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2010年09月29日

上村松園展

2010年9月7日−10月17日/東京国立近代美術館

上村松園展上種美術館で《牡丹雪》という絵を見て以来、すっかりお気に入りの日本画家になった上村松園の展覧会。お気に入りと言っているくせに、会場に掲げられた松園の年表を見るまで、この画家が女性だったことを知らなかったという素人っぷりで、自分の思考の浅はかさを思い知った展覧会でもあった。

というのも、松園の描く女性があまりにも奔放に自然な動きをしていて、この自由すぎる女性をどうやって男が描いているんだろう? と疑問に思ったからだ。それはおそらく、いったん女性というものをキャラ化して、その上でそのキャラを作品の世界の中で自由に動かしているのではないか? だとしたらそこにも、男性の日本画家が描く美人画に感じる妙なスケベ心が、松園の描く女性の中にも隠蔽されているのではないか? とか、そういうくだらない事を考えてしまったのである。ああ、恥ずかしい。

そういうジェンダーめいた話はともかくとして、松園の絵で僕がもっとも好きなのは緻密な主線と構図である。描かれる女性の表情を丁寧に描くことで感情を表現するというだけでなく、構図によってその感情を上手く引き出しているのが素晴らしいと思う。

また、空白の使い方もうまく、山種美術館で見た《牡丹雪》をはじめとして、今回の展覧会では《人形つかい》という絵も素敵だった。また、《虹を見る》、《夕暮》、《朝ぞら》などは絵の外部に虹や太陽、空の存在があって、画面の中にはそれらが決して描かれていない。にもかかわらず、画面の中の女性たちがそれらを意識した振る舞いをすることで、外部にあるそれらの美しさを想像させるという演出もミニマルでなかなか上手いと思う。

主線との格闘の跡が見え隠れしていたところも面白かった。展示されていた作品は、松園の年齢の若いものから順に並べられており、それを見ると、若い頃のほうが主線に対する意識が強いことがわかる。意識が強いというと御幣があるかもしれないが、ともかくわかりやすい形で主線のコンテクストと格闘しているのだ(例えば、色に合わせて主線の色に明確な変化をつけてみたり、距離によって太さを変えてみるなど)。

この主線との格闘というのは、明治から昭和にかけての画壇ではよくやられていたことで、特に日本画の世界ではマニアックに追求されていたのだと思う。そして、それを取り入れて世界で飛躍したのが洋画家の大家・藤田嗣治だった。

今回の展覧会とは全然関係ないが、この日本画壇の主線のコンテクストと藤田嗣治の関係が、最近の村上隆氏とオタククラスタな人たちの関係とよく似ている気がする。ようするに、村上隆氏が主戦場としている欧米のアートのバトルフィールドと日本のオタクの現場では、世界が異なる。それをいかに翻訳して移植するかというところに肝があると村上氏は言っているわけだけど、それは当時の藤田嗣治にも言えるのだと思う。

つまり、日本画の世界は深く、それだけでマーケットが成立する素晴らしい世界である(今回の展覧会でも、着物服姿の女性がたくさんいた)。しかし、その世界と欧米のアートシーンは違うため、そこには上手く翻訳するためのテクニックが必要だったわけだ。藤田嗣治と村上隆の似ている点はまさにそこにあるのだと思う。

と、どうでもいいことを書いてしまったが、そんなメタ的な話とは関係なく、松園は凄いのだ。彼女は12歳で京都府画学校(今の京都市立芸大)に入り、15歳で第3回内国勧業博覧会に出品。イギリスの王族に絵を買い上げられるという凄まじい経歴を持っている。さらに息子の上村松篁も画家として名を上げているし、実際、上の常設展にも松篁の絵が展示されていた。

彼女が活躍した時代は、明治の後半から昭和初期なので、個人的な興味としての 戦争と芸術 ネタも拾えるかと思ったが、それはほとんどなかった。1941年に華中鉄道の依頼で中国に慰問旅行に行ったくらい。

アニメ・マンガの文脈で「おっ!」と思ったのは、彼女のスケッチに人間の動きを連続的に描いているものが見られたことだ。これは 須田国太郎 のスケッチでも見られたことだが、ああいう絵はどういう目的で描かれたのだろうか(どの部分を切り取ると最も動きを表現しているかを考えてていたのかも)。あと、フランスの漫画家・メビウスのように、ほとんどアタリをとらずにスケッチしているところも興味深かった。

Posted by Syun Osawa at 01:05

2010年09月28日

眠れない夜の精神科 ― 医師と患者20の対話

中嶋聡/2010年/新潮社/新書

眠れない夜の精神科東大医学部卒で沖縄在住の精神科医が書いているというスペックの珍しさも手伝って、前から少し気になっていた心関係の本を読んでみる事にした。昔はこの手の本には全く興味はなかったのだが、30歳を過ぎてから少しずつ気持ちが陰鬱としてきているような気がしていて、そんな自分の上がらないテンションの原因を知っておきたいという気持ちは日増しに大きくなっている。

この本では、精神科にやってくる患者さんの質問から代表的なものをチョイスして、具体的な症例を紹介しながら(一部は文献によるものだが)、平易な言葉でアンサーを返している。

で、わかったこと。僕はこの本を読むまではうつ病ではないかと思っていたのだが、それ以前に「対人恐怖症」らしいことがわかってしまったw 対人恐怖症というと、どもりなどを含めてコミュニケーションを上手く取れない人の事を指しているのかと思ったら、そうではなかったのだ。対人恐怖症の人が最も苦手とするのは、親しい人間関係の人や初対面の人ではなく、ちょっとした知り合い(会社や学校の人など)との付き合いが著しく苦手な人のことを指すらしい。

そして、このタイプが最も自意識過剰なタイプだと書かれていて笑ったw 自分は自意識問題からは遠いのではないかと思ってたのになぁ。恥ずかしい…。

この本を読む前から、僕はてっきりうつ病だと思い込んでいたから、すでにカウンセラーが書いた「軽うつ」の本を手に入れている。これはもったいないので読むとして、それ以上に対人恐怖症の本を迅速に読もうと思う。まぁ…読んだからどうなるってわけではないが、自意識過剰な自分に気づかなかった自戒の気持ちを込めつつ、「そういうネガティブなことにも真摯に立ち向かう自分ですよ」という自分アピールをしれっと書いている。そして、それこそが自意識過剰というね…ああ…やっぱ鬱かもw

Posted by Syun Osawa at 00:33

2010年09月26日

コンテンポラリーアニメーション入門 第5回

2010年9月4日/18:00−20:00/東京藝術大学 馬車道校舎

コンテンポラリーアニメーション 第4回前回 に続き、プリート・パルン氏の作品にスポットを当てた公開講座。こういう企画自体が珍しいし、それが無料というのも凄い。そんな大変貴重な講座であるのに、それを聴講する側の僕にそれに見合う素養が備わっていないものだから、彼の作品をすんなりと脳内で処理することはなかなか難しかった。

今回の特集では、パルン氏が手がけた作品のうち、ソ連時代につくられたものが公開された。社会主義の国で創作活動をすることが、作家や作品に与える影響という意味では、戦争と芸術 という僕の趣味ともかなり近く、以前見た ロシア革命アニメーション 的なものがまぎれこんでやしないかと、少し期待していたりもした。

ソ連時代、一応検閲はあったようである。彼はエストニア出身であったから、まず最初にエストニアでの検閲があり、その次にソ連中央での検閲がああったそうな。これらの手続きがどの程度の深刻さを帯びているのかわからないが、本人は検閲を通すのはゲームのようなものだと語っていた。例えば、「タイムアウト」という作品にはピエロが登場するのだが、本当はこのキャラクターは検閲前はロシア兵だったそうである。

つまり、軍事的なものや政治的なものは体制批判につながる恐れがあるということで、検閲官が極力排除しようとしていたのかもしれない。イデオロギーの塊が爆発してできたような国なのに、その内部ではそれを脱臭するような検閲の仕方をしているのが何とも不思議である。パルン氏があまり深刻な思い出として語っていないことから想像するに、それらの検閲が創作に深刻な影を落としていたということはなさそうだ。このことは、同じ社会主義体制下の国でアニメーションを作っていた、イシュトゥバーン・オロス氏も同じようなことを アニドウのイベント で語っていたように記憶している。

そんなソ連時代に彼が作り上げた作品の代表作が「草上の朝食」である。この作品の構造はシンプルで、マネの《草上の朝食》という絵に描かれた人たちがどのようにしてその場所に集ったかを、社会風刺的に描いた作品である。内容的には結構、嫌味っぽいというか、人間の残念な部分と社会の残念な部分の上に、《草上の朝食》という美しい絵はあるという皮肉めいた作品になっている。こういう明確なストーリーやキャラクターが存在しないままに、何となく人間や社会が照射されていくというスタイルの作品はパルン氏の作品の特徴なのだろうか。

山村氏の解説や、上映されたドキュメンタリーから推察するに、彼は帰納法でストーリーを組み上げていっているのだと思う。強いキャラクターを作ることをつくらないところは、どこか北野武の映画にも通じるところがあって、何というか器と構造の配置の妙を楽しませているような節もある。

僕は 前回 初めてパルン氏の作品を見て、今回でまた二回目だ。正直言って、どの作品もよくわかったようなわからないような印象ではあるのだが、それでも彼の制作スタイルや思想に共感できるところが多かったように思う。次回の公開講座もまたパルン氏の作品が見れるというので、これまた楽しみである。僕もこういう作品が作れるようになりたいなぁ(本音w)。

Posted by Syun Osawa at 09:12

2010年09月23日

画家たちの「戦争」

神坂次郎、河田明久、丹尾安典、福富太郎/2010年/新潮社/A5

画家たちの「戦争」タイトルが「画家たちの「戦争」」となっていて、僕の趣味である 戦争と芸術 関連の書籍としてはドストライクな本と言える。7月に、この本の宣伝をPR誌の「ちくま」で見つけたので、積読リストを無視してすぐに読むことにした。

戦争と芸術を扱った本はいろいろ出ているが、この本は日中戦争の頃に軍部が依頼した従軍記録画などに焦点を当てて書かれている。そのため、田中日佐夫氏の『 戦争画の系譜 』のように日本で描かれた戦争画を俯瞰したような広さはなく、個人的には少し物足りない内容だった。とはいえ、従軍記録画として有名な絵(もしくは僕の好きな絵)がかなりのボリュームで掲載されていたし、軍人が戦争画を多く描いていた話などは知らなかったので、そういった意味では僕得な内容だったと思う。

ところで、小磯良平氏の《娘子関を征く》が何の紹介文もなくサラッと掲載されていたのだが、あの掲載の仕方には何かしらの配慮があったのだろうか。東京国立近代美術館で展示されている《娘子関を征く》はとても素晴らしい絵である。しかし、彼が戦争画に批判的だったことは後に発見された手紙などで明らかになっている。常設展の別のフロアに展示されている《練習場の踊り子達》が、《娘子関を征く》以上に強い印象を残していることは間違いないが。

話がそれた。

今回の本では、後半に花岡萬舟という人の作品に触れていた。これはおそらく、早稲田大学でやった 戦争画の相貌展 を受けてのものだろう。しかし、彼の項目は藤田嗣治や宮本三郎、小磯良平らと並んで歴史に残さなければいけないようなことなのだろうか。こうやってガイド本になるということは、ある意味で歴史化されるって事なので、その点では妙な気持ちになった。

このあたりの妙な気分とつながるのかもしれないが、河田明久氏の論考は相変わらずわかりにくい。丹尾安典氏との共著『 イメージのなかの戦争 ― 日清・日露から冷戦まで 』もそうだったが、何を言いたいのか本当に良くわからない(僕がバカなだけなんだけど…)。いろんなところに目配せのあるポジショントークっぽいところが、僕がうーんとなってしまう原因かも。まぁ、それはいいか。

それはともかく、太平洋戦争時期の従軍記録画のガイド本としてはひとまず決定版ということになるのだろう。この時期に描かれれた従軍記録画の面白いところは、日本とドイツの反応の違いにあると思う。ドイツでは有名画家たちをディスった退廃美術展に多くの客が入り、ナチスが推薦したリアリズム具象画路線の大ドイツ展には客が入らなかったことに対し、日本では聖戦美術展などに多くの客が入っていた。ドイツでは受けなかったものが、日本では受けたのは、たんなる民度の差だろうか? 僕にはそうは思われない。この時期に描かれた戦争画について、今、わりと興味のあるポイントはこのあたりだったりする。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 08:40

2010年09月22日

pen別冊 キリスト教のすべて

2010年5月15日号/阪急コミュニケーションズ

pen別冊 キリスト教のすべて村上隆氏がニコ生でやっていた番組「芸術実践論」の中で、藤原えりみ『 西洋絵画のひみつ 』という本を紹介していて、西洋絵画におけるキリスト教のコンテクストの根深さに改めて気づかされた。

絵も売り物というか、金銭的な価値を持つ物質なわけで、そうである以上、ニーズに応えた絵画が多数制作されるのは当然といえば当然。聖書の文字の読めない民衆のために、聖書の物語を説明するための道具として絵画が用いられてきたという歴史と、それが美術としての意味を深めていく歴史がつながっていることも当たり前の話なのである。

そんな当たり前のことにさえ関心を持ってこなかった僕には、このムック本に書かれている内容はとても新鮮で楽しいものだった。藤原えりみ『 西洋絵画のひみつ 』と内容がかなり被っているとはいえ、こちらのムックのほうが図版が多く、取り上げている内容も広い。

このムック本の中で紹介されている絵画だけを見ても、1000年代の前半から現在に至るまでの、非常に長い期間に描かれた絵画が紹介されていた。これだけ長きにわたって多くの人々に共有される物語も他にないだろうし、東洋人からしたら「知らんがな…」的なファンタジーが美術界と併走してしまっているという困難さをどう考えればいいのだろうか?

さらに悩ましいのは、宗教改革によってルターが偶像崇拝に異を唱え、イコンとして描かれたキリストに突っ込みを入れた結果、カトリックの人たちは自分たちの結束力を強めるために、より過剰に聖書の物語を絵画の中に織り込むようになってしまった点であろう。

さすがに今は聖書の中の物語が現代美術のコンテクストに大きな影響を与えているということはないだろうけれど(知らないけどね…)、近代までの美術をより深く楽しむためには新約聖書と旧約聖書の読み込みといのは避けて通れない道なような気がしている。絵画を見る限り、馬鹿っぽいエピソードもかなり含まれていると思うので、正直読むことにためらいもあるが、敬愛するブリューゲルやヒエロニムス・ボスの絵をより深く楽しむためにはやむを得ない。聖書をダイレクトに読むのは無理なので、もう少しこの手の導入本(ガイド本)を読んでテンションを上げていく事にしたい。

Posted by Syun Osawa at 01:22

2010年09月21日

ブリューゲル版画の世界展

2010年7月17日−8月29日/Bunkamura ザ・ミュージアム

ブリューゲル版画の世界展企画力だけで勝負する渋谷の美術館Bunkamuraザ・ミュージアム(タイトルに何度踊らされたことか…)で、敬愛するブリューゲルの絵が見れるというので勇んで見に行った。展示されていた作品が全部版画なので、これを美術館でやる意義があったのかどうかはわからないが、僕の知らないブリューゲルの世界が広がっていて完全に俺得な企画展ではあった。

「敬愛する」と書きつつ、ブリューゲルに関してはキース・ロバーツ『 ブリューゲル 』を読んだ程度で、詳しく彼の半生を知っているわけではない。《イカロスの墜落》が展示された世田谷美術館の ベルギー王立美術館展 を見に行ったときにも略歴を見たはずなのだが、彼がどのような生活をしていたかはあまり記憶に残っていなかった。

今回の展覧会を見てはっきりわかったことは、彼は画家である以上に版画家であったということだ。しかもそれらの版画は非常に物語性が強く、今で言うところの漫画に近い。実際、版画の本も出版していたようで、それなりに生活の助けになっていたのだろう。とはいえ、版画業界(何てものがあったのか?)がどの程度の規模だったのかなど、僕自身不勉強なところが多く、真意は不明である。

展示されていた版画はどれも緻密で、キャラクター性に富んでおり、現在、漫画として商業誌(青林工藝舎とか)に載っていても全く不思議ではないレベルのクオリティだった。

しかも彼はヒエロニムス・ボスの影響を色濃く受けている。ヒエロニムス・ボスといえば、ヴァルター・ボージンク『 ヒエロニムス・ボス BOSCH 』の感想でも書いたとおり、古きよきキリスト教や教養主義を愛した人である。そこで広がったキャラクター性と、即時性の強い社会風刺を織り込んだ版画による新しい表現の形が、ブリューゲル自身の絵にフィードバックされていると考えると、彼の絵が旧約聖書・新約聖書に囚われていた物語を外部に押し広げる役割をしたと考えても不思議ではないだろう。そのことは、《ベツレヘムの嬰児虐殺》などを見ても強く感じさせられる。

こういった転換の兆候は構図の中にも見て取れる。作品の主題にリアリティを持たせるために、絵の中に登場する登場人物を演出するための背景を丁寧に描き込んでいる。「これが「風景画」につながる一つの潮流である」というようなことが、会場に掲示された解説にも書かれていた。これはブリューゲルの革新性というよりも、人々の想像力が聖書を飛び越え、家族や友達という小さな関係性の世界から、より広い世界(つまり社会や自然)を含めた上で物語を消費するようになったからではないかとも考えられる。

そう考えると、美術の世界において版画家が果たした役割はかなり大きいのではないかと思うのだが、これはあくまで妄想。とりあえず、久しぶりに図録を買ったので、この図録を読みつつ、当時の版画の世界をもう少し勉強してみようと思う。

Posted by Syun Osawa at 01:10

2010年09月19日

exPoP!!!!! vol.41

2010年8月26日/19:00−22:00/渋谷 O-nest

毎度のフリーライブ。音楽にすっかり疎くなったおっさんが、知らないミュージシャンを知ることのできるありがたいイベントである。今回も 前回 と同様にやや遅れて行ったので、最初のグループはあまり見れなかった。たぶん、Flight eggがやってたのかな? 最後の曲はなかなかいい感じだったので、もう少し見たかった(つか、帰りにCD-R貰ったんだけど、それ聴いてみたらFlight eggだった)。

続いて、PaperBagLunchboxが登場。大阪芸大出身のバンドで、5年前にデビューしたらしいのだが、その後活動が低迷し、5年ぶりに活動を再開したとのことだった。デビューした頃のメディアへの取り上げられ方や、その後の低迷と再チャレンジの話を自嘲気味に話す感じに妙にグッときてしまった。浪花節。

その次に出てきたCOMBOPIANO-1が、今回のイベントの中では一番ハマった。何しろ熱いw ピアノとドラムだけ(途中の何曲かはベースが参加)で、あんなに熱い音を奏でるのかと感心しっぱなし。エイフェックス・ツインの踊れないテクノ同様に、サカナクション的な「踊るロック」の極北を行くような豪腕なビートと打鍵が、僕の知らない音楽のページを1枚開いてくれた。この歳になってもこういう音楽の出会いがあるから、ライブって面白い。

最後はheが埼玉から登場。COMBOPIANO-1の余韻のせいで、微妙に記憶に残っていないんだけど、地に足の着いた感じのストレートなロックをやっていたような気がする(あくまで、気がするだけ)。ともかく、バンド名がheってのが凄いな(え?)。あと、たぶん埼玉だったと思う。

Posted by Syun Osawa at 02:23

2010年09月18日

点 −ten−

宇多田ヒカル/2009年/EMI Music Japan/A5

点 −ten−宇多田ヒカルが『点』と『線』という本を2冊同時に出したとき、これは是が非でも新刊を即購入して読みなければと思ったものだが、値段がそれなりで内容が微妙な感じがしたので、あと一歩のところでスルーしていた。

その後、すっかりこの本のことは忘れていたのだが、先日、宇多田ヒカルが活動休止したときに(もしくはその少し前だったか)、この本のことに触れていて、「ああ、これは読まないと…」と思って読んで見た次第。『線』の方は書き下ろしがなく、ブログの集積だったので『点』だけを読んだ(こちらもインタビュー記事を集めただけのものだが…)。

とにかく、長い! 長すぎる!

本はかなり分厚くページ数もかなりあって、しかもそのほとんどがインタビューを文字おこししただけのものである。それだけならいいのだが、普通はインタビューって内容が上手く要約されているわけ。ところが、この本は本当に愚直に宇多田が語ったことを文字にしている感じ。だから、話が何度もループするし、読みにくいし、ともかくイライラしながら読んだ。きっと、最近の音楽誌の「○○字インタビュー」とかって、こういう風にして文章量を稼いでいるのかな(知らんけど)。

で、ようやく内容。

まぁ…僕が頭に描いていた宇多田ヒカルそのものすぎて、これといった感想が浮かんでこない。もともと根暗でオタクなイメージはあったし、僕自身、鬼束ちひろと同じくダウナー系の系譜に属するミュージシャンではないかと思っていたので、今回の活動休止もさほど驚かなかった。

そんなグダグダな内容と、イライラな読書だったわけだが、唯一というか、さすが宇多田ヒカルだなと思ったのは、彼女が作品をつくるとき、常にリスナーを意識しているということだ。そして、それは10代の頃から一貫して変わっていない。ここまで天然培養で、生粋のエンターテイナーってなかなかいないと思う。

そりゃ、日本でリリースしたアルバムがすべてミリオンセラーなわけで(しかも、すべての曲を作詞・作曲している)、何て言うか、持っているものが違うやね。どんな形で復活してくるのか、僕はとても楽しみにしている。

Posted by Syun Osawa at 01:08

2010年09月17日

BBOY PARK 2010

2010年8月21日、22日/代々木公園

BBOY PARK 2010近くに行く用事があったという幸運も重なり、両日とも途中から参加。ヒップホップなどまるで知らない僕にとって、こういう無料イベントはなかなか貴重である。

1日目は女性歌手メインの日で、やたらと「ええ声」のお姉ちゃんが登場して、メロウな曲を歌っていた。僕自身この手の曲はほとんど聴かないため、青山テルマよかAIくらいしか知らない。そんなもんだから、みんな同じように聞こえてしまう有様だった。

で、最後になぜかDJ KAORIが登場して、微妙に失笑している観客に向かって何度も「パーティーピーポー!」言いながらと煽りまくっていた。あのちょっと冷めた感じの雰囲気の中で、心折れずにやりきる感じはいいね。しかも、DJなのに途中でマイク持って前に出てきて自分が歌いだしたときはさすがに「お前が歌うんかい!」と心の中で突っ込んだが、何気にその日登場した女性歌手の中で一番いいパフォーマンスだった気がするw

HMV渋谷最後の日2日目は男性ラッパーメイン。2ch情報によると、マイクジャック騒動なんかもあったらしいけど、僕自身はその後のビグサムあたりから参加。結構楽しみにしてたんだけど、遠めから見ていたせいか何を言っているかが聞き取りづらかった(全体的に会場の音が小さかった?)。

で、気づけばかなり前方に移動していて、雷家族、COMA-CHI、ライムスター、いとうせいこう&高野寛あたりを怒号の盛り上がりで楽しんだ。うーん、いいね。

あと、この日、HMV渋谷が最後だった。こっちでもフリーライブやってたけどスルー。行けばよかったかなぁ。僕も結構行った店だったので(つか、わりと行ってた。あんま買わなかったけどw)、ちょいと寂しいね。

Posted by Syun Osawa at 01:47

2010年09月16日

江戸絵画への視線展

2010年7月17日−9月5日/山種美術館

江戸絵画への視線江戸時代って300年も続いたんだから、文化が超多様であっても全然不思議じゃない。だって、日本なんて戦後60年しか経っていないのに、ものすごいスピードで変化しているわけだから、江戸時代だって同じように網状的に文化が深化していたと考えてもいいだろう。

ただし、鎖国中だったから外からの文化の流入は薄い。だからこそ、伝統芸としての日本画はより高度に熟成され、かなりハイコンテクストな消費がなされていたのではないかとも妄想できる。今回の展覧会の中だけでも、かなりの様々な流派の絵画が展示されており、それらすべてがハイブリッドされる形で、江戸の絵画というものが浮かび上がっていたように思う。

ところで、最近の僕は、藤原えりみ『 西洋絵画のひみつ 』を読んで以来、すっかりキリスト教の絵画にやられていて、大きな物語を絵画で描くという西洋絵画のコンテクストを勉強することに夢中になっている。そのせいか、今回の展示の中でもとりわけ物語が強く出ているものに目がいった。

例えば、鈴木其一《伊勢物語図(高安の女)》は、男が浮気相手の女の部屋をのぞき見たとき、その女が自分でご飯をよそっていたのを見て、女の姿を貧乏臭いと思うシーンを描いた絵である。旧約聖書、新約聖書の物語もなかなかしょーもないが、日本の物語もかなりしょーもないのだ。

そのしょーもなさをエンタメ系にグッと引き寄せていたのが、当時最大派閥の狩野派で、狩野常信《明皇花陣図》や《七福神図》のような物語る絵巻物は、今見てもかなり楽しめる作品だった。江戸絵画も面白いなぁ。もっともっと見たい。

Posted by Syun Osawa at 01:54

2010年09月15日

フラッシュダンス

監督:エイドリアン・ライン/1983年/アメリカ

フラッシュダンスゼロ年代のダンス映画をツラツラと見てきて、「今起こっていることはクラシカルなダンス(モダンバレエなど)とストリートダンス(ブレイクダンスなど)のハイブリッドである」なんて書き散らかしてきたけれど、何のことはない、この映画からしてすでにハイブリッドだったわけねw

ダンス映画の名作として名高いこの映画を前に見たのはおそらく20年以上前だと思う。内容についてはかなり覚えていなかった。ドラマ部分がいまいちピンと来ないのは、今のダンス映画と同じ。ただし、ラストのダンスパートに関してははっきり覚えていて、最初にダンスを失敗してやり直すシーンなどは記憶に残っていた。

このダンスシーンは今見ても驚くほどレベルが高く、バレエの要素を取り入れつつも途中にウィンドミルなどのブレイクダンスの技も取り入れている。僕は当然本人がやっていると思ったから、あまりのレベルの高さに度肝をぬかれ、twitterにも「ジェニファー・ロペスがPVの中でカバーしたダンスよりはるかに上手い!」と書いてしまったのだが、残念ながら代役だったらしい。

そう考えると、今のダンス映画はドラマパートがかなりB級とはいえ、役者自身がダンスをこなしており、そういう意味でのリアルさやライブ感みたいなものはより強く出ていると思う。

ストーリーのほうは、炭鉱労働者をやりながらダンサーを目指すというかなり無理のある設定や、その現場監督(?)と恋に落ちたり、地元のキャバレーでチンピラとひと悶着あったりと、かなり貧乏くさい展開だ。にもかかわらず、最後のダンス部分だけが光り輝いていて突飛な印象を受けるが、その点、ゼロ年代の映画は上手く修正されている。ただし、社会的マイノリティにいる人たちが成り上がるという、ストリートダンスの持っている古臭いイメージが、結局ギリギリのところで更新されていないところは若干気にかかるのだが、このあたりは、もう少しいろいろなダンス映画を見てみないと何ともいえないな…。

ところで、この監督って『ナインハーフ』の監督なのね。

Posted by Syun Osawa at 01:44

2010年09月14日

ももいろクローバー@汐留博覧会2010

2010年8月17日/13:00−13:40/汐留AX

SUPER☆GIRLS腐男塾 に続き、3度目の汐留博覧会。大切なお盆休みを何でこんなに非リアに消費しなければいけないのかという嘆きはさておき、ともかく僕はひたすら「ネト充・イズ・リアル」を目指してひた走るのである。

さて、今回はももいろクローバーである。アイドル戦国時代と自分たちで言っちゃってる(言わされている)MCが素晴らしく、「DD大歓迎」などとポストAKB的なメタMCや、ふざけた入場の余興や、わりと硬派に見せるパフォーマンスなど、彼女たちはなかなかいいベクトルを持っている。

そのため、オタク向けに最適化され過ぎたAKBにはいまいちハマれなかった僕の中に眠る、無駄にクリティカルなアイドル性向をグイッと刺激してくれるのだ。曲はまだまだ少ないが、そのうち神曲も揃ってくるだろう。

ところで、何でデビュー曲の「ももいろパンチ」やらないんだろ? 今年は結構ももクロのイベントを見てると思うが、ほとんどデビュー曲をやってない気がする。たぶん過去に散々やったからだとは思うけど、アレは権利関係の問題なのか、急速に黒歴史化しているからなのか。好きな曲なのにね。

Posted by Syun Osawa at 00:35

2010年09月13日

入門 経済学の歴史

根井雅弘/2010年/筑摩書房/新書

入門 経済学の歴史そもそも統計学とか経済学に興味を持ったのは、リーマンショック後に株が大暴落したとき、今が投資のチャンスではないかという直感から投資本を何冊も読み漁ったことがきっかけだった。

投資本には具体的なオンライン証券の講座の開き方やチャートの読み方、分散投資やリスクの考え方、相関係数の高いほかの市場の情報など、実践的なことは教えてくれるが広い意味での経済の考え方は教えてくれない。

投資をやるだけなら別にそれでもいいわけだけど、「お金」についての知識を得たくて投資に手を出してみた僕にとっては、経済学やら統計学やらは、カッコつけのためにも軽く触れておきたい学問なのだ。

とはいえ、どこの大学にも経済学部ってのがあるくらい、これらの学問は深く、また難しい。だから、あくまでカッコつけのためと割り切って少しだけ入門書を読むことにしている。最初にちょこっと統計学の本を何冊か読んだので、今度は経済学の本を読みたいと考えるようになり、とりあえずは軽く歴史などと思って読み始めたのがこの本だった。

うーん、とっても長い前置きだなw

そんなわけで、アダム・スミスあたりから始まる経済学の歴史について僕がどうこう言えるはずもなく、ただただ今は高校生のようにその知識を頭の中に入れるのみである。とりあえずわかったことは、日本では経済学者を名乗る大学教員がお互いを「あいつは馬鹿、○○がわかっていない」などと罵倒したりして、よくわからない教養勝負をしているが(主にブログやtwitterなどで)、あの馬鹿馬鹿しさはこの経済学という学問の伝統芸だったということくらいである。

Posted by Syun Osawa at 01:21

2010年09月10日

無敵!夏休み in 汐博 @汐留博覧会2010

2010年8月15日/15:00−15:40/汐留AX

SUPER☆GiRLSのイベント に続いて、腐男塾を見に汐留AXへ。中野腐女子シスターズは以前に見たことがあったんだけど、腐男塾はまったくの初見だったので、とりあえずの様子見。DDの宿命ですな。

僕は腐男塾のBL風っていうかイケメン男装のコンテクストが、どういう客層なのかまったく予想がつかなかった。全体的に男が多かったとは思うが、他のアイドルに比べると女子率が圧倒的に高い。まぁ、そういうのを狙っているのだから当然といえば当然か…。

そもそも「腐女子」ってのは、ボーイズラブが好きな女子ってことで、自らを残念規定するための自虐(的防衛)用語だと思うのだけど、もし仮に腐男塾のファンの中に腐女子がいたとして、彼女たちはそもそも男ではない腐男塾の中に何を見出しているのだろうか?

こういうメタ化されたアイドル消費は、特にBLの世界は、あまりに高度になりすぎて僕にはまったく理解できない。たまに腐女子を名乗る女性のニコ生に遭遇して、その放送を見るのだが、笑いのつぼがいまいちわからず、そっとバツボタンを押すのが常だった。以前、ゼロアカで買ったBL解説系の同人誌があるから、とりあえずアレを読んで勉強するしかないかなw

Posted by Syun Osawa at 01:51

2010年09月09日

コミックマーケット 78

2010年8月13日−15日/東京ビッグサイト

コミックマーケット 78いい歳して、毎度行ってるコミケ。

前日に茨城の西光院とか行ってたりして、なかなか疲れてたんだけど、朝からキッチリ起きて参加した。というのも、今回は一応行く目的があったからだ。

一番の目的は、GIFアニメの神作者だった、のすふぇらとぅさんのDVD『 海からの使者 』を手に入れること。この作品の前編は JAWACON で見ていたんだけど、あれがいよいよ完成したというのは感慨深い。パッケージを手にとって、なんか妙に神妙な気持ちになった。その他を含めた戦利品は以下のとおり。

のすふぇらとぅ『海からの使者』(DVD)
時藝研『コミック・マヴォ vol.5』
オフィスへリア『まんがはどこから来たか』
OTAD『OTAD vol.2』
フラクタル次元『エロマンガのゲンバ vol.3』
翁計画『顔射後ティータイム』

竹熊健太郎氏が自主制作で発行しているコミック誌『マヴォ』が今回で一旦終了になるそうな。表紙が丸山薫さんだったり、美大系の本格的な雑誌だったりして、結構応援していただけにちょいと残念。その後のものは、まぁ…いつも通りかw 『エロマンガのゲンバ』を買うついでに、師走の翁氏の同人誌を購入。エロ同人誌を買ったのって、いつ以来だろう? めっちゃ久しぶりな気がする(多分、いづるみ氏のエヴァ同人誌だったと思う)。

ところで、今回のコミケで「おおっ!」と思ったことが一つあった。それは、ageブースのところのモニタにtwitterのハッシュタグのコメントがリアルタイムで映されていたことだ。あれはコミケの熱を上手く吸い上げていて、なかなかいい感じだった。僕はやってなかったけど、きっと売り切れ情報とかを共有しているようなハッシュタグとかもあったんだろうね。コミケ会場は僕のPHSは以上に繋がりづらいけど、即時的な情報を瞬間的に共有しあえる最も適した場所ってコミケなのかも。

とりあえず、同人誌も読まないとな。買うだけかって読んでないというw

Posted by Syun Osawa at 01:24

2010年09月06日

PR誌地獄w 2010年6月号−7月号

熱風 2010年6月号

特集は「赤毛のアン」。この特集に寄稿しているメンツが凄い。高畑勲、高橋留美子、杏、柴崎友香、宇野常寛、等々。内容的にはどうということはなかったが、僕的にはかなり今風なというか、熱いメンツだったw 宇野氏が『熱風』に書いたのって初めてかな? 最近はよくテレビにも出ているし、同世代ではかなり売れっ子の批評家ですな。

ちくま 2010年6月号

斎藤美奈子氏のコラム「「女性を描く」と強姦小説+妊娠小説になるのはなぜ?」が面白かった。村上春樹や大江健三郎によって描かれた現実の女性とはかけ離れた女性像が登場する小説をディスっているわけだけど、でもまぁ、「現実の女性って何かね?」って疑問は残るわな。女性からそれを言われれば、男としては返す言葉がないよね。

本 2010年6月号

野矢茂樹氏の連載「語りえぬものを語る」が最終回。この連載を僕はずっと読んでいたけど、結局半分も理解できなかった。論理学はムズい。あとは東浩紀氏の連載。こちらも面白い。ネットのコミュニケーションについての言及は相変わらずズバッと明快で、共感できる部分が多い。

月刊 本の窓 2010年6月号

このPR誌結構好きなんだけど、発行部数が少ないせいかなかなかお目にかかれない。今回の特集も「デジタル書籍に未来はあるのか」とあって、興味深い。で、そこに前田塁氏やら中沢けい氏らが寄稿していた。前田塁氏って、イケメンだし声もいいのでテレビに呼ばれる理由はよくわかるんだけど、書いてる内容はいたって普通なんだよなw

図書 2010年6月号

和田春樹氏の「『坂の上の雲』と朝鮮」の中で、同小説では朝鮮のことがほとんど触れられていないと書かれていた。それが、テレビドラマの脚本の中でもネックになっているのではないかという指摘だ。なるほど…。僕は小説版が2冊目の途中で挫折しているので、第二部がスタートする前にちゃんと読み切りたい。横尾忠則氏のコラムは、読書体験はサプリメントのようなもので、善にも悪にもなるという話。僕の読書量では大したことないと思うが、ブログを読んでる量も合わせると、かなり悪の方が強くなってるかも…。羽田正氏の「世界史を構想する」というコラムもなかなか面白かった。『図書』は当たり外れが激しいが、当たるときはかなり充実になっている(もちろん僕的に)。

UP 2010年6月号

東京大学出版会のPR誌。瀬戸口烈司氏の「ダーウィンの著作は『種の起原』か『種の起源』か」というコラムは、サブカル雑誌のライターが書くような内容で、なかなか面白かった。あとは五味文彦氏の「加賀の宗教力の源泉を考える」とか。日本の新興と加賀という地域の特殊性について書かれている。仏教って本来あまり戦争しない宗教だと思っていたのに、どういうわけだか加賀ではバリバリ戦っていて、そういうのが白土三平の漫画でも指摘されていた記憶があるが、その背景には加賀の白山信仰なんかも影響しているのかも。

波 2010年6月号

ムダに分厚い新潮社のPR誌。中島稔氏が自著『眠れぬ夜の精神科』のコラムを書いていて、この本をちょっと読んでみたいと思った。僕もちょっぴり精神ヤバめなのでw 巻頭でよしもとばなな氏がインタビューを受けていたり、有名人が多く寄稿しているんだけど、コレ!といった感じはなかった。最後のページに『画家たちの「戦争」』という新刊が紹介されていた、これはかなり面白そうなので読むと思う。

ちくま 2010年6月号

斎藤環氏や堀江敏幸氏らが書評を書いていたりして、貰ってきたと思うのだが、佐野眞一氏の「“寒流”政治家」というお寒いタイトルに始まり、何と言うかグッとくるコラムがあんまりなかった。あっ、山田洋次氏の「理想の演出」という書評はなかなか面白かったな。あと、斎藤環氏の「「家族」は、最後に残った「理不尽」な絆」という話は、友達にネタとして使わせてもらった。

一冊の本 2010年7月号

なかなか手に入れることのできない朝日新聞社のPR誌。このPR誌の(というか、朝日新聞の)巻頭が一番ミーハー趣味な人選だと思う。今回は松本善明氏が「自殺の文学の中の生の文学」が巻頭だった。太宰治と共産党の関係がちょっと触れられていた。僕はこの両者の関係について長らく知らなかったので、どの程度の付き合いだったかには結構興味を持っている。何しろ太宰自身が元共産党員らしいので。

本 2010年7月号

いつものとおり東浩紀氏の連載を読んでいる。無意識の話。ネットに関する考え方は非常に共感できる。巻頭の連載が、矢野茂樹氏から上野修氏に変わり、「哲学史のワンダーランド」という連載が始まった。内容はなかなか面白そうだが、第1回のタイトルが「世界のそこが抜けたとき」ってのはどうなのよw 小川原正道氏が自著『近代日本の戦争と宗教』の解説していて、この本物なかなか面白そうだった。うーん、面白い本いっぱいだ。

UP 2010年7月号

今月号のUPは僕好みのコラムが結構載っていた。松本三和夫「「第三の波」をこえて」、西廣淳「生物の多様性を守る」、佐藤康宏「前略 横尾忠則様」、長谷川眞理子「ヒトとチンパンジーはどこが違う?」、泊次郎「知的誠実さとは何か」等々。このレベルの易しい文章がたくさんあると、僕みたいな素人でも楽しんで読めていいね。

波 2010年7月号

巻頭で大江健三郎氏が故・井上ひさし氏の『一週間』を激奨している。そーいや、井上ひさしの小説って読んだことないや。あとはまぁ、ぼちぼち。巻末の広告で『画家たちの「戦争」』という本が出ていることを知った。これは読まないとね。

図書 2010年7月号

巻頭コラムはジブリのプロデューサー・鈴木敏夫氏。ジブリと岩波書店の蜜月って何なんだろうねぇ。岩波から出るとやたらと高くなるから、個人的には徳間と組んでほしいんだけど。今号は丸谷才一氏の「平野謙の方法」をはじめ、高橋敏氏の「親出の鉄舟宛次郎長書簡」など面白いのがいっぱいあった。「図書」はたまに凄く僕向きな号があるんだよね、今回もそういう号だった。

Posted by Syun Osawa at 01:57

2010年09月03日

SUPER☆GiRLS@汐留博覧会2010

2010年8月24日/18:00−18:40/汐留AX

汐留博覧会2010が神イベント連発で、お盆休み中に合計3回も足を運んでしまったw ただし、会場の汐留AXは急造した会場って感じで、客席も暗くならないし「何だかなぁ〜」感はちょっとあった。

そんな会場で見たのが、SUPER☆GiRLS。僕が彼女たちの存在を知ったのは、このイベントに行く1週間前だったw だからまったく予備知識が見たわけだけど、出てきた途端に凄いクオリティが高くて驚いた。エイベックスが本気でAKB48商法に被せてきたんだなと。

エイベックスからはちょっと前に東京女子流がデビューしていたけど、ちょっとSweetSのリベンジ的な臭いがあって、ちょっとどうかな? と思っていたんだけど、このSUPER☆GiRLSは完全にAKB48に被せてきていてそこがちょっとツボだった。というのも、ゼロ年代の風景というのは、「取り入れて拡張(embrace and extend)」だと思っているからだ。つまり、一番熱いところにどんどん乗っかっていくという方法である。

今回のイベントで歌ったのは3曲。一番好きだたのは「絆デイズ」だったけど、誰かのカバー曲だったのかな? ともかく、ダンスといい曲といい、良くも悪くもエイベックス節で、最後の曲にいたっては小室サウンドだった(別にいいんだけどねw)。今のところ、良くも悪くも優等生感が出過ぎていて、先の展開が見通せないんだけど、ともかく 八坂沙織 があまりにも神だったので、ちょっと追いかけてしまいそうな自分が怖いw

Posted by Syun Osawa at 01:40

2010年09月01日

都市伝説物語 ひきこ

原作・脚本・監督・CG製作:奇志戒聖/2008年/日本

都市伝説物語 ひきこ個人制作系のアニメ作家として古くから活動されている奇志戒聖氏のホラー作品。彼の作品で最初に見たのは何だっけか? たぶん、DoGAのCGアニメコンテストで見た入賞作品か何かだったと思うが…。あの頃からレベルは凄く高かったが、40分もの中編作品を、このクオリティで作ってしまうのだから凄いねぇ。いやはや。

ここからは、ネタバレ注意!

そもそも日本のホラー映画って、心理描写で怖がらせることが多いわけで、そのためにはいかには生っぽさ(リアル感)を演出するかが大事になってくる。だから、3Dで恐怖映画をやるっていうのは、3Dでアダルトを作るくらいチャレンジングなことだと思う。

実際にはアダルトの3D作品もあるわけだから、この試み自体はとても面白いとは思う。ただし、3Dだからこその新しい何かを付加しているというよりは、あくまでも通常のホラー映画の文脈に則った形で作品が作られていたように思う。

そういう意味で、実写だったらさらに怖かったんじゃないか? とか思わなくもない。そこで3Dならではの演出とかあると、さらにすごい展開があったかも。でも、この作品の良かったところは別にあって、それはラスト。ネタバレになっちゃうけど、一気に人の記憶を反転させていくところが凄く良かった。

一つだけ気になったのは、先生が殺されるシーンは、ぶっちゃけ先生とガリガリのゾンビだったら、先生のほうが強いだろうと思ったんだが、そういうところはどうなんだろうね。心理戦で追い込まれなければ、力では負けないだろうし。

Posted by Syun Osawa at 00:16