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2008年11月29日

CJax カナダのアニメーション上映会

2008年10月25日/19:00−21:00/横浜赤レンガ倉庫3Fホール

CJax カナダのアニメーション上映会面白いものから面白くないのまで、いろいろごった煮で楽しめるのが短編アニメ上映会のよいところ。

その一方で、一本の上映時間が短いため、、一つ一つの作品を覚えておくことが難しいのが弱点だ。チラシに写真と簡単なあらすじが書かれてあれば後で思い出せるんだけど、一部しか書いてなかったり、あらすじが抜けていたりすると、その記憶は二度と戻ってこない。今回のチラシは作品名が書かれていたので、ほとんどの作品を後で思い出すことが出来た(一部は無理だったが…)。

今回の上映会は横浜トリエンナーレという美術イベントのカナダ・デーというカテゴリの企画で開催されたため、カナダで制作された短編アニメだけが上映された。それぞれの作品について詳しいアナウンスはなかったので、どういう人たちがどういう流れで作ったのかはまったくわからなかったが、どの作品もレベルが高く、かつ面白かった。

また、上映会の途中で日本のアニメ作家である大山慶さんと久保亜美香さんのトークショーも行われた。どちらも見た目が俳優さんのような感じだった。そーいや昔、NHKのデジスタでアニメ作家をアイドル売りするというトンデモ企画あったな。あれどうなったんだろ?

以下、うる覚えの感想メモ。

3つの願い

by Sheldon Cohen

貧乏人に願い事を叶えさせたら、ろくな願いごとをしない。だからお前らは貧乏なんだという身も蓋もない話。

モントローズ通り

by Marek Colek

画が単純に面白い。色合いもいい。全般的にFLASHのモーション機能を使ったような動きだったが、奥から手前へ移動してくるような動きもよく使われていた。あの動きはどうやって作ったんだろうなぁ…。コマ割りで描いたのかな?

MOOD

by Ann Marie Fleming

まぁ…よくある感じの2Dアニメ。ポップなセンスが光る…みたいな。個人的には結構好きですが。

金魚ジルの独白

by Jim Goodall

エロい金魚が口汚く罵りまくる話。で、最後に自分がトイレに流されてしまうと。外国人の観客が爆笑してた。外国人って結構ベタなビッチ話が好きだな。

カナダの先住民性

by Dominique Keller

通常の世界がアニメで、異世界(過去?)が実写。しかもエフェクトかかりまくりの先住民ダンサーが踊る。

セイウチと出会う

by Josh Raskin

ジョン・レノンが独白したテープの録音に合わせて映像をつけた作品。アカデミー賞でノミネートらしいけど、なんか前にどこかで見た記憶がある。Webで公開されてたっけな? 音楽に合わせて映像をつける作品のバリエーションとも言える。きっと今後、ダライラマのテープなんかに映像をつけた作品なども出てくるでしょうね。

パラダイス

by Jesse Rosensweet

この作者の作品はかなり有名。ブリキのオモチャで世界を組み立てるというコンセプトも好きだし、レールで定められた人生という風にも見れる。そこを無理に破った最後のオチと、それでもレールの上に引き戻される悲しみが現実の切なさを反映していてかなりよかった。

落とし穴と振り子

by Marc Lougee

記憶なし。

新しい隣人

by Anita McGee

実写にアニメーションを重ねた作品。AfterEffectがあれば、特撮技術を使わなくてもこういう作品が作れる時代が来たんだなぁ。エロめ。

愚者石切除術

by Jesse Rosensweet

『パラダイス』と同じ作者。こちらはまた違った雰囲気。立体のキャラクターだけじゃなくて、それを含んだ画面の作り方がとても上手くセンスを感じる。個人的には『パラダイス』のほうがポップで好き。

3Dオペラ「歌に生き」

by John Mark Seck

記憶なし。

フラッター

by Howie Shia

内容はともかく僕は3Dよりも2D好きなので、Studio4℃を彷彿とさせる2Dアニメはそれだけで好印象。一面的なアニメの捉え方という批判は免れないが、スピード感もあってショートショートのよさを表現していると思う。

スー

by Thecdore Ushev

音楽メインのPV風作品。音に支配されているので、僕自身は最近こういう作品についてはあまり気持ちが向いていなかったりする。そういやこの前の ICAF でも、音に映像をつける形で制作されたアニメがやたらと多かったな。僕も同人でそういうFLASHアニメを作ったので、人のことなんて言えたものではないのだけど…。

漂流

by Veronica Verkley

記憶なし。

Posted by Syun Osawa at 08:18

2008年11月27日

更新ソフト不在=スゲェ映像=ドラゴン曲線=休刊とか

なんだか今月はいろいろ買った気がする。EmEditorだったり、中古のInDesginCS2だったり、炊飯器だったり雑多に買った。あとはレンジか…。政府がくれるというお金でレンジ買うかな?

…いや、買えないな。

政府の低額給付金って現金をバラまくんじゃなくて、何かを買った人だけその支払額を政府が半分負担するとか、そういう制度にすれば消費が盛り上がるのに。今のままだと、大抵の人は普通に貯金するどころか、そんなお金が支払われていることも気づかないだろう。

手に入れた本など

島尾永康『ニュートン』(岩波書店)
大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』(岩波書店)
地図『文庫判 東京 都市図』(昭文社)

今月号の『熱風』は熱かった! 何と宮崎駿さんの文章が講演録も含めて2本も読める。宮崎信者である僕は正座して読んだ。冒頭のインタビューでは、宮崎さん自身のの東映動画時代の組合活動と絡めて最近の若者論について語っていて、ちょっと珍しい感じだった。

更新ソフトの不在によってRSSに集約されていく話

3年ぶりくらいにWWWCを開いた。これまでWeb上のサイト巡回のほとんどをWWWCの更新チェックに頼っていたのに、RSSリーダーの登場とブログの急増でいつしかブログしか読まなくなっていたことに気づいたからだ。

そのため、僕はこの3年間というもの、ニュースサイトからのリンク以外で個人のホームページを訪れたことがない。ブログかブログ形式のニュースサイトしか見ていないのだ。ここで発生する問題は、同人系サイトの多くの情報を取りこぼしてしまうことだ。こういう場合の対処方法を調べてみたら、同様の問題に悩んでいる人 を発見。

FireFoxの Update Scanner を検討中。

この映像スゲエエエェ!

新しい表現の地平はまだある。昔、大阪城ホールにU2のライブ(POPツアー)を観に行ったときの超巨大スクリーンにも度肝を抜かれたけど、10年以上の時を経て、明らかにそれを超えた表現が作り出されている。本当に素晴らしいライブ映像だと思った。

ポエ山さんがWノミネート!

しかもquinoですがな! あ、熱過ぎる…。

青池さんの『ペレストロイカ』が見れるよ!

大人計画の人たちが声優をしていたりしていろいろ豪華な作品。クレイアニメとFLASHアニメの融合という、今までも、そして今後も珍しい位置づけになるであろう作風がいい感じです。

全然知らなかったFLASHアニメに関する騒動

あまりにFLASHアニメから離れすぎたために、こういう騒ぎが起きていたことをまったく知りませんでした。いやはや、これは可哀想。いや、詳しくは知らないのでどうこう言える立場にはございませんが…。

ミスチルのPV

半崎信朗さんのアニメ作品。加藤久仁生さんの次は半崎信朗さんって感じでしょうか。キャラクターの中に生命を宿そうとしているところが僕は好きです。日本の個人制作系アニメ界(あんのそんなの?)は素晴らしい才能がどんどん出てきますな。

Grzegorz Jonkajtys監督作品「Ark」

DIGITAL DJより。キャラクターの造形も、音楽もいいですね。しかもオチが最後に二転三転していて持ってかれます。

宮崎駿監督発言でネット大混乱

麻生首相のマンガ好きを「恥ずかしいこと」と発言したことで、ちょっとした騒動になっているらしい。宮崎信者の僕が言うのもなんですが、まったく正しいとしか思えない。そもそも恥ずかしいと思いながらこそこそやるという感覚を持たないとしたら、そっちのほうが日本人的感性を失っているでしょう。

不幸続きのおじいちゃんの話を聞く少年

2Dの手描きアニメ。考え方の転換が一つのテーマになっていて、不幸と思えば不幸だし、それを超えて笑っているんだから五体不満足でも幸せだというおじいちゃんの回想録。それを聞いていた少年にその後の心境の変化が約束されなかったところが悲しい。

オスカー長編アニメーションについて

日本の不幸は日本産のアニメがあまりに充実しているため、海外の長編作品(特に2D系などのエンタメ志向の作品)が日本に入って来にくいことでしょうか。ごくたまに『 コルトマルテーズ 』や『 マリといた夏 』のような作品が日本にもやってきますが、本当はもっとたくさん作られているはずで、そういう作品を僕は見たい(シュヴァンクマイエルとか過剰な作品だけでなく)。

デジタルペン|airpen(エアペン)登場

そろそろデジタルペンは決定打となるものが出るべきだと思う。

『Bibus』サイト閉鎖のお知らせ

アイドルオタク的に麻亜里ブログを追いかけていたので残念。ここのサイトって何だか凄く変だった(しかも重かったし)。

踊ってみたタグのゆるいエンターテイメント

「踊ってみた」タグはいつもいつも熱い。PPのカオスver とか含めて、この軍団は本当に面白い。

噂の自衛官の論文

昼飯食いながらさらっと読んだんだけど…これで300万円か! マジか!

僕たちのニセ科学批判ではこうは考えない(たぶん)

ニセ科学批判の批判を通り越して、理系の人全般に対しておかしな批判をする人も結構いたりします。「俺テレパシーで連絡取ってるから携帯なんていらね」とか、そういう人なら堂々と批判すればいいと思いますけど。

ドラゴン曲線をプログラムの知識なしで書く方法

これは面白い。そしてカッコいい。

Hello Worldの中の人が帰国

ずっとブログ見てました。なんか感慨深い。

「KKK」加入儀式から逃亡の女性、射殺される

『ミシシッピー・バーニング』の中だけの話じゃないのね…。

『わしズム』が休刊になるらしい

これ以上ないっていうくらいのピンポイント爆撃というか、よしりん信者一本釣りというかで続いていた本だったと理解していました。休刊って事はよしりんの求心力も少しずつ無くなってきたのかも。

ジュンク堂書店、本1冊から送料無料

本屋って再販制度があるので、書店側の取り分は多くて2〜4割くらいでしょう。そこから更に送料分を負担するわけだから、利益としては厳しそうですね。ジュンク堂は取次ぎが大阪屋(Amazonの母体)なので、そういう流れで何か仕組まれているのかな?

なぜ引きこもるのか?

他人に迷惑をかけたくないから引きこもるのだ。たぶんね。

Posted by Syun Osawa at 01:47

2008年11月25日

早稲田文学 十時間連続公開シンポジウム

2008年10月19日/10:30−20:30/国際会議場・井深大記念ホール

早稲田文学 十時間連続公開シンポジウム登壇した面子が豪華だった。

今回のシンポジウムは4部構成(プラス余興が2つ)になっていて、1コマの長さは2時間くらい。かなりの長丁場だったにも関わらず、どのコマの議論も充実していて飽きることがなかった。

やっぱこういう場ではしゃべりがこなれている人、キャラが立っている人が強いねぇ。特に東浩紀さんが全部のコマに参加していたことが、盛り上がった一つの要因だったのかもしれない(つーかそうでしょう)。

ともかく、座りっぱなしの10時間はさすがに疲れた…。

pod 1 文化メディアの現在

論壇プロレスを見ることのできた唯一の回。朝から「佐々木敦 VS 東浩紀」のバトルが見れたのはよかった。最初のきっかけは『エクス・ポ』の編集者による宇野常寛批判だったんだけど、そこから親同士の争いって感じに展開した。よーするに、下北沢から音楽を通じて批評している人にしたら「ゼロアカはダサい」ってことなんだろうかね。

僕も6年くらい下北沢で働いていたし、音楽評論も大学生の前半くらいまでは好きだった(ベタにロッキングオンですが…)。ただ、エレクトロニカについて言うと、音楽雑誌とCDショップ経由ではなくオンライン・レーベル経由で音を聞くようになった10年前から、少なくともエレクトロニカの中にヒエラルキーを見つけることは絶対に不可能だと思うに至っている。よーするに、下北幻想はエレクトロニカの全体性を確保していないってことですね(当たり前か)。

pod 2 日本小説の現在

この回は「渡部 VS 東」の緩やかな新旧世代間闘争。渡部直巳さんの話が面白かったし勉強になった。

exe 1 ゼロアカ道場告知

昼飯食っていたので見ていない。ニコニコ動画と東ブログを見ると、軽くすべった模様。

pod 3 文芸批評の今日的役割について

大澤真幸と福田和也が並んでるだけで、もの凄く豪華に感じる。宇野さんが批評について「江藤淳みたいに、ぬえみたいな文章を書きたい」と言ったのに対して、大澤さんは「そういう文章を書きたくないというのが出発点だった」と言ったのがとても印象的だった。世代的には宇野さんと近いが、大澤さんの話のほうがより共感できた。

pod 4 読者と小説

文学系のシンポジウムって言ったらこんな感じだよね! って感じの回。アイドル評論家としての中森明夫さんの力量が光った。アイドル評論の話から始めて、北乃きい主演の映画の原作が早稲田文学新人賞の作家によるものだという話にもっていく展開はさすが。あそこでプレイヤーとして「書評ってこういうことでしょ?」という風に示してみせたのがよかった。

ただし、夏帆主演の映画『天然コケコッコー』の話については、中森さんはちょっとだけ重要なことを隠蔽した。「あの映画は夏帆が可愛い」と結論付けたが、アイドルオタク的には当然足りない。「あの映画は夏帆の水着が見れる」これが正解なので。

exe 2 東浩紀×阿部和重対談

奇跡の再開。5年ぶりらしい。阿部さんって40歳なんだ…。見えない。

(追記)
新城カズマさんが最後に言った「東浩紀は誘い受け」という言葉が一番ツボに入った。

Posted by Syun Osawa at 00:36

2008年11月23日

ゼロ年代の想像力

宇野常寛/2008年/早川書房/四六

ゼロ年代の想像力「あえて」の劇場型エッセイといった印象。予想以上に面白かった。

著者の宇野さんとは世代が近いせいか、彼の語る90年代以降のカルチャー史についてはそれなりに共感できる部分が多かったような気がする。そんなわけで、ちょっとだけ思い出話でもしてみる。

この本の中で重要な作品として挙げられている『エヴァンゲリオン』は、僕が高校から大学に上がる頃に流行していた。そして、エヴァという作品世界を覆っていた中二病的な感性は、当時の僕の中にもあるにはあった。ただ、受験シーズンの到来によってエヴァへの興味が薄れ、いつの間にかそんな感性からも卒業してしまっていた。また、僕の場合はエヴァよりも松本大洋あたりのちょっとドライな空気感にひかれていたので、当時も碇シンジのようなヤツはたまらなく嫌いだった。

思い出話を続けると、大学生の頃は「セカイ系」的な感性(残存したエヴァブームも含め)とは距離をとりつつも『雫』や『痕』にはそれなりにハマった口で、ノベルゲームブームに乗じて僕も『燃えて京都』という作品を作ったりもした(といっても第一章だけだが…)。

素人が作ったものなのでストーリーも単純。それは「学生生活を満喫できない中二病的な感性を持つ高校生が、好意を寄せる不思議ちゃんとのつながりを断念し、閉じた世界の外側へと飛び出そうとする」という話だったと思う(第一章はここまで)。

そして、主人公の男の子は修学旅行先の京都駅で脱走する。脱走の途中に三島由紀夫にあこがれる引きこもりの少年が金閣寺を燃やそうとすることを知り、その話に乗るか降りるかを考える。結果的には彼をソープで働く姉のもとへ返し、自分はひっそりと修学旅行の中へと戻っていくというようなことを考えていた。

こういう作品をジメジメ作っていたことからもわかるように、「どこかにいるかもしれない不思議ちゃん的な女性とのつながりが世界を救うという感性を捨てよう」という感覚は90年代後半にすでにあったことは確かだ。そして、その感覚を抱いていた人は、結構多かったように思う。そういう経緯もあって、宇野さんがゼロ年以降に肥大化した「セカイ系」を古い感性だと書いたことには同意できる部分が多かったのだ。

ただし、それ以外のところについては共感できない(もしくは理解できない)部分も多かった。

「安全に痛い」という話は、そもそも安全ではない漫画、アニメ、小説、映画などがどのようなものか僕にはわからないし、異なる価値観を有する島宇宙同士がぶつかり合う話も上手く飲み込めなかった。

特に後者のほうは、例えば民族紛争にしても、宗教対立にしても、領土の取り合いがベースにあり、最終的には住み分けることで事態は収束されていく。よって、すでに住み分けされている異なる島宇宙同士がぶつかり合うということには疑問を感じるのだ。

そうではなく、同じ土俵(レイヤー)でバトルできる島宇宙の中でのぶつかり合いのほうがより激しさを増すのではないか。そして、島宇宙がより小さな島宇宙へと住み分けられていくという風に考えたほうがスッキリすると思う。

宇野さん自身「鵺のような文章を書きたい」と語っている通り、この本で語られている歴史(のようなもの)はハッキリ言ってしまえば雰囲気芸で、その芸については現役の批評家たちを唸らせる達者ぶりだ。特に特撮ヒーロー物の話は、村上龍的に表現するならば「5分後の批評」といった感じでかなり面白かった。その手の楽しみは個人的にも好きなので、5分後の批評家としての彼の動きは今後も興味を持って追いかけてみたいと思う(酸っぱい葡萄うんぬんの話はあまり感心しないけど)。

PS.
彼が本の中で言及していた「生きてるだけで丸儲け」という言葉は、明石屋さんまの座右の銘として古くから知られている。

Posted by Syun Osawa at 00:14

2008年11月20日

若手批評家サミット2008

2008年10月12日/14:00−15:30/三省堂書店本店

宇野常寛さん、荻上チキさん、濱野智史さんによるトークイベント。

宇野さんが各論と総論の話を「大きな物語の喪失と島宇宙化した世界における決断主義の克服」という軸で以前から議論を展開されているのは知っていたので、そのあたりの話はなるほどと思って聞いていた。世代が近いからかもしれないか、雰囲気的には納得できる話が多い。

ただ、ウェブコミュニティの話はmixiもほとんど使っておらず、はてな民でもない僕には少し敷居が高かった。特に「酸っぱい葡萄」の話(非モテ論壇の話)は特定の誰かを対象にしているように聞こえたが、上手く想像できなかった。

あと、リテラシーの話も少し出ていた。島宇宙がそれぞれの価値観を持って回っているとすれば、それらがぶつかり合う状況は避けられないように思える。そこで必要になるのがリテラシーという考え方なのだろう。たしかに、石原千秋さんが『 国語教科書の思想 』で書いていたように、島宇宙の中でしか通じない道徳よりもリテラシーのほうが、これからの時代は重要な役割を果たすと思う。これについては、リテラシーを倫理に置き換えれば、石原千秋さんの言葉がわかりやすい。

道徳とは「内輪でしか通用しない正しさ」であり、倫理は「わかり合えない他者との間で交わされる配慮」のことであるとしている。

個人的にはゼロ年代の評論というのは、最後尾に新人類を乗せた昭和の最終列車が去った後、東浩紀は駅員に乗り遅れたことを逆切れし、その下の世代は「もはや何もない」と今ここにある状況を言っているだけのような気もしている。つまり、まだ次の電車には誰も乗っていないのだ。

僕にはゼロ年代の評論というものについてまったくと言っていいほど知識がなく、また想像力もない。今回のイベントを通して、少なくとも新しい想像力を持った一群が動き始めているような印象だけは受けたので、ひとまず宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』を読むことから少しずつ理解を深めていこうと思う。

Posted by Syun Osawa at 07:32

2008年11月16日

ジョン・エヴァレット・ミレイ展

2008年8月30日−10月26日/Bunkamuraザ・ミュージアム

ジョン・エヴァレット・ミレイ展混み過ぎ。しかも、Bunkamuraザ・ミュージアムは相変わらず照明暗いし。

ミレイの《オフィーリア》はテート美術館で見ており、今回十年ぶりの再会となった。置かれる場所が変わっても、絵の中の世界は変わらず同じ位相空間を捉えており、恐怖を感じるくらいの静寂と緊張感を漂わせていた。

ミレイのラファエル前派時代の初期作品は、偽物の世界にリアリティを加えるために具象画としての写実性を徹底させている。例えば、《オフィーリア》では死者を取り囲む自然は過剰なまでに描き込まれ、その空間が劇的な場面であることを強く印象付けている。

そう、ミレイの作品はどれも劇的だ。フィルムがない時代に偽史を主題とし、具象画によってそこに真実味を与えることで世紀末の感性を読み込んでいるところに彼の作品の面白さはある。こうした写実性がロマン主義へと受け継がれ、後の社会主義リアリズムへも影響を与えていくところも興味深い。神が死に、その克服として作られた偽史の世界像が、やがて実際の世界でリアリティを持つようになるからだ。

この時代の空気とあわせて考えれば、嘘の世界は具象画で描かれ、本当の世界は抽象画で描かれる時代の分水嶺として彼の作品は位置づけることができるのだと思う。

ところで、ミレイはカリカチュア(挿絵)を多く描いていたことから、漫画や風刺画への興味もあったようだ。カリカチュアは美術館では刺身のつま程度にしか展示されないが、絵画における演出(つまり漫画的な演出)を考える上ではかなり重要なのではないかと思ったりもする。

Posted by Syun Osawa at 00:22

2008年11月14日

崖の上のポニョ

監督:宮崎駿/2008年/日本/新宿ピカデリー

崖の上のポニョ宮崎駿信者で良かったと思えた作品だった。

彼の子どもへの偏愛っぷりが炸裂していて、その躍動感が他の誰にも追いつけない粋に達していたように思う。僕はこの映画を見ていて、アニメーションのあまりの自由さに何度か泣きそうになった。僕はこの作品を全肯定したい。

最初に登場する宗介の動きでまずやられた。宋介がポニョを見つけて崖を上がっていくシーンで、後ろから波の魔物?である水魚が迫っていてもまったく気づかない。にも関わらずギリギリのところで切り抜けるのだ。こうしたピンチの演出が今回も冴え渡っている。

宋介が嵐の中で一瞬海に投げ出されかけるところを間一髪でリサが捕まえるところなども本当に芸が細かい。過剰なまでのピンチの演出と、そのピンチをいかに切り抜けるかというところで話を引っ張っていくシンプルで強い展開は、宮崎駿の後継世代がやろうとしてもなかなかやれなかった部分なのだ。

また、モブとして描かれる大型タンカーや飛行機のの動くスピードが変だったり、宋介を抱くリサの腕がアップのシーンだけありえないくらい太かったり、とにかく子どもから見た世界として描こうとしている。こういう世界観はよほどの変態でない限り描くことはできないだろう。

僕がこの作品を肯定するのは、彼のピンチの演出と対象に対する偏愛を批評的な自戒なしに炸裂させたところにある。『千と千尋の神隠し』では自戒のほうに涙したが、今回はアニメーションの自由さに涙した。

ストーリーのほうも演繹的で構造的にも練られていないように見える(実際には練っているのだろうが…)。批評を誘発するような帰納法的なストーリーが今のアニメ界を支配している中、「アニメート」することの本来的な意義みたいなものを巨匠自らが作品で語ってくれたような気がして嬉しかった。

Posted by Syun Osawa at 01:23

2008年11月12日

ボクシング三昧=踊ってみた=今更ネタがいっぱい

ミハレスが負けた。ムニョスとの統一戦で完勝し、Sフライ級のスター街道を歩んでいたミハレスが、IBF世界王者のダルチニャンとの統一戦でKO負け。動画 を見るとダルチニャンの左がよく当たってますね。勝ったダルチニャンも凄いですが、強い相手とばかり試合するミハレスも凄いです。やっぱりボクシング幻想ってのはそうでないとね…。

カルザゲとロイ・ジョーンズの試合は、カルザゲが勝ったらしい。

格闘技で唯一ヤンキー幻想が機能するのがボクシング?

久しぶりに後楽園ホールにボクシングの試合を観に行った。仕事が遅くなってしまい、ジムの人の試合は観れず。で、残りの試合をボーッと眺めながら、思ったことが二つあった。

一つはヤンキー幻想はまだ生きているってこと。もしかしたらこれは、格闘技の中ではボクシングが一番あるのかな? というのも、総合などでは柔道やアマレスなんかのアスリートも入ってくるからヤンキーの領域がどうしても減ってしまう。一方、ボクシングはアマチュアボクシングがあるものの、ヘッドギアをしたフェンシングに近いようなスタイルだったりもするので、アマがプロに上がるときには素人とアマ経験者が少し近いところからスタートを切るということも要因として挙げられるかも。

もう一つは、効くパンチと効かないパンチについて。ボクシングは体重契約をしているので、当然体つきは同じ。ところが、試合をすると強い人と強くない人の差が出てしまう。さらにKOできるパンチを持っている人ともっていない人という差もでる。これが凄く不思議。強そうな人が強くなかったり、効きそうにない軽めのジャブがカウンターになってKOしたり。本当に不思議な話です。

辰吉の復帰戦

タイで強行開催した試合の模様です。ガード上がりませんね(泣)。

小堀が来年1月に初防衛戦…WBAライト級

この試合がまさに天国と地獄を分けますね。勝てば、それこそ加熱しているライト級戦線に一気に名乗りを上げることが出来るわけですから。

踊ってみた新時代の四姉妹

四姉妹とか言ってアンチも増えて…ってのも繰り返されてますね。いとくとらやジョニーも芸達者で好きなんですが、結局は マスクドエロス最強 ってところは相変わらずです。あとは、ギリ子とかブラ子とか松子とかふにゃ千代とかいろいろですね。ちゅい×ぴい×ものとんも女子高ノリでかなり熱い。

彼女たちを見て、何でこの人たちは顔隠してまで踊るんだろう? とか、ラジオやったりブログやったりするんだろう? とか思ってもしょうがないのですね。批評的に見てもいいことなんてなくて、でも楽しむためにはそれなりに文脈を抑えてアイドル消費すると、踊ってみたタグは演奏系よりも歌ってみた系よりも別の熱を帯びたりするのです。

ハロプロ大量卒業の件について

ハロプロ卒業はアップフロントエージェンシーからの卒業を意味するのでしょうか? 最近はAKB48にも負けてるらしいですし、かなり戦況は厳しそうです。

これこそ美しい女子フィギュアスケーターのポーズ

キミー・マイズナーだけはガチです。

Aira Mitsukiはこう考えていた

「Airaが音楽について語っても言わされてるんだろ。と思う人がいるのは残念なことだと思った。」って書いてあって驚きました。ライムの宇多丸さんあたりが書いたんでしょうけれど、僕もそのように書いた記憶があります。ぶっちゃけ世間的(つっても狭いですが)には、こう思われているわけですね。「バッキバキ」言い過ぎるのでw

アートアニメーターの描いた漫画

久保亜美香さんは横浜トリエンナーレのイベントで作品&トークを見て以来、結構なファンだったりします。何でもアニメ関係の仕事など世界中を飛び回っているとか。漫画も良いですね。才能あって羨ましいわ。

世界初、エクセルで作ったAC/DCのPV

エクセルで作ったことよりも、画面の操作そのものをPVにしているところが面白い。僕もやってみたいなぁ。

Bryum & Kapok: A Memory

日本人が作ったのかと思ったらアメリカ製でした。

トリンプ、「裁判員制度ブラ」を発表

モデルさんの笑顔が悲しいw いくらモデルの仕事とはいえ、おしりに「平等」って書いてあるし、確実に罰ゲームですよね。

首相官邸の見学デモ逮捕事件

何のこっちゃかわかりませんが、動画を見てもよくわかりません。ただ、公安っぽい人が「公妨だぞ!公妨!」って言ってるのが聞こえますから、政治的な意味合いで逮捕されているのでしょうか。警察には過激派の左翼勢力を取り締まる組織があたりするわけで、まぁそういうことなんでしょうね。

個人的には左翼の過激派なんてもはやみんな還暦を迎えて何の力もないんだから、そんな人達を取り締まるために人員を使うのではなく、暴力団対策に人員を使って欲しいと思います。いやマジで! 過激派の取締りなんてどう考えても、公安の存在意義を示すための口実だと思うよ。暴力団とか中国マフィアの取り締まりに全精力をかけろっての。

ニートがデモ(届出有)し、みまもる警察

こういう方向性のほうが、上の場合よりもいいですね。似たようなことをやっているのに、受け取る印象がぜんぜん違う。

仕事を上げてください

僕と同い年でビックリしました。僕と同じく、彼もどうしようもなさそうな感じなので頑張って欲しいです。

「HB」の敵は「PLANETS」?

PLANETSとHBって重なり合いそうで重なり合わない気がします。どちらもサブカル的にテレビが扱わないようなカルチャー全般を取り扱っているようですが、彼らが元ネタとしてリスペクトしている雑誌のカテゴリが微妙に違うような気がするんですね。

〈オタク〉の階級闘争

〈オタク〉という記述がよくわかりませんが、ともかく80年代からの25年史ということで。オタク史はそれなりに需要があるかなと思います。いわゆる個人史的なものではなく。ただしそのときは、いつものお決まりのメンバーだけでなく、いろんな人の証言も集めて欲しいですね。例えばゆうきまさみさんとか。

ロス・ジェネの経済格差

このネタ、結構実感としてもあります。年収の層がグラデーションになっているわけじゃなくて、くっきり分かれている感じ。これは求人情報で提示されている給料とかなり関係していると思いますが、いつまでたっても経験者ではなく第二新卒程度の扱いしか受けられない正社員の層と、普通に就職してそれなりの収入を上げている正社員の層というわけですね。その格差がそのまま能力の差になっていないことに関しては、ちょっと問題かなと思ったりもしてますが、正直経済はよくわかりません。

人を見る目

なぜ科学的な事柄を使って、すぐに日常生活のまったく関係ないことへ一般化したがるのかなぁ。

批評とかゼロアカとか成熟とか

みんなこぞって東浩紀を引っ張り出してますからね。

彼が若い人に受けている理由はおそらく単純なことなのだと思います。それは、どんな相手にも マジレス すること。普通はこうはいかない。左翼系の若い人でも全然そんなことはしない(するように見えて絶対にしない)。インテリやインテリにあこがれる人文系の大学院生なんかはこういうことをしないわけです。「バカにバカ」と言って終わらせない彼の啓蒙活動は結構学ぶべきところが多いんではないかと思ったりもします。

仲俣暁生さんのゼロアカ同人誌評

パラ読みでの雑感です。同じ批評家でも、道場主の東さんとは違った印象を持たれているのが面白いですね。

「元素記号」が美少女キャラクター化に

ここの2ちゃんの反応が面白い。たくさんお萌え関連の教材が紹介されている。僕も何冊か読んだことがあるが、だいたいのものが中途半端で失敗に終わっている。ただし『もえたん』をはじめ優秀な本もあるので注意深くチェックすることが必要でしょうね。こういうのを誰が買うのかっていう問題(読者はどこにいるのか問題)は解決されないわけですが。

手に入れた本など

宮崎正勝『早わかり世界史』(日本実業出版社)
カナレス&ガルニド『ブラックサッド』(早川書房)
水越伸『メディアの生成』(同文館出版)

『ブラックサッド』って昔、買った気が…。押入れのダンボールの中に眠ってるかも。

Posted by Syun Osawa at 01:21

2008年11月10日

文学フリマ&ゼロアカ道場バトル雑感

2008年11月9日/東京都中小企業振興公社・秋葉原庁舎

第7回 文学フリマ文学フリマは一昨年ぶり。

前回 は長嶋有さんらの同人誌『Melbourne1』を買いに行って、エロ同人誌でもないのに凄い盛況ぶりで「文学スゲー!」って思ったわけです。ちょっとだけですが。

で、今回はずっと追いかけていた ゼロアカ道場 が同人誌バトルをするというので、それを買いに行ったわけです。ちょうど同じ日にニセ科学フォーラムがあったために、僕は開会と同時にお目当ての本だけをサッと買って会場を後にしました。ですので、買った時点で東点も大田点も全然知りませんでした。

…と、その辺の話は後にして、ともかく先に戦利品など。

手に入れた本など

飯田和敏『屍学園』
ソメル(さわやか)『Hang Reviewers High』
左隣のラスプーチン『S.E.VOL2』
斎藤ミツ&文尾実洋『腐女子の履歴書』
筑井真奈&雑賀壱『チョコレート・てろりすと』
藤田直哉&井上ざもすき『Xamoschi』
松平耕一&天野年朗(しろうと)『新文学』

今回は、さわやかさんとばるぼらさんのネトラジコンビが同人誌を出されていたり、石原千秋さんのインタビューが載った同人誌があったりしたので、そういうのも買ったのですが、ともかくゼロアカの話を…。

ニセ科学フォーラムから帰ってすぐに2ちゃんねるを見たら、藤田&ざもすきペアが落選していて驚きました。藤田さんが落ちたらニコニコに動画を上げてくれる人がいなくなってしまうじゃないですか。変な話、ニコニコ動画に彼が動画を上げ続けたことが、ゼロアカに興味を持つ層を一段階下にまで広げてくれたように思います。だからこそ、僕もこうやってゼロアカファンとして見ているわけです(藤田ファンではありません、念のため)。普通にやずやチームと藤田チームは残ると思ってました。

てなわけで、ゼロアカ道場もオーラスに近づき多くの挑戦者が消えてしまうことになりましたので、個人的に気に入っていた方の名前でもちょっと挙げておこうかなと思います。

形而上学女郎館の雑賀さん
=「雑賀かわいいよ雑賀」的な消費に近いかもしれない。推してます。

最終批評神話の峰尾さん
=ustでキャラの強さを知った。批評家とは関係ないですけど。

筑波批評社の塚田さん
=ust見る限り一番バランス感覚がいいと思う。武器があればな…。

Xamoschiの藤田さん
=良い意味でも悪い意味でもゼロアカを盛り上げたということに関しては功労者でしょう。勝てると思って演じていたパフォーマンスが、結果的に最高にかっこ悪く受け止められたことについて、僕は彼にこの言葉を送りたいと思います。

「批評界のManic Street Preachersになれ!」

本当にそう思います。

ゼロアカ関係で買った同人誌は4冊で、これは完全に個人的な興味で買いました。「推し」とか関係なく。女子の2チームは百合とBLという知らないジャンルへの興味で、Xamoschiは面子が豪華だったのが理由です。

そして実は、しろうと&松平ペアの同人誌が個人的には一番思い入れがありました。松平さんの「ゼロ年代の学生運動」が革萌同なんかも連想させたりしつつ、最近の若者の関心が絶対に向かないコアなところに突っ込んでいて逆に読みたかったわけです(どこまで共産趣味的なネタとガチを組み合わせてるかが難しいところではありますが…)。

あと、しろうとさんについては、2ちゃんねるの東スレにコテハンとして常駐し、そこからもう一歩先へ進むためにブロガーになった(その頃に彼がスレに書き込んだ内容はちょっと覚えています)。そしてブログで一定の成功を収めて、道場破りに参加したわけです。そういう文脈から考えれば、何ていうか一番熱いですよね。

僕はそういう熱さが大好きです。

いつものことですが、同人誌はいつも即売会の雰囲気におされて買ってしまっていて、それがストレス解消にもなっているため、買っても読まないことが多い。そういうOLみたいな発想では同人誌をつくった人に失礼なので、今回こそはちゃんと読もうかなと思います。少なくともゼロアカが終わる前にw

Posted by Syun Osawa at 01:29

2008年11月08日

リアルのゆくえ

大塚英志、東浩紀/2008年/講談社/新書

リアルのゆくえ大塚英志さんがこの本の中で共産党に投票していることを認めていた。ずいぶん前は橋本派に近いとか、中道だったのが社会が右傾化したから左に見えるだけとか言ってたけど、共産党へのコミットを公言することは彼なりの戦略なのだろうか? それとも単純に手塚治虫の辿った道を追っているだけなのだろうか?

少なくとも「共産党」という言葉を、共産党の内実をあまり知らない人へ上手に使っているようには見える。『赤旗』と言うだけで「うわっ、左翼の人だ…」とか思ってしまう人に、その戦略はそれなりに有効なのかもしれないが…。どうでしょ?

本書の前半部分は『新現実』に掲載された当時に読んでいる。その頃は東浩紀さんに対して、ちょっと変な人だなといった程度の認識しかなかったので、大塚さんの突っ込みに少しだけ共感を持っていた。それは当時、僕が大塚さんの『サブカルチャー文学論』を読んでいたことや、ネット上で東さんの『動物化するポストモダン』に対してオタク側が総突込みをしているような状況とも関係していたと思う。

ただ今はちょっと状況が違う。大塚さんの回りくどい戦略が完全に空転しているように感じるのだ。思想的にラディカルな自分(共産党が?という突っ込みはさておき…)、マーケティング理論で商品をつくってきた自分、民俗学者としての自分といったものを、どれだけ東さんにぶつけてみてもその空転は止まらない。結局ここが、ニコニコ動画で東さんが述べた「大塚さんは考えが甘い」というところなのかもしれない。勝手に東さんの言葉を補足するなら「大塚さん、もうそういう戦略はいいですよ…」ということなのだろう。

本書の中で東さんが書いていた通り、この本は大塚派は大塚の主張に同意し、東派は東の主張に同意するような内容になっている。僕はどちらの意見もそれほど上手く飲み込めているわけではないのだけど、面白さという点だけで言うのなら今の東さんの言動を支持している。

こう書いてしまうと、小泉純一郎を「面白い」という理由で支持した人間と同じになってしまうわけだが、その当時、昔グラビアでお世話になったという理由で蓮舫に投票した僕も、その程度の面白さに単純に動員されてしまう人間なのだ。そのことを自覚した上で、それでも東さんへの興味は失われていない。

その一方で、大塚英志への関心は少しずつ薄れてきている。『サブカルチャー反戦論』買ったんで、あれは読むだろうけど、不破哲三化していく大塚さんにこれからも興味を持ち続けることは難しいかもしれない。

Posted by Syun Osawa at 08:33

2008年11月06日

BLACK MAGIC MARIONETTE-66

監督:士郎正宗/監督:北久保弘之/1987年/日本/アニメ

BLACK MAGIC MARIONETTE-66めちゃめちゃ面白かったw

軍が開発している人型ロボットが完成間近に移送中のトラブルで暴走。プログラムで書き込まれた相手を殺すために作られたこのロボットは、仮プログラムとして入力されていた開発者の娘の命を狙う。そんな中、偶然今回の事件に遭遇したフリージャーナリストが、ロボットが娘の命を狙っていることを知ることになり、娘のもとへ向かう。

早い話が「ターミネーター」ですな。強いロボットが娘とフリージャーナリストを追って追って追いまくるというだけの話。この単純さが成功していて、ブレがないからスピード感が保たれたまま最後まで突き進んでいる。

人型ロボットは圧倒的に強い。ただし、2体あったロボットのうち一体は序盤に軍隊の手で破壊される。この流れから、誰も止められないほどの強さはないことが示されているのも上手い。

一人の少女を助けるために十数人の兵士の命が奪われた。そして、この人型ロボットは修理されて敵国へ向けた兵器として用いられることが最後にさりげなく示される。こういうテーマ性を最後にチョロッと入れる演出も王道で安定感がある。

こういうハリウッド映画のような作り方でつくられたアニメって最近はほとんど見ないような気がする。巨匠たちは独自路線に行きたがるし、若手は日本国内で受容されている商業アニメの方向で作品を作っているから、ハリウッドを意識する必要もないのだろう。強いストーリーに引っ張られたハリウッド映画のエッセンスは、今の日本のアニメ業界でも普通に使えばいいように思うし、個人的にはそういう作品がたくさん見たいという思ったりもする。

ちなみに作画監督が沖浦啓之さんだったりでスタッフも豪華。ともかく古き良き日本アニメの見本みたいな作品だった。

Posted by Syun Osawa at 01:17

2008年11月04日

藤田麻衣子インストア・ライブ

2008年10月10日/18:00−18:30/HMV池袋

1年ぶりに藤田麻衣子の生パフォーマンスを観た。

力強さが増していて、なんかちょっとビックリ。恋愛の歌を直球ど真ん中で歌うこともあってか、客層は女性多め。まだ男性のほうが多いかなと思ってたけど、恋愛の歌詞に共感する女性のハートをがっつり射止めていたのですね。

今回はピアノの弾き語りだけでなく、立って歌う曲もあった。パフォーマンスの幅も確実に広がっている。アカペラも力強いし、直球勝負の重要性を改めて教えられた感じです。ぶっちゃけ、ドラマの主題歌とかになったらどの曲も余裕でヒットしそうなんですけどね。

僕の妄想として、女性のシンガーソングライターはアッパー系とダウナー系のどちらかに振れる傾向があると思っているんですが(女性漫画家と同様に)、今の藤田麻衣子さんはアッパー系な感じですね。どんどん突き進んで欲しいです。

Posted by Syun Osawa at 00:29

2008年11月02日

ICAF2008

2008年9月26日−28日/国立新美術館

ICAF2008ICAFへ行ったのは本当に久しぶりかも。大学や専門学校の卒業制作としてつくられたアニメーション作品を公開するイベントがICAFで、杉並でやってた頃には何回か足を運んでいた。

以前に観たときに受けた個人的な印象では、多摩美のアニメーション作品がICAF参加作品の中では突出していた。

今回は多摩美と武蔵美の作品だけ鑑賞。他大学の作品を観ていないので何ともいえないが、今でも多摩美強しの傾向はあるなと思った。アニメーションの捉え方がちゃんとしてるというか、世界標準の短編アニメの作法にのっとっているというかそんな印象。基礎教養の部分ですでに違うのかも…。もちろん2つの学校しか見てないので、あくまで印象。

上映作品は実際に作られたものの一部だそうで、まだ完成していない人も多いらしい。そういう経緯もあってか、ストーリー性のあるものがかなり少なかった。そして、PVのように曲に合わせて映像を作っているものが多い。アニメに音を合わせるのではなく、音楽の従属物としてのアニメである。そちらは今の海外の短編アニメの流行とはズレているように思うので、その点は少し気になった。

ところで、美大とか芸大って卒業制作の作品として完成してなくても卒業できるんだろうか?

Posted by Syun Osawa at 09:04