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2010年07月31日

靖国 YASUKUNI

監督:李纓/2007年/日中合作

靖国 YASUKUNI少し前に肖像権の問題とかで話題になってたドキュメンタリー。右翼が公開させないように脅したのか、劇場がビビッて自粛したのかはわからないが、そのドタバタが話題を呼んで、結果として多くの人に見られることとなったドキュメンタリー映画である。僕はその当時、話題になっていたことは知っていたものの軽くスルーしていた。

で、どんなものかと思って見てみたら、かなりまともな内容でびっくり。何でこの内容で右翼がピキッたのか不明(そーいや、鈴木邦男氏はいい作品だと言ってたっけ…)。僕は率直に、非常にまっとうなドキュメンタリーだなと感じた。

靖国参拝のシーンでは、入れ替わり立ち代り、いろいろな制服をきた団体が参拝にやってくる。ただただ黙祷する団体もあれば、今の政府の批判を混ぜる人もあり、歴史について等々と述べる団体あり。天皇陛下万歳を叫ぶ人もいた。このコスプレ博覧会のような映像は、靖国の捉え方が重層化および複数化している状況を映し出していたと思う。

例えば、小泉首相を支持するアメリカ人がいて、最初に集まってきた人は彼に好意的だったが、途中からガラの悪いおっさんがやってきて「毛唐は帰れ」と単純な罵倒を繰り返していた。他にも、中国人が国歌斉唱を妨害したとき、最初は注意だったのが、途中でリンチに変わってしまった。右翼的な言説を叫び続ける人が持つある種の負のベクトルが、何かの拍子にガッと集中して爆発してしまうのだ。中には「やめろ!」という人もいるのだが、その群衆の中で怒りを発散させてしまう人の恐ろしさが淡々と映し出されていた。

それと対照的だったのが、靖国刀を作る職人で、彼は余計なことは何も言わない。軽々に言葉にしないのだ。宮司の言葉も重かった。単なる政治批判や現状批判のための道具として靖国を使ったりはしない。彼の声は、どこまでも宗教者としての声だった。

てなわけで、非常にいいドキュメンタリーだったし、こういうドキュメンタリーを撮ったのが中国人だというのもちょっと驚きだった。ただ、この作品を海外の人が見たとき、果たして靖国のことがわかるようになるかと言われると、そこはやや疑問である(今、日本で起きている靖国周辺の喧騒は上手くすく追い上げているとは思うが…)。

Posted by Syun Osawa at 13:48

2010年07月29日

公開講座「戦後青年マンガのあゆみ」

2010年6月26日/13:30−15:30/東京工芸大学

東京工芸大の公開講座は無料だし、家からもわりと近いので、僕にとって大変ありがたいイベントの一つである。今年は特に面白くて、前回の「 3D立体映画の仕組みと視覚特性 」やその前の「 「インタラクティブアート入門」 」はかなり熱い内容だった。それだけに、今回の講座にも期待していたんだけど(講師も細萱敦氏だったし…)、ちょっとだけ物足りなく感じてしまった。

これは別に講師がどうこうという話ではない。よーするに、「公開講座の内容をどのレベルに設定するか?」というだけの話である。大学の公開講座って、僕が知るかぎりは7割から8割くらいは高齢者で、そのうち4分の1くらいの人は開始直後に寝てしまう(実際、今回も前回も、僕の隣の席の人は会場の電気が暗くなった瞬間に寝ていた)。

彼らは参加することに意義を感じているわけだから、それはそれでいい。ただ、そういう人たちの興味関心を引こうとして、無理に内容を柔らかくしてしまうと、今度は講義の内容そのものがかなり薄いものになってしまうのだ。高齢者のボケ防止のためにも、「ちょっと何言ってるかわからないです…。」くらいのほうが、知的好奇心を刺激されていいように思うのだがどうだろうか。

講義の内容はいたってシンプルな漫画の歴史。手塚治虫の系譜に劇画関連の話を絡めつつ、少女マンガで味付けするといった感じだった。

Posted by Syun Osawa at 01:22

2010年07月23日

PR誌地獄w

PR誌は昼休みにちょこっと読むのに丁度良くて、いつも数冊キープしてる。無料だから読みたいところだけ読めばいいっていう気軽な感じも好き。そんなPR誌の感想メモ。3月くらいから6月くらいまで。

UP 2010年2月号

東京大学出版会のPR誌。このPR誌は学術的で難しいものも多いが、面白いコラムも結構混じっているのでチラホラ読んでいる。佐藤康宏氏の「日本美術史不案内」という連載が結構面白くて、美術史を学ぶ上でなかなか勉強になる。今回は「鳥獣花木図」が若沖の作品か否かということにまつわるスキャンダルで、大宮知信『 スキャンダル戦後美術史 』、大宮知信『 芸術とスキャンダルの間 』、瀬木慎一『 日本美術事件簿 』などの本が好きな僕には、なかなか面白い内容だった。

本の窓 2010年3・4月号

小学館のPR誌。特集が「大学と大学生の温度差」。平田オリザさんが、なかなか身のあることを書いていた。この方、著作権延長問題でも延長反対派で論陣張っていたし、なかなか進歩的な方なんですね。

本 2010年3月号

講談社のPR誌。東浩紀氏の連載は相変わらず読みやすい。「一般意志は数学的な存在である。」という謎の表明がわかったようなわからないような気持ちにさせてくれます。吉川尚宏氏が「ガラパゴス化する日本」というコラムを書いていたが、「ガラパゴス化」が良いのか悪いのかというと、これまた両方あって実はどちらとも言えるしどちらとも言えない。最近のトピックスってそんなんばっかりな気がする。

ちくま 2010年3月号

筑摩書房のPR誌。斎藤美奈子氏の連載が始まった模様。第一回が「「あの戦争」の語られ方」だった。結局、太平洋戦争の話になってしまうという右翼と左翼のイデオロギー対立とか、若い子たちがそのいずれに対しても「うぜぇ!」と思うのは無理がないわけだ。もはや、それは趣味の問題に成り下がってしまっていているのだ。ただし、だからといってそれに変わって多くの心を捉えてくれるような強い心的な動機づけというか、イデオロギーの代替物みたいなものが無いこともまた事実なわけで、そのどっちつかずなモヤモヤが今という時代の最大の困難さなんだろうなぁ。一億総太宰治化してしまうのも無理はない。

青春と読書 2010年3月号

集英社のPR誌。森博嗣氏の「動くものを作る」というコラムで、2輪車で走る鉄道の模型を作ったことが書かれていた。この話がとても面白い。『チームバチスタの栄光』の海堂尊氏の医療関係のコラムもそうだけど、2足の草鞋を履いてる人の本業の方の話って案外面白くて好きなのだ。で、森氏が作った模型が Youtube に上がっていた。確かに凄い。

熱風 2010年3月号

ジブリのPR誌。特集が村上春樹で、河合俊雄氏や古川日出男氏らが文章を寄せていた。僕は村上春樹は最初の2作しか読んだことがないが、村上春樹について書かれた文章は結構読んでいる気がする。というか、あまりに村上春樹について書かれている文章が多いため、気づかないうちにかなり読まされている。だから、ほとんど読んだ経験がないにも関わらず、村上春樹について肯定的な部分と否定的な部分、それぞれの意見が僕の中で熟成されていたりもする。そして勝手なイメージが…恐ろしいことですw

ちくま 2010年4月号

筑摩書房のPR誌。いつの間にか佐野眞一氏の連載復活してるんだね。今号では斎藤美奈子氏が「「萌え本」に見るニッポンの教養」というコラムを書いていて、巷にあふれる美少女絵に彩られた教材を紹介していた。僕が結構追いかけている分野でもある。彼女曰く、絵は萌え萌えでも、内容はいたって普通の教材とのこと。たしかにそうだ。しかし、そうでないものも少ないがある。この少ないなかに、こうした導入本の可能性を見つけたいとも思う。

本の旅人 2010年4月号

角川書店のPR誌。富野由悠季氏のインタビューが載っていた。これはかなり貴重なPR誌ではないか? いや、他にもいろいろインタビューに応えているのかもしれないが。ともかく、全4巻のハードカバーで発売された『リーンの翼』は『機動戦士ガンダム』以来のちゃんとした小説らしい。アニメの方もまだ見てないや。つか、『ガンダム』の小説も持ってるけど、こっちもまだ読んでない。うーん、これではとても富野信者だとは言えないなw

熱風 2010年5月号

ジブリのPR誌。特集はリユース。まぁ…よくある内容ですな。井上ひさし氏の追悼文を、高橋勲氏と鈴木敏夫氏が書いていた。

本 2010年5月号

講談社のPR誌。東浩紀氏の連載している「一般意志2.0」がちゃくちゃくと外堀を埋めていっている。これが氏のいう粛々とやっていくだけということなのかな。

青春と読書 2010年6月号

集英社のPR誌。姜尚中氏とリリー・フランキー氏の対談あり。微妙な距離感に違和感(ラップで)。児玉清氏が佐川光晴氏との対談に登場していたり、大竹しのぶ氏が書評を書いてたりしてた。このPR誌、ほとんど読んだことがなかったけど、なかなか豪華なのね。

Posted by Syun Osawa at 01:07

2010年07月22日

水は何にも知らないよ

左巻健男/2007年/ディスカヴァー21/新書

水は何にも知らないよ江本勝氏が書いた『水からの伝言』にまつわる偽科学話は、偽科学に少しでも関心のある人から見ると、至るところでフルボッコにあっていて、「もうやめて! 江本氏のライフはゼロよ!」状態になっている。ところが、偽科学に関心の無い人には、こうした状況は目に入らないことが多いらしい。

僕はゼロ年代、東浩紀氏周辺の批評を追いかけていたのだが、その中でよく言われていた「言説の島宇宙化」という状況がこういうところでも起きているのだろう。例えば「マイナスイオン」という言葉を聞いて、即座に胡散臭さを感じる人と、癒されてしまう人では島宇宙が異なっているわけだ。

島宇宙が異なるために届くべき人に言葉が届かないという困難さ。これは、問題の多い新興宗教から信者を奪回することの難しさにも似ているかもしれない。それぞれの島宇宙には違うタイムラインがあり、違うストーリーが受容されているわけだから、そのストーリーを無理やり剥奪する形で新しい島宇宙へ引っ張っても、なかなか上手くいかない。であれば、その2つのストーリーをハイブリッドに接合して、そのストーリーにいざなう様な形で引き入れるしかないんだろう。でもこれは、本の内容とあんまり関係ないかw

後半に書かれていた水の話はなかなか面白かった。アルカリイオン水って、子どものころは凄い上質な水を作る装置だと思っていたけど、やっぱりあれも怪しげだったんだなぁ。飲料水に関しては、僕も数年前から水道水を沸騰させて飲んでいる。ただ、マンションのため、たまに黒い粒が混ざることがあって、それが時折気になっていた。あれはフィルターで取れるらしい。浄水器がすべて怪しいというわけではなく、活性炭とフィルターはそれなりに効果があるらしいので、フィルターだけは買おうと思う。

Posted by Syun Osawa at 00:29

2010年07月15日

図解雑学 美術でたどる日本の歴史

並木誠士/2002年/ナツメ社/四六

図解雑学 美術でたどる日本の歴史日本史にも美術史にも明るくないくせに、そのどちらにも興味があるような人(つまり僕です)にはうってつけの本だと思う。内容の濃度はナツメ社だからアレとしても、美術を扱う本にしては図版とか写真の量がかなり中途半端だったのが少し悔やまれる。

この本をザッと読んで感じさせられたのは、日本の美術史の前半部分はほとんどが仏教絡みだってこと。だから西洋美術とキリスト教の間に骨がらみの関係があったのと同様、日本でも中国伝来の仏教美術に引っ張られ続けることになる。

では、どのあたりから、日本のオリジナルとでも言えるような美術が生まれてきたのか? ここはちょっと気になる。とはいえ、「何をもってオリジナルと言うのか?」という大前提を僕はわかっておらず、圧倒的にこの界隈の知識も足りないため、飛鳥時代あたりから戦国時代にかけてグラデーション的に入ってくる日本美術の端緒を捉えることは難しい。

鎌倉、室町あたりかな? とか、狩野派の隆盛に沿ってるのかな? とか。もしくは、線画のエッセンスだけが醸成されて、浮世絵・大和絵・錦絵・ポンチ絵・漫画あたりの連なりが見え隠れしてるあたりかな? とか。いずれにせよ、この本を読んだだけでは当然わからない。

中には、山種美術館の常設展で好きになった上村松園が第4回内国勧業博覧会で歴史画を出品していた話など、面白い情報もちらほら載っているので、作品をたくさん見ることができれば、副読本的に楽しめる本になるかも。この本の巻末で紹介されていた参考文献を見つつ、最近買った『別冊太陽 長谷川等伯』とか含めて、作品自体をもっと見ていかないとどうにもならない感じではある。

Posted by Syun Osawa at 01:08

2010年07月10日

オーバーマン・キングゲイナー(全26話)

監督:富野由悠季/2002−2003年/アニメ

オーバーマン・キングゲイナー本当ならリアルタイムで見ておくべきだったはずなのだが、なぜかこのタイミングで見ることになった。当時、ヨガ鳥さんの「キングゲイモナー」というパロディFLASHも見ていたし、元ジブリの吉田健一さんが絡んでいたからそういう流れでも楽しみにしていたはず。で、たしか第一話を見て「神アニメ」認定したはずなのに、それでも見なかった。

あの頃は80年代の劇場版アニメ以外はほとんどアニメ見てなかったし、正直ゼロ年代以降のアニメについていけてなかったので、軽くスルーしたのだと思う。90年代の後半にナーバスなロボットアニメがいろいろあって、そういうのに辟易して見なくなったとこともあるのかもしれない。この作品にはそうした「しんどいなぁ〜」と僕が思っていた内面の問題などがあまり描かれておらず、かなりサッパリとした仕上がりになっていた。

なるほど、こういう描き方なら僕にも見れる。世界観の開陳と自分探しがセットになったようなストーリーではなく、エクソダスを中心とした大きな物語の下で、シベリア鉄道警備隊との戦いという小さな物語が描かれていく。ガンダムシリーズほどのスケールの大きさはないが、それでも富野メソッドとも言える世界構築とその世界を生きる人々の物語を楽しむことができた。

ただ、『 エウレカ 』を見たときのような、消化不良からくるモヤモヤ感みたいなものがないせいで、強く印象に残るということもなかった。この当時に蔓延していた中二病臭さもないせいで、突っ込みどころもあんまりない。ここまでアッサリ作られてしまうと、おっさんがアニメを見ることの意味まで剥奪してしまわれそうで(そんな意味などあるのかどうか知らないがw)、その点はちょっと寂しいというか物足りないというか、そんな気分だ。ようするに、僕が中二病をまだこじらせているという困難さの問題に回収されてしまうので、以下、感想メモ。

第01話 ゲインとゲイナー

なにこの神クオリティ! 曲も田中公平だし、神アニメじゃないかwオーバーマン オーバーマンのクオリティも高いし、ロシアのビジュアルを絡めているのも興味深い。どのアニメも第01話はいいが、この作品は特に良い。これからが楽しみだ。

第02話 借りは返す!

富野作品はいちいち物語がでかいなぁw もう何が何だかよくわからないが、とにかく凄いでかい話が動いていることがわかる。大塚英志が偽史的な想像力でうんぬんとしてガンダムなんかを論じたりしているが、それをするためのでかさを富野作品は持っている。ロシアの凋落貴族的な人とかいろいろ出てきて、何だか面白そうという雰囲気だけは伝わってくる。このでかい感じの作品を僕は待っていたのかもしれない。

第03話 炸裂! オーバースキル

「閉塞感を突破するための行動」とエクソダスを同値している台詞があった。なるほどそういうことか。サラの乗るオーバーマンは『エウレカセブン』のモチーフかな? 今回もシベリア鉄道警備隊との一戦が熱く、かなり盛り上がりのある展開だった。さすが大御所。

第04話 勝利の味はキスの味

シベリア鉄道警備隊のオーバースキルで時間が止まるという設定はかなり大胆だなぁ。こういうアクロバティックな感じも含めて、このアニメ面白い。今回はロシアという舞台に相応しく、決闘の話。ミクロの話とマクロの話が同時並行的にきっちり動いているところが魅力なのかも。SF的なガジェットに深刻になりすぎていないことも含めて。また、決闘のシーンも陰鬱なトラウマ克服合戦とかじゃないので、おっさんでも見れる。戦う目的が「サラのご褒美を貰いたかった」とかそういうレベルがどうなんだという話もあるがw

第05話 シベリアに光る目

ヤッサバ隊長のキャラ立ちが凄いな。エクソダスの一群に捕まったと思ったら、即効で逃げ出してるし。主人公が早くも存在感が希薄w 小さな女の子のエピソードとか、こういう複雑な人間関係とか、富野監督好きやねぇ。あと、オーバーマンのスキルがどれも、超絶的で面白い。

第06話 セント・レーガンの刺客

今回は中だるみ的な回だったが、ゲインに娘がいること、ライバルがいることなどがわかる。そういうちょっとした世界観の開陳を要素として加えつつも、シンプルな物語で楽しませてくれるところがいい。オーバーマンのオーバースキルも楽しいし、その登場の仕方も工夫されている。

第07話 鉄道王キッズ・ムント

ひっくり返ったユニットを引き起こすために、シベリア鉄道警備隊を利用というのが単純で面白い。大きな物語と小さな物語の絡ませ方が上手いなぁ。変な暗さもないし、ゼロ年代の前半にこれが受け入れられた理由がよくわかる。

第08話 地獄のエキデン

体育祭と戦いが同時に起こっているという状況を描いた回。戦争モノでたまに見かけるパターン。ただし、その対比をしつこく描くという事はなく、あくまでカジュアルな感じでやっている。はっきり言ってしまえば、今回も中だるみ系の回。物語が前に展開しないこの手の空気系の話が好きな人が増えたから、ゼロ年代の『けいおん』的なアニメは量産されてんだろうねぇ。『ナディア』の島編みたいな。

第09話 奮闘! アデット先生

アデット先生という強い女性教師が登場して、学園ドラマ風の展開に。この人、シベリア鉄道隊にいた人だね。この回で、「ゲームは得意なのに、なんで人間関係は苦手なの?」と言う台詞があり、「人間関係もゲームと同じよ!」という風に続いた。なるほど、こういう言葉にゼロ年代の決断主義的風景を見たのかもしれない。

第10話 アスハムの執念

ゲイナーが女装する回。ボクシングのシーンもあったが微妙。ゲイナーが「何で主義者だけでエクソダスをやらずに、周りの人まで巻き込むんです」っていう台詞を言っていた。このあたりも意味深いな。つか、そういう風に見ていけば、何でもそうか。エクソダスの意味とか役割が重層的になってきた。前回までの空気回と違って、ちょっと熱い感じになってきた。

第11話 涙は盗めない

アデット先生がかなりいい味出してるな。この人のおかげで物語が動いているとも言える。アスハムのオーバーマンのオーバースキルは「盗む」。この発想は凄いなw これがアリなら何でもアリだし、最強な気もするのだが、そうならないところも面白い。

第12話 巨大列石の攻防

なんか、すごいオーバーマンが出てきたw ミーアの街でアスハムらと戦闘。シベリア警備隊が時代に翻弄されながら迷走しているところとかは面白いけど、戦いの展開がちょっとワンパターン化。新しいタイプのオーバーマンが出てきてよかった。ブラックホールってのは凄い。

第13話 ブリュンヒルデの涙

オーバーマンのアーリータイプは進化している。生物っぽい。ブリュンヒルデの操縦室に閉じ込められたアスハムとサラ、進化するブリュンヒルデ。こういう構図の中で、エクソダス組とシベリア警備隊が戦っている。重層的で素晴らしい。オーバーデビルというキーワード登場。

第14話 変化! ドミネーター

不定形のゴーレムを操るシンシアというキャラが登場。彼女はゲイナーのゲーム仲間。『エヴァ』でいうところのアスカだったり、『エウレカセブン』のアネモネだったりするのかな? トラウマがあればの話だけど…。シンシアがセントレーガンの正規軍をボコボコに。シンシアとゲイナーの戦いで、中村豊の神作画きたー! しかし、ユニットが氷の切れ目に落ちて崩れるところを、オーバーマンが助けるところとか、演出うまいなー。あと、オーバーマンの右腕だけを持っているゲインの設定は糞かっこいいね。

第15話 ダイヤとマグマの間

ゲイナーとシンシアのデートをつけるという話。この手の展開って昔からよくあるが、普通に考えてかなりの異常行為だよなぁw デートの待ち合わせをした駅の描写はなかなかいい感じだった。後半は地下での戦闘。話も大きいし、内容も充実してる。さすがだね。

第16話 奮戦、アデット隊

アデットが引っ掻きまわす回。シベリア警備隊と今は敵となったアデットが正面衝突。新敵のオーバースキルは幻を作ること。屈託ない明るさに支配されている。大きな物語の上でドラマが展開されているのだが、何というかそこをあまり意識させることなく、深く踏み込むこともなくやっている感じ。富野自身が「明るく〜」って言ってたわけだから、これでまぁいいんだろうな。

第17話 ウソのない世界

アデット隊はすっかりエクソダスの自警団になって活躍しているという状況。シベリア警備隊にオカマの新キャラ登場。相手の心の中が聞こえるオーバースキルの使い手。この発想は普通のロボットアニメを軽く飛び越えていて凄いな。しかも、それの対抗の仕方が、心の声を掻き消すためにゲイナーがサラに愛の告白をし続けるというw しかもそれが街中の人に聞かれていたという。

第18話 刃の脆さ

不安感を煽るオーバースキルとか、もはや科学的根拠も全くないw やりたい放題w いいなぁ、こういう自由な感じ。過激に他の氏くを突き詰めて、こういうところに行き着いちゃったんだろうなぁ。ガウリ隊長が謀反するも、ともかくハッピーエンドで幕。アデットのキャラが強すぎる。あと、物語も強くて、ゲイナーとサラの恋愛あり、ガウリ隊長がゲイナーの母を殺した事実が明かされたりといろいろなフラグが立った重要な回でもある。しかし、作画的にはかなり辛い回だった。DVDでは直っているのかもね。

第19話 リオンネッターの悪夢

ウパ様みたいな新キャラ登場。エクソダス阻止を引き受ける仕事人。カエルとかナメクジを巨大化するとか無茶すぎるw それでアデットが気持ち悪がるとか、カラッとした印象。人の心を読んで、一番嫌なものを映し出すとか、次第に心の領域にも踏み込んでいるところがいいね。その裏でエクソダスを巡る攻防が行われていて、大きな物語もちゃんと描いている。ところで、エクソダスって何なんだっけ?w

第20話 カテズで勝てず

今回の主線の描き方、ちょっと違うところあるな。フルアニメっぽい動きするのとか。天才戦闘美少女・シンシアが再び登場。『エウレカセブン』で言えば、アネモネの位置づけで、近年のアニメでは必ず登場するタイプ。『エヴァ』のアスカとか。

第21話 オーバーマンの闇

現実とゲームの区別ができてないシンシアとゲイナーが敵同士で、対話に向かうというある意味で近年の中二病的アニメで最もよくある展開。この作品が作られたのはゼロ年代最初期なので、エヴァの想像力を直に受けて、それに応答した初期の作品になるのかも。そういう意味では、富野由悠季氏ってさすがだなと思う。エクソダスに意味を感じないとゲイナーが発言したり、大きな物語と小さな物語がいよいよ邂逅し始めてクライマックスに向かう展開へ。

第22話 アガトの結晶

シンシアがかなりキーキャラクターになってきて、エンディングに向かっての疾走感を出している。アスハムもここで脱落っぽい。オーバーデビルの存在が予告されて、次に大きなことが起こるぞ…みたいな雰囲気を演出する回で、悪く言えば、それだけ。ゲイナーに捕まるサラの手がギュッと強くなって、少し二人の距離が縮まったところが伏線としてはいい感じだった。こっちが本編という人もいるしね。

第23話 復活のオーバーデビル

大きな戦いにグラインドしている。シンシアが未だにキー(オーバーデビルの復活)になっていることは変わらないが、そこからエクソダス全体の話になってきた。凍土となっている大地のネタバレも含みつつ、物語が加速する一歩手前。ゲイナーがどういう風にここから復活するかということも鍵になっているようだ。

第24話 オーバーマックス

オーバーデビルとの最終決戦で、キングがゲームのようにやって勝った。ここで、宇野常寛氏の日頃の言葉が急激に直結された。よーするに、厳しい現実にベタに立ち向かってはプレッシャーが強くキツい。だから、ゲームだと割りきって対処することで、リラックスすることができいい結果が出ると。「決断主義を超えて…」というあたりの考え方は、このあたりのコンテクストをちゃんと抑えておかないといけなかったんだな。なるほどね。

第25話 氷の中で

エクソダスという大きな物語が別レイヤーで動いていて、その上のレイヤーで個々の物語が動いている。クライマックスの1つ手前だが、その構図は大きく変わっていない。ゲイナーも取り込まれて、みんなオーバーデビルの側に取り込まれていくなか、その状況から脱出する方法が愛の力だという。

第26話 ゲインオーバー

最終話で、主人公のゲイナーとかサラなんかがオーバーデビルの力で敵側に回ってしまっている状況って凄いなぁ。安易なカタルシス回避か。オーバーデビルのくだりが終わって、ひとまずそのレイヤーの物語は大団円で終了。この作品自体もそこで終了するわけだが、エクソダス自体はまだこれからも続くという、偽史的な想像力は残している。角川系ってこういう展開好きだね。まぁ、面白かったんではないでしょうか。

Posted by Syun Osawa at 02:30

2010年07月04日

exPoP!!!!! vol.39

2010年6月25日/19:00−22:30/渋谷 O-nest

前回 に続き今回も立ち寄り参戦。出演は、荒川ケンタウロス、小田晃生、マーガレットズロース、ar、Good Dog Happy Menの5組。

荒川ケンタウロスのキャッチさに、「ああ…こういう音楽を久しく生で聴いたことがなかったな」と思う(で、帰って MySpace で音源を聴いた)。次の小田晃生は雰囲気のあるフォークシンガー。不思議なことに小さなライブハウスだとこういうノリの人のほうが僕は何気によく見ていて、僕もわりと好きだったりする。ギター1本であれだけ聴かせられたらいいよねぇ。

マーガレットズロースは、寿町のフリーライブ で見て以来2度目かな? あのときのライブでも歌っていたが「Babyとしか言いようがない〜」って歌う曲はなかなか耳に残る。架空のBenに語りかけながら、最後に歌詞をグッと反転させて自分の話に置き換えるところなども印象的。彼らはもう15年もやっているらしい。それだけで無条件にリスペクト!

arもなかなか素敵なバンドだった。僕の少ないボキャブラリーで例えるなら、和製MUSEとか言うよりも、バンド版のウルリッヒ・シュナウスといった感じ。このバンドのボーカルの人が、途中のMCで「何かを伝えたい。」と言っていて、そのときにブサイク写真集を作ろうとして叩かれていた首都大学生が作った動画の事をふと思い出した。それは「未来の何かのために募金を」という企画で道行く人に募金を募るというものだ。

その動画は、電波少年的なオチもなく(例えば、殴られるとか)、若い兄ちゃんが悪ノリしているようにしか見えないために、コメント欄でも批判的な言葉が多く残されていたが、arのボーカルの人が言っていた「何かを伝えたい」という表現者の言葉に対峙したものだと考えれば、非常にクリティカルなアンサーだと思ったのだ。

まぁ…「何かって何だよ?」っていうだけの話なんだけど、みんな何かの中身が空っぽだってことを知っていて、それでもその何かの中には何かがあるかのように信じていて、その何かというブラックボックスをババ抜きみたいに回し合ってるという、まぁそんな無責任な世界が今だと僕は感じていたりするのである。

この日の深夜にワールドカップの日本×デンマーク戦があったので、Good Dog Happy Menは見ずに退散。それにしても、素晴らしいイベントだーね。

Posted by Syun Osawa at 00:44