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2008年02月24日

計算力を強くする

鍵本聡/2005年/講談社/新書

計算力を強くするインド式計算術のブームもさすがに下火。今更、インド式を読むのもちょっとなぁ…って感じがしていたので、ちょっと前にインド式とは別の流れで流行したこの本を読んでみた。

反ゆとり教育的なスパルタ学習法にも様々な潮流があって、計算力もその一つである。九九を軸とした単純な計算だけを身につけるより、一歩進んだ計算術を学ぶことで他の人より一歩先んじたいという思いが、この本をベストセラーに導いたのだろう。

計算が速く、正確になることはとてもいいことである。ただ、残念なことに、計算が速くなっても難問を解くことはできない。事実、中学受験のカリスマである宮本哲也さんは、『 強育論 』のなかで計算力重視の考え方を批判している。和田秀樹さんも少し批判しているが、陰山英男さんを評価していたりもしているので、彼の場合は貪欲にすべてのエッセンスを取り込んでいこうという姿勢なのだと思う。

この本に書かれている計算法を使用すると、たしかに計算は速くなるので読んでおいて損はない。掛け算ならどんな桁数のどんな数でも使えるというような計算法はない。一の位が5の場合とか、下二桁が4の倍数になっているといった条件が揃ったときにだけ使える計算法があり、それらをすべて覚えなければならない。そのために、計算法をそれぞれ暗記する必要があるのだ。

つまり、たくさんの計算を行う際に、一律計算が速くなるのではなく、個別の計算法を使って計算をしていけば、結果としてトータルの時間が早くなるというのが本質である。だから、速くなる計算もあれば、早くならない計算もある。計算ドリルなどで大量の計算をするならば、この方法は計算のスピードを劇的に速くできるのかもしれないが、それだって中学校くらいまでだろう。社会人になると、暗算をしなければならない状況なんてそれほど多くないし、それほど多くない機会のためにわざわざ新書一冊分の計算法をすべて暗記する必要があるのか? となると、ちょっと疑問も残る。

Posted by Syun Osawa at 23:52

2008年02月19日

小谷美紗子/凛として時雨ライブ

2008年1月30日/新宿LOFT

京都に海があるなんて誰もしらなーい☆

いやいや、ホント。何つー対バンだっつー話ですよ。

小谷美紗子はライブハウスでできる人ってのを今回再確認。いやー、マジでカッコいいわ。演奏の順は凛として時雨のほうが早くて、ハネたい人は初回勝負って感じだった。時雨の曲はYoutubeでしか聴いたことなかったんだけど、軽い感じもなかったし、かなり楽しかった。

で、時雨終了後にハネたい人は静かに退散。

それに乗じて、僕は最前列へ移動。左側に陣取ったら、ピアノの位置がドンピシャで超いい感じだった。いや、ほんとにアッパー。この人、ほんま京都女の芯の強さがにじみ出てていいわ。

新宿LOFTへ行ったのは今回が初めて。有名なライブハウスということで楽しみにしていたけど、音割れの具合とか個人的にはあまり好みではないかな。凛として時雨の声が超高いから何言ってるかサッパリとか、そういうのは要求したらあかんのかな、LOFTとか行く人は…。あとは、どちら演奏時間もちょっと短かったところが残念だった。それ以外は概ね満足。

Posted by Syun Osawa at 20:45

2008年02月13日

MEZZO(全13話)

監督:梅津泰臣/2004年/日本/アニメ

MEZZO『メガゾーン23/PartII 秘密く・だ・さ・い』で梅津さんのファンになり、『A KITE』と『MEZZO FORTE』の神OVAを見ていれば、当然彼のテレビシリーズは凄いことになっていると思うのが自然だろう。

今回の作品も梅津さんが原作、脚本、監督をつとめており、制作が発表された当時は期待が膨らみまくりだった。それから随分年月が経って、ようやく鑑賞。うーん。これまでの流れで見てしまうと、どうしても粗のほうばかりが見えてしまったは仕方ないかな。

とはいえ、求道者のごとく、自分の道を突き進む梅津泰臣という人がアニメ界にいることを誇らしく思う気持ちは今も変わるところがない。

以下、感想メモ。

第01話 恋の殻

「アニメ観たー」って感じ。僕の好きな軽快に動くアニメ。TVシリーズになって『MEZZO FORTE』の頃のアクションは控えめになるのかと思ったら、動く動く。無茶する無茶するw ぶっ飛ばしな設定とか含めて、これジャパニメーションだよねって言ったりなんかして。

第02話 星の殻

いいねぇ。ぶっとびのSF設定。細かなドラマとか一切無視して、さっさとアクションシーンにいくんだもんなぁ。作画するほうからしたら大変だと思うんだけど、そういう心意気は大好き。あさみのこけっぷりとか凄い上手い。話は無茶苦茶だけどね。

第03話 恐の殻

冷却装置付のスーツケースに入った殺傷能力の高い最近を運ぶという仕事の回。運び屋のはずが、犯人に仕立て上げられるというとラップに引っかかった。わりと恐ろしい話のわりには、何だか妙にハートウォーミングな印象だけが残った。それにしても難しいレイアウトで画面つくるなぁ。時間も予算もなくて、それでも高いところで画面つくろうとしてて、志が高くて感心させられる。

第04話 嘘の殻

ちょっぴり雑な回だった。社長婦人の浮気調査。ミクラは今回は参加せず、男二人の調査。尾行の仕方から始まって、クラブでの乱闘劇、その後の展開。どれもこれも雑な感じ。どうしたんだろ?

第05話 嘘の殻 episode nega

第04話と同じ時間軸の別場面。パルプフィクション的試みは完全に失敗に終わっている。観ている人のほとんどがそう感じたと思うし、きっとそれは監督が一番わかっているだろう。久々にメゾフォルテの映像を見たが、あまりのクオリティの違いに愕然としてしまった。エロアニメの方がクオリティ高いって…。今回、ミクラの過去がかなり明かされた。神がかっていた前作『MEZZO FORTE』の複線が入っていたので、そっちに主眼がいってこういう形に落ち着いたのかな?

第06話 億の殻

原田の過去も明らかに。高校時代に付き合ったツンデレキャラのマノンという女性が、実はアサクラ技研がつくったアンドロイドで、それを知って怒った原田が研究室を破壊。捕まるという内容。マノンの精神はソフトウェアで、ハード部分は入れ物としての身体という捕らえ方がなされている。晩年の押井守の世界ですな。ここ数話でキャラクターの絵の感じが随分と変わってしまった気がする。

第07話 哀の殻

少女の霊が出るという幽霊マンションの話。そのマンションをヤクザが占拠しており、マンションの所有者が依頼してくるという流れ。ヤクザはフェイクで、核は所有者にあった。所有者の夫婦が40年前に自分の娘を殺し、ミイラにした。アクションはかなり少なめ。ハートウォーミング過ぎな感じもあるが、それは松来未祐さんの回だったことが原因か。松来未祐いい声してるよ松来未祐…って事で。

第08話 想の殻

安っちい回だった。夢をコントロールするってのは『トータルリコール』が元ネタだろうか。触手とか出てきて、完全なエロアニメの世界。神動画だった前作の『メゾフォルテ』はたしかにエロアニメだったが、こういうことはしなかったよなぁ。どうなんだろう。うーむ。

第09話 夢の殻

無差別殺人を行うピエロの話。あんまり記憶にない。

第10話 呪の殻

さすがにこのシナリオは無いなぁ。財宝の詰まったミイラの輸送を請け負う。この時点でもかなり無理はあるのだが、さらにその極秘裏の仕事が敵にモロばれしてるし…。カーチェイスの果てに敵が全部ネタばらしするし…。MEZZOは全面的に肯定したいのに、このストーリーはさすがに軽すぎて困る。話が大きくなるとどうしても無理の方が目立ってしまうなぁ。

第11話 幻の殻

なかなか面白いプロットだった。画面を見た人に自己催眠をかけるというコンピューターウィルスを使用して、ヤクザの組長の命を狙う。組長の側は何人も替え玉を用意するが、ウィルスによって殺人犯はランダムに現れるため、次々と替え玉は殺される。しかも催眠状態の殺人犯は殺しを終えると自爆するという徹底ぶり。その一人の替え玉に抜擢されたのが黒川。ここに別件で黒川の命を狙うブラックシザースの話が絡んだために、30分ではちょっと消化不良気味だった。ブラックシザー関連は何話もまたぎながら底流でずっと続いているが、リアリティにかけるのであまり好きではない。そういえば、組長を守る組員が普通にマシンガンを持って門の前に立ってたけど、このアニメの世界って日本じゃないのかな? 近未来の日本っぽいどこかって事なんだろうか。

第12話 因の殻

細かなプロットで興味深い展開。そういう演出が2度続いている。いい感じ。序盤の戦闘シーンなんかは間違いなく監督は不本意だろうな。このアニメって、ハリウッドのアクション映画と同様、画面のインパクトありきの演出だもんなぁ。ブラックシザースとの関係は悪くないし、おそらくアメリカのギャング物とか好きなんだろうなぁ…というのも伺える。僕もそういうの好きだし、この作品の持ってる雰囲気も好きなんだけど、どうもしっくりこない。残念。

第13話 壊の殻

所長とアイドルの関係が白昼のもとに晒され、何だかんだで、根の深い警察絡みの悪事が解決された。みんな無事だったしハッピーエンド。チョキチョキの人も残っていたりで、まぁ…いいんじゃないでしょうか。

Posted by Syun Osawa at 23:49

2008年02月11日

これならわかるサーバ 入門の入門

瀬下貴加子/2006年/翔泳社/A5

サーバー入門の入門人が何かの知識を身につけていく過程には段階がある。優秀な人はその段階の数が少なく、そうでない人は多い。僕の場合は段階の数が必ず多いため、何かを始めるときは息切れしないようにできるだけ導入部分のハードルを下げておく。この本はそういう人にとってうってつけの本だろう。

「インターネットの仕組みとは?」とか「グローバルIPアドレスとプライベートIPアドレスの違いは?」みたいな話でこの本はつくられおり、まさにタイトルどおり入門の入門。サーバーについて少しだけ知識を得なければならなくなった僕にはちょうどいい導入本だった。決して入門書ではないのだ。初心者がサーバの学習をするときに、体が示す拒否反応みたいなもの和らげてくれるための本といえばいいだろうか。

人によってはこの手の大枠の話や、構造についての知識、考え方などを学習することを嫌うこともある。おっさんの僕は、こういう事態に陥ったとき、全体の知識と細部の知識は交互に身につけていくほうが結果的に都合がいいということを、経験則として身につけてしまっている。だから、未知との遭遇には迷わずこの手の本から入ることに決めているのだ。

Posted by Syun Osawa at 12:32

2008年02月09日

アメリカ美術と国吉康雄 ― 開拓者の軌跡

山口泰二/2004年/NHK出版/四六変型

アメリカ美術と国吉康雄僕は国吉康雄を藤田嗣治経由で知った。藤田嗣治が戦後、アメリカで展覧会を開こうとしたときに、ベン・シャーン(だったかな?)と二人で開催を阻止したという逸話があったからだ。

国吉康雄がアメリカで成功した画家であることも知っていたが、藤田が成功したフランスと比べると、当時のアメリカは二番手という印象があったためそれほど気にはしなかった。プロレタリア系の作家が戦後の日本の美術界と同様に騒いだのだろうというくらいの認識だったのだ。

今回、この本を読んだことで、その印象は大きく変わった。フランスの藤田とアメリカの国吉は並列で語られるべき存在なのだ。事実、藤田は国吉の力を高く認めており、アメリカで活躍していた国吉をフランスに呼び寄せたのも藤田だったらしい。藤田は日本で美術学校を卒業し、日本の芸術を身体に取り入れ、それをフランスで捨てて自分の芸術を確立したのに対して、国吉は日本の芸術を取り入れることなく、ダイレクトにアメリカの芸術を通して自分の芸術を確立した。この違いはとても大きい。だから、単純に海外で成功した二人の芸術家という捕らえ方だけではすまないのだろうと思う。藤田はフランスで日本画のエッセンスを取り入れているが、国吉は日本的なものを取り入れていない。

また、国吉が通った美術学校アート・スチューデンツ・リーグには清水登之も通っていたらしい。国吉はアメリカにとどまりアメリカ側からプロパガンダポスターを制作した(1枚だけだが)。逆に清水は日本に戻って日本側の従軍画家として戦争記録画を描くことになるのだ。こうした状況を重ね合わせると、芸術は戦争とは無関係ではいられないことがわかる。

国吉は組合活動などを積極的に行ったために、共産主義者としてのレッテルを貼られ、多くの批判に晒されてきた。彼はそのことをよく自覚しており、マルクス主義からは意識的に距離を置いていた。松本俊介のような立ち位置なのかもしれない。僕はこの立ち居地がとても好きだ。というのも、マルクス主義も社会主義の社会も必要性を感じないが、組合は必要だと感じるからだ。日本では組合=左翼=社会党&共産党といったイメージに陥りやすく、現実にそうだからなのだが、そういう印象を持たれる可能性を丁寧に排除して、自由な一人の芸術家として確固たる地位を築き上げたこと、しかもそれをアメリカ国籍を持たずに成し遂げたことは素晴らしいと思う。

ところで、日本では一時期、戦争記録画を扱うことがタブーとされていた事があったそうなのだが、国民の戦意高揚を促した事の反省としてタブーとされたのならば、それはちょっと変な気がする。というのも、ドイツのナチ公認だった大ドイツ展も含め、これらの絵画に内在する思想そのものを批判することと、戦意高揚を促すことを意図して描いたという描画形式を批判することは違うからだ。前者は勝者の論理でしかないし、後者はアメリカで描かれたファシストを批判したポスターや志願兵募集のポスターのほうがよほど下品で、プロパガンダとしての技術が多く使われており、芸術とは遠く離れている印象があるからだ。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 11:51

2008年02月05日

特集 国吉康雄 ― 寄託作品を中心に

2008年1月2日−3月20日/東京国立近代美術館 ギャラリー4

特集 国吉康雄 ― 寄託作品を中心に以前、東京国立現代美術館のメルマガで国吉康雄の展示をやるというニュースが掲載されていたので、てっきり国吉康雄展をやるのだと思っていたら、常設コーナーの特集展示だった。

とはいえ、有名な作品も何作か展示されており、《誰かが私のポスターを破った》《ふたりの世界》《カーニヴァル》《サーカスの女玉乗り》などがあった。

戦争と芸術 関連では《誰かが私のポスターを破った》は外せない。プロパガンダポスターに描かれた手が手前の女に絡み合って息苦しい。タバコを持つ手、目が哀愁を帯びている。国吉はタバコを持つ女性を多く描いたが、彼にとって女性の持つタバコというのは社会進出を果たした女性の象徴だったのだろうか?

もう一点、《二人の世界》も僕の中で重要な作品である。

遠くに荒廃した街が描かれ、手前のビーチではアメリカ人と思わしき3人の女性が歩いている。3人に笑顔はなく、少し不満そうな表情を浮かべている。山口泰二『 アメリカ美術と国吉康雄 』では、この絵は分断された日本とアメリカであると読み取っていた。第二次世界大戦が始まる直前、日本人としてアメリカで暮らす国吉にとって、この分断はとても辛いものだったに違いない。

この画について、自分なりの解釈を付け加えてみる。よく見ると、手前のビーチと奥の島の間にあるものは、海を示しているように見えるが、草原のようにも見える。正確に言えば、草原であった場所が海になっているというイメージ。一度草原を描き、その後で海を描いたのだろうか。左にある木は地上のものであるにもかかわらず水に沈んでおり、その横に車輪が一つ浮いている。このことから、二つの世界の間の海は、もともと陸続きであったと考えることが自然であろう。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:46

2008年02月03日

理科イベ=熱いK-1=熱いニコドル=熱い学者

function code();森永理科タソを見るために下北沢のdisk unionへ。

理科タソがボーカルをつとめるfunction code();なるバンドのイベントに参加するためだ。みっくすJUICE的なものを期待していたんだけど、全然違っていた。なんつーか、ビジュアル系? 僕にはちょっと難しかったね;; まぁ…森永理科の可愛さと自由さはガチだったからいいけど…。

で、今週は…。

ぼーっとK-1見てたら、前田宏行が出ていて驚いた。

しかも、試合がめっちゃ熱かった。HAYATOとの試合では、解説の畑山も「行けー」と思わず声を上げるほどのラッシュも見せたし、どのパンチにも魂がこもっていた。K-1の会場なのに、なぜか前田コールが凄くて、さすがに格闘技ファンはわかってるなと思った。

熱かったといえば…。

デリらじが熱かった。ゲストに鈴木ナンさんが登場し、最上級のコントを展開。みんな身を削ってたくましく生きてるな。僕はそういうのを知ったから、遅まきながら声優ファンになったのだ。学生時代は冨永みーなさんの『はいぱぁナイト月曜日』しか聞いてなかったし。

もはや腐女子の独占市場ではなくなったのか…

ハロプロのダンスを海外の女性が踊るというパフォーマンスが数年前からYoutubeで流行していた。その流れなのか、日本人の女性もニコニコで熱く踊っていることを今更ながら知った。

池田信夫 VS 天羽優子

これは熱い対決。マルケス VS パッキャオみたいでドキドキです。天羽優子さんの反応 とか。天羽さんは ニセ科学フォーラム で見たことあるけど、なかなか個性的な人だった。

学力は低下してない??

読売新聞も変な記事書くなぁ。トピックになれば、ソースの怪しさとかどうでもいい感じになってるのか。

YouTubeでエヴァを見たつもりになるな

島本先生…熱いです!

で、東浩紀さんの著作権の考え方 なんですけど、ちょっと袋小路では? オタク原理主義 を貫いたところで、アメリカ文化の洗礼を受けて育った僕達にとって、著作権の問題って金の問題だと思うのね。

新左翼とは何だったのか

コメント欄に注目。池田さんが学部生だった頃に起きた事件について書かれている。熱い学生時代。

ナディア論(前編)

島編をそこまで突き放して見ることができるのか…評論家も熱い。

やさぐれヒカル

ヒカルも熱い。

手に入れた本など

鎌田茂雄『五輪書』(講談社)
魔夜峰央『横須賀ロビン』(白泉社)
蔡志忠『マンガ老荘三〇〇〇年の知恵』(講談社)

Posted by Syun Osawa at 10:21

2008年02月02日

メディア・バイアス ― あやしい健康情報とニセ科学

松永和紀/2007年/集英社/新書

メディア・バイアスこの本はとてもためになる。

この本を読むことで、食物に対する考え方に修正が加えられる。特に僕のような食の素人にはうってつけの本であった。というのも、これまで当たり前の事として受け止めていた事が当たり前ではなかったからだ。その一番大きな事が「オーガニック食品を食べれば健康」という神話の嘘である。

さらに、無添加、保存料不使用などが商品の購入の選択肢になっていることについても、考え方を改めるべきだと感じた。保存料の不使用は何となく健康にいいように感じるし「エコ」のイメージがある。しかし、保存料を使用しなければ、食品の廃棄率は高くなってしまう。昨今の賞味期限切れのファシズムも同様で、廃棄率が高まれば高まるほど、逆に環境には悪影響を与えているのだ。

食糧問題が深刻化するこれからの時代、農薬も遺伝子組み換え技術も食品添加物もより重要性が増す。そうした時代に、オーガニック食品=健康という宗教を妄信することはとても危険だと感じる。重要なことは、食品添加物や遺伝子組み換え食品などについて正しい知識を持ち、上手に付き合っていくことである。

メディアによってゆがめられたイメージが社会に悪影響をもたらすという現象は今後も続いていくことだろう。それが商売の大切な種になっている限り、それをやめる手立てがないからだ。ならば石原千秋が『 国語教科書の思想 』で訴えているように、メディア・バイアスに対する処方箋としてのリテラシーを子どもの頃から学ぶべきなのだと思う。

Posted by Syun Osawa at 00:58