている。1996年アーカイブ に入っている「ink ribbon」という曲も僕にとっては印象深い作品。どちらも4chのMOD作品です。

TimbalandがChiptune盗用問題についてこたえる

VORCより。インタビューで開き直り。Chiptune&開き直りと言えば、日本ではオレンジレンジが有名ですが、いずれにせよChiputuneに対する愛があるのか? ええおい、あるのかよ? ってことで。

Youtubeで人気のMia Roseについて

英国の人らしい。「 Mia's Own Song!! 」などを聴きつつ俯瞰すると、ナタリー・インブルーリアみたいな印象も受ける(とはいえ、ナタリーはオーストラリアのアイドル出身ですが…)。

都内の綿矢りさサイン会

親父と対談しまくりで、なにかがふっきれたのだろうか。

ラグビー協会がフリーペーパーを発刊

試合会場だけとかやめてよ…。たしかに効率いいけど。普通に紀伊國屋とかで配ってください。東日本ボクシング協会のフリーペーパーもジム以外でも貰えるようにしてほしい。

知らなかった…

戦争と芸術関連のイベントって京都で結構やってんのよね。

ベネッセ、変なことやってるなぁ…

アニメ!アニメ! より。最近はコマ撮りでクレイアニメを作るソフトが出ていたりもしてるし、「アニメ作り」を誰かが一生懸命広めているのだろうか。素敵なことだ。

新風舎ボロくそやなぁ…

大手市民ニュースサイトで叩かれまくり。実名挙げて、しかも確固たる証拠もなく不信感と怪しさだけでここまで書けるのはなかなか凄い。外れてないとは思うけどね。

35年前の期間工本を現在の期間工が読む

僕はこのブログに書かれている

言葉は悪いけど、俺もいずれは搾取する側に回るつもりだ。

に響いた。

金儲けのためのウソは許されるか?

最近ちょっと考えていること。僕はウソは許されると思っている。例えば、会話の流れからウソをついた方が円滑にコミュニケーションを図ることのできる場合や、ウソをつくことで不要な不幸を起こさないで済む場合などに僕はウソをつくことがある。

では金儲けのためのウソはどうか?

人を貶めるためのウソではない。データ会社が特定の企業や団体に有利なウソのデータを流すことは許されるか、演出のためのデータ捏造は許されるか、といった類の話である。これらは何ために行われるかと言えば、ひとえに金儲けのためである。善きことのウソは許され、悪きことのウソは許されないとあえて前置きをするとすれば、金儲けは善きことか? それとも悪きことか? となるのだ。

アニメ系PVの映像と音楽について

映像に音楽が付随しているのか、音楽に映像が付随しているのかをよく考えるべきだと思う。PVはあくまで音楽が主人公である。だから、僕はPVであるにもかかわらず、映像作家の個性が強く押し出されたような、音楽との関連性の少ないアニメ系PVが好きではない。PVはあくまで音楽が主人公であるから、ライトノベルのイラストと同様に音楽世界を引き立てる映像であるべきだと思う。逆に映像が主たる作品で音楽が映像とリンクしないのでは、それはダメってことになるでしょ?

Posted by Syun Osawa at 00:18

2007年02月06日

路地

三木卓/1997年/講談社/四六

路地鎌倉に暮らす普通の人々の人間模様。

それぞれの物語に登場する人間が控えめに重なり合うのがいい。古書店の店主の物語と、その古書店に憎しみを抱く青年の物語だけは、直接的に表裏一体のストーリーを描いてはいるが、どちらか一方が悪いというわけでもない。どちらもちょっとずるくて、わがままで、そこが共感できる。普通の人たちが普通に暮らしていくなかで、立場の違いから憎しみあったり、また立場が違うからこそ愛し合えたりする。その微妙な温度差から生まれる様々な感情が上手く描かれていて、読み終えたときに、小説を読んだなぁという満足感があった。

一方で、登場人物がみんな若干ダウナー系で、どうしても自分自身と重ねてしまう。真面目に生きるのも、不真面目に生きるのも難しく、「しょうがねぇなぁ」と苦笑いするのだ(だけどDon't look Back in angerと続くのが90年代だったような気もするし)。

鬱系の小説というわけではないので、トーンは控えめなこの手の小説が僕の趣向には結構あってるのかもしれないなぁ。

Posted by Syun Osawa at 22:26

2007年02月05日

オー・ヘンリー傑作選

オー・ヘンリー/訳:大津栄一郎/1979年/岩波書店/文庫

オー・ヘンリー傑作選とりあえず短編を延々と読もうかと思っていろいろ買ったうちの一冊。そもそも小説をほとんど読まないので、あえて読むとしたらすぐに読み終える短編がよい。…という気持ちもないではないが、ウェブアニメをつくるにしても、ウェブマンガをつくるにしても一人なら短いものしかつくれないのだから、ストーリーの部分は短編から学ぶのがよいだろうという浅はかな考えが一番にある。

というわけで、岩波文庫の名作とか。

「賢者の贈りもの」と「最後の一葉」はどこかで読んだような話だなぁ(これが初出なの?)。軽く風刺が効いた軽妙なタッチで描かれる人間模様と明快なオチ。悪くない読後感。でも、残らない読後感…みたいな。

どの物語もそこそこ面白く読んだしとても勉強になった。が、なにより面白かったのは獄中で本格的に作家活動を開始した彼の人生そのもののような気がするのだが…。

あ…そうそう。「最後の一葉」のパロディとしては、岡田あーみん『お父さんは心配性』のものが一番面白かった。

Posted by Syun Osawa at 23:16

2007年02月04日

発売延期=ブログ小説=響く言葉=実は男だった

1月31日に発売する予定だった『ジ・アニメーションズ』が発売延期になっていたことを当日に知った。ショック。ショックだったことがもう一つある。僕はメールソフトとしてThunderbirdを使用しており、広告メールなどは迷惑メールとして振り分けられるように設定している。最近は迷惑メールフォルダに入るものは中身も見ずに一括して捨てているのだが、その中に迷惑ではないものもいくつか含まれていることがわかった。昨年の今頃もそういうことが重なっていたが、Thunderbirdのバージョンが上がりそういうこともなくなったと勝手に勘違いをしていた。ヤフオク経由の迷惑メールが断然増えていることが主因である。うーむ。

(買った本など)
『NATIONAL GEOGRAPHIC 2007年2月号』(日経NG社)
『Great Ages Of Man 20世紀』(タイムライフブックス)

ハンドペインティングの世界

好き好き大好き、超愛してる。

ロケットな女の子の3Dアニメ

すっかり、日本のインディーズアニメを見てませんが、これは可愛い。

ギートステイトの連載始まる

ブログで小説というのは面白いけど、毎日ちょっとずつ読むのは案外しんどいかもしれん。Mouraってことはいずれ本になるだろうし…。

響く言葉

ルー大柴さんのブログに若者が響きまくっている。家族や友人に対するベタな思いも歌詞に乗せると響いてしまうという 稲増教授の指摘 とも重なって興味深い。学校のチームティーチングも本来、こういった事情を参考にすべきで、好かれ役(サブの先生)と嫌われ役(メインの先生)がチームとなって教育をするのが効果的だと思う。

本の山の中の人は、やっぱり男だった

ずっと男だと思って普通にブログを眺めていたんですが、このあたりのスレ に偶然出会ってしまい、「え? 女なの?」って思って驚いていたら、この告白によってやっぱり男だと判明。同時に ブログを休止 するとか。何だか奥が深い。

岩上安身さんの文章から1989年を学ぶ

ナインティーン、エイティーナーイン、国籍不明のー。「とくダネ」でお馴染みの岩上さんがライター時代に書いたサブカル記事を読んだ。1989年のアニメ・漫画ネタというところが興味深い。以下の記事がオススメ。

仕事部屋から見つめた超人・手塚治虫
石ノ森章太郎 漫画はあらゆる表現が可能と宣言
石ノ森章太郎 漫画はあらゆる表現が可能と宣言
僕と右翼とプロレスおたく

実はずっと前から彼の書いた『あらかじめ裏切られた革命』(講談社)という本を古本屋で探しているのだが、まったくといっていいほど見かけない。ほとんど世に出回っていないのだろうか…。

ラグビー日本選手権は必要か?

ラグビーの日本選手権は現在トーナメント形式で開催されている。もともとは社会人王者と大学王者が対決していたのだが、神戸製鋼が強くなったあたりから大学が社会人に勝つことがなくなった(20年位前から)。そういう経緯があり、クラブ王者なども交えてトーナメント形式にしたのはいいのだけれど、結局、決勝は社会人同士の対決になってしまう。

サッカーの天皇杯もこれと同様の形式で行われているのだが、サッカーとラグビーが決定的に違うのは、社会人のチャンピオンが決まった直後に日本選手権が行われるため、二度チャンピオンを決める格好になってしまう点だ。時期が近すぎるため、はっきり言って水を差していると思う。どうせやるなら初夏あたりにやるべきで、個人的な希望を付け加えるならばアジアのクラブチームなども交えてやったら面白い。逆に言うと、それくらいやらないと価値を見出すのは難しい。もちろんオールスター的な祭りとしてやるならいいと思うが…。

ウェブマネーを使ってみた

これがとても便利。わざわざ個人情報を入力するなどの手続きが要らず、コンビニで購入できるからだ。これまでネットはお金を扱いにくいといわれていたが、低額ならば思ったより敷居が低いと思った。わざわざ個人情報を引き抜こうと会員登録をさせたりするから面倒くさいのだ。

というわけで、ネットで買い物を習慣をつけるために、いろんな機会にウェブマネーをプレゼントするという、ばら撒き作戦も一つの手かとは思う。例えば、一番簡単な普及方法は、ブログを持っている有名芸能人に5千円分のウェブマネーを渡し、その使用感とリンクを張ってもらうだけでかなりの効果が見込めると思う。特にウェブマネーは現実のお金のように振り込む必要がないため、お金の受け渡しも容易である。

Posted by Syun Osawa at 21:19

2007年02月03日

速読の科学

佐々木豊文/1995年/光文社/新書

速読の科学速読を覚えたい。電車通勤から自転車通勤に変えたことで、本を読む時間がなくなったからだ。

速読というと、怪しげなセミナーの広告だったり、ものすごい速さでページをめくって本を読む子どもなど、どこか胡散臭いイメージがついてまわる。オカルトに近い匂いがあって敬遠していたのだが、この本を読んで、とりあえず速読が不可能とはいえないかなと思うようになった。

というのも、実際に本を読むスピードが少し早くなったからだ。1分間に1万字も読めなくてもいいので、1時間で新書1冊くらいを読めるようになりたい。まぁ、これくらいのスピードなら速読とは言わないのだが…。いずれにせよ、今日から訓練を開始。たしかに少し早くなる感じがあるから不思議だ。

実はこの本を読む前に、金の星社から出ていた速読の本(なぜか速読の本は字が大きいものが多い)を読んだのだが、続けることができなかった。原因の一つに、その本が説いていた訓練方法が古かったことも挙げられると思う。速読と言ってもいろいろな方法があって、中には怪しげなものも少なくないらしい。そこは注意が必要かなと思いつつ、お金があれば学校にも行ってみたいと思う今日この頃。

Posted by Syun Osawa at 21:50

2007年02月02日

常設展&企画展「武良茂(水木しげる)の人生」

しょうけい館(戦傷病者史料館)

しょうけい館平和記念展示資料館 に置いてあったパンフレットで、この施設の存在を知る。戦地で負傷した人の苦しみやその後の後遺症などについての資料館らしい。行ってみると、施設は小さいが内装が妙にお洒落で金がかかっている。だが路地の奥まったところにあるためか、来場者はほとんどない。

戦地で怪我なんかしたら悲惨だと思う。虫歯が痛いのに会社が忙しくて歯医者へ行けない程度のことで泣き言を行っている僕には、体内にめり込んだ弾丸を麻酔もせずにナイフで切り開いて取り出すとか想像を絶する。

企画展(というほどのものでもないが…)では水木しげるさんの生原稿などがいくつか展示されていた。中でも興味深かったのは、彼が戦中にトーマで描いたというスケッチである。《負傷した兵長》《少年》《もと運転手と家の中》《子ども》《ラプ(老人)》の5点は捕虜になった水木青年が現地で鉛筆と紙を調達して絵を描いたそうな。

会場でループ上映されていたドキュメントの中で、水木しげるさんが戦地においても軍国主義に熱を上げることなく、常に自分の興味に忠実なアナキスト的な趣向を持っていたことに感慨を覚えた。戦争で片手を失っても、捕虜になっても、絵を描ける喜びのほうが先にある。そのようにして描かれた5枚の絵には敵も味方もなく、まっすぐに対象となる人間への興味に導かれていた。これも 戦争と芸術 を考える上で重要なところかなと思った。

彼の本はいくつか手元にあるが固め読みしようと思っているため、どれもまだ読んでいない。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 23:50

2007年02月01日

全体芸術様式スターリン

ボリス・グロイス/訳:亀山郁夫、古賀義顕
/2000年/現代思潮新社/四六

全体芸術様式スターリン難しかった…。

ロシア・アヴァンギャルドから全体主義芸術といわれるスターリン時代の社会主義リアリズムへの道筋は、戦争と芸術 を考える上で避けて通れない。そのため、難しい本と知りつつも、難しいままに無理やり読み終えた。フーコー、ドゥルーズ、ラカン、デリダなど現代思想系の哲学者の引用がちりばめられ、いわゆる構造主義とかポスト構造主義とかいう日本でもオタク文化研究でやたらと使用されている代物を道具にして話が進んでいくため、話が飛躍していて素人の僕が気軽に読むとわけがわからなくなる。わかりそうで、わからない。そんな状態がずっと続いている感じだ。

概観すると…

この本ではロシア・アヴァンギャルドのいきすぎた前衛主義がスターリン時代に台頭した復古主義としての社会主義リアリズムによって打倒されたのではなく、ロシア・アヴァンギャルドのさらなるラディカル化(政治体制および社会全体が前衛的、芸術的になっていくという意味で)の結果、スターリン時代に社会主義リアリズムが生まれたと言っている(…かどうかは、内容をあまり理解していないので自信がないが)。

新しい現実に関する統一的計画を作るというアヴァンギャルディストの正統的役割がこの政治権力に割り振られようとしているのである。全面的な政治権力を要求することは、アヴァンギャルドに内在する芸術プロジェクトそのものの当然の帰結ではあるが、それは本質的に、自分たちのプロジェクトを芸術的なプロジェクトとして承認せよという、現実の全体主義政治権力に対する要求にすり替わるのだ。

こうしてすり替えられた要求によって、アヴァンギャルドは敗北する。

 弁証法的史的唯物論というマルクス主義の教義を後盾としていた社会主義リアリズムにとって、社会主義革命は弁証法的発展過程の完成段階であり、その中間の段階はこの絶対的な究極の出来事の一種の原型であり、象徴であり、先取りであった。だからこそスターリンは弁証法に従ってアヴァンギャルドをラディカル化したのであり、またこのラディカル化によって「形而上学的」「観念論的」であるアヴァンギャルドは敗北したのだ。

敗北の後に生まれた社会主義リアリズムとは、もはや現実世界を描いているのではなく、ヴァーチャルな「セカイ」を描いたユートピア芸術だったのである。後光が差す怪しいスターリンが描かれた世界観はまさに楽園。もはや現実の社会を反映しておらず、現実が地獄であってもそんなことは関係ないのだ。これをナチ芸術やアメリカの広告芸術などもひっくるめてプロパガンダとひと括りにするのも悪くないが、もっとつまらない発想として「セカイ系」との関わりについてこだわりたい気持ちでいっぱいだ。

前衛芸術の抽象性は過去に対する強烈な否定という点で、現実のトンデモな出来事(戦争など)を無効化する方向にベクトルが向いていた。そのベクトルがより先鋭化し、別次元へと突き抜けた結果が社会主義リアリズムなのである(本当か?)。これはナチ芸術のように現実の中で前衛芸術とは逆向きにベクトルを働かせたのとは少し趣が異なるのだ。ヒトラーがフェルメールを愛したことからも推測できるように、ナチ芸術はあくまでも現実を見据えている。

もちろん社会主義リアリズムには、シュルレアリスムとしての側面(ダリに対して一定の評価があった)もあり、社会主義リアリズムのパロディとして生まれたソッツアートとの関係も含めて現実から剥離しているとは言い切れないかもしれない。この点については、とにかくもっと多くの作品を見ないことには何とも言えない。この本についても、いろんな意味で読めていない部分が多かったので、少し時間を置いてからもう一度トライしてみようと思う。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 22:22