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2010年11月30日

デジタル一眼撮影術入門

田中希美男/2009年/アスキー・メディアワークス/新書

デジタル一眼撮影術入門この本タイトルが長すぎて、どこからどこまでがタイトルなのかわからんw 正確には『カラー版 基本がわかる!写真がうまくなる!「デジタル一眼」撮影術入門』という本らしい。

さて本題。会社の同僚が子どもの頃からバードウォッチングを趣味にしていて、去年から何度か一緒に行くようになった。で、弁天山に行った時、偶然エナガという鳥を撮影し、そこから野鳥の撮影に軽くハマった。単純。

とはいえ、僕の持っているデジカメはCanonのEOS Kiss X4とオリンパスのCAMEDIA SP-560UZで、やや力不足。オリンパスのSP-560UZなどは2、3年前に買ったものなのでまだまだ現役なのだが、シャッタースピードなど諸々考慮して、思い切って一眼レフを買うことにした。いきなり高価な一眼レフは変えないので入門機として有名なEOS Kiss X4(ダブルズームタイプ)を購入。

マニュアル人間のため、新しいことを始めるときはいつも導入本や入門本に頼ってしまう。これは、投資を始めるときもそうだった。それが吉と出るときもあれば凶と出るときもあるので、一概にどちらがいいとは言えない。ただ、今回はまず一眼レフの技術的な基礎を知っておきたかったので、かなりのど素人向けに書かれたこの本は、僕には吉と出たように思う。

一眼レフ使いなら誰でも知っているような、露出やらシャッタースピードやISO感度やらホワイトバランスやらのことが、それらの設定が写真にどういう影響を与えるかなどを含めて丁寧に書かれている。また、パソコンで写真を取り込んだ後の画像処理についても丁寧に書いてあった。

とはいえ、Photoshopなどを使用した画像処理は僕の得意分野でもあるので、こちらの作業はそれなりにできる(あとナショナル・ジオグラフィックの『デジタルカメラ プロの使い方』とかも以前読んでるので…)。だから、後処理で上手く補完するようにすれば、なかなかいい感じの写真ライフが遅れるような気がしてきている。まぁ、勘違いだけどw とりあえず撮りまくるしかない。

導入本ってやっぱモチベーション上がってくれないと読む意味ないからね。そういう意味でも、僕の一眼レフライフはまずまずいい出だしがきれたと思う。

Posted by Syun Osawa at 00:29

2010年11月20日

政治少年死す

大江健三郎/1961年/『文學界1月号』より/文藝春秋/A5

政治少年死すこの小説を読みたくて、結構長い間ヤフオクで奥崎健三の『宇宙人の遺書』や鹿砦社編集部の『スキャンダル大戦争2』などを探していたりしたのだが、大森望氏がニコ生の放送中に「今はネットで読める」と言ったのでググッてみたら一番上のページに掲載されていた。知らなかったよ…。合法なのかどうなのかはわからないけど(つか違法だろうなw)、特に削除される様子も無い。いわくつきの作品だから著者もスルーしているのかもしれない。

この小説は以前読んだ『 性的人間 』の中の一編「セヴンティーン」の続編らしい。前作からしてそうだったが、世の中と上手く折り合いをつけられずに生きている右翼の少年が、天皇や日本という大きな物語へ自分自身を没入させていく様を描いている。

で、感想。

ノーベル文学賞受賞作家に対して、文学もろくに知らない素人の僕が意見するのははばかられるが、何と言うか「非常に惜しい!」って感じの内容だった。90年代以降にも小林よしのりの『戦争論』なんかに影響を受けて保守にハマった人やら、嫌韓を前提に排他主義、差別主義的な振る舞いをする人やらがいて(すぐに「売国奴」とか言う人たちね)、そういう現代の若者にも通じるような普遍性をもったキャラクターを作り出している点はさすがだと思う。

そのキャラクターの描き方がなかなか攻撃的なため、「こういうダメな奴が妄想をこねくり回してネトウヨになりますm9」みたいな捉え方もできてしまう。だから、見る人が見たらかなり腹立たしいキャラクター像に感じられるかもしれない。ただ、個人的にはある一面は上手く捉えているように思ったりもした。

僕が惜しいと感じたのはこうした輪郭の部分ではなく、後半の主人公の思想ついてだ。主人公は天皇と自分の関係性を妄想の中で何度も何度もこねくり回し、リアルと妄想をつないでいる自意識の橋をグラグラと揺らがしている。その揺らがせ方や、その後の思考の展開の仕方が妙に頭が良く感じられて、僕が肌感覚で感じているものとは違うように思ったのだ。

このモヤモヤした気持ちをここに書きとめておきたいのだが、文才のなさゆえにそれは無理っぽい。よーするに、「何となく合ってるけど、微妙に違うんじゃね?」ってことが書きたいのだ。左翼がロジック、右翼が感情で考える傾向が強いとしたら、この主人公の少年はどこか冷静にロジックを操っているようにも見える。また、一直線な指向についてもやや単純化しすぎているように思った。

Posted by Syun Osawa at 12:25

2010年11月17日

重力ピエロ

伊坂幸太郎/2006年/新潮社/文庫

重力ピエロ実家に帰ったときに母親がくれた本。伊坂幸太郎が人気なのは知っていたが、まさか母親までハマっているとは思わなかった。僕は小説をほとんど読まないので詳しくはわからないのだが、普通の小説にちょっとミステリのエッセンスを加えた感じのこの手の小説は、ゼロ年代のかなり中心的なジャンル帯を形成していたのかもしれない。

以下、ややネタバレ含みます。

まぁ、ネタバレって言ったところで、途中から話はほとんど見えている。その半分見えているオチまでどのようにドラマを展開させるのかってところがこの話の妙だったりするわけだ。本書は細かいショートエピソードがパッチワーク状につなぎ合わされながら、少しずつ謎が解かれ、物語が進んでいく。そのジグザグな物語の進み方が、単純な犯人探しのミステリとは違うところに主軸を置いていて、そのバランスの取り方がなかなか素敵だった。

物語の主人公は仙台に住む20代の男兄弟。その母親は他界しており、父親は癌で入院中している。弟は過去に母親がレイプされてできた子どもで、癌で入院中の父親の子ではない。物語は弟が母親をレイプした男(つまり自分の本当の父親)を見つけだし、殺すことで終焉を迎える。その過程で繰り返し問われるのは、「家族とは何か?」ということだったように思う。

この問いについて、兄は何度も何度も考え続けるが、最後の最後までそれに対する明確な答えを得てはいない。しかし、この兄弟と父親は最後の最後まで家族としての振る舞いを崩すことは一切無かった。上で軽率に弟が殺した相手を「弟の本当の父親」と書いてしまったが、それは違うのかもしれない。兄弟の本当の父親は癌で死んだあの父親しかいないのだ。

今回、伊坂幸太郎の小説を初体験。悪くない。ただ一点だけ気になるところがあった。それは、春を追いかけ続けたストーカーの心理だ。最近、耳かき裁判の傍聴に行ったりしたこともあって、ストーカーについてぼんやり考えていたのだが、僕の考えるストーカー像と、この小説に出てくるストーカーがどうにも違うのだ。

この小説に出てくるストーカーはあまりにも自己言及的過ぎる。自分のことをストーカーと自覚してしまっており、その自覚の上で行動している。問題はこの行動が、ストーリーを展開される重要な役割を担っている点で、物語のつなぎ目を都合よくつなぐためのキャラクターとして配置されたように見えてしまったのがやや残念だった。ミステリー仕立てだから、そういうところは仕方ないのかもしれないけど。

ともかく、ファーストコンタクトは上々。サクッと次作品も読んでみよう。

Posted by Syun Osawa at 23:22

2010年11月09日

exPoP!!!!! vol.43

2010年10月28日/19:00−22:45/渋谷 O-nest

数カ月前に買った中古のノートPCで、今回ライブに出たバンドの出演順に感想をツラツラ書いていたのだが、いつの間にかそれらが消えていて、後半に追加で書き足した感想しか残っていなかった。さすがにもう一度書き直す気も起きないので、その追加分だけをアップ。

楽しみにしていたThe宇宙人sは見れず。東京カランコロンは楽しい感じ。そんな感想を書いたはずw で、mothercoatは出だしの曲が踊るロック的な雰囲気だったので思わず今風のノリを楽しんでやろうかと思ったら、後半はそういうスマートな方向ではなく、わりとガチャガチャしたスタイルだった(いい意味でね)。そんなライブの攻撃性も印象的だったが、ちょっぴり中二病が漂ったフライヤーが強く印象に残った。

OverTheDogsを見てすぐにRADWINPSを想像してしまうのは、完全に僕がおっさんになった証拠だなと思う。たぶん現場にいた女子高生は完璧に違った世界に見えているはず。このバンドはちょっと前にYoutubeで何曲か聴いた事があって、今回もその曲が何曲か披露されていた。彼らの歌を今の若者たちが強い共感をもって受け止めているのだとしたら、キミとボクの小さな世界は、今もまだ有効ということだ(根深く続くセカイ系問題)。

他にもベースの人がなぜか妙にいかついとか、よくわからない手の動きをファンの女の子が真似ていて、オタクがアイドルの振りを真似しているのがキモいとか言われているが、それは女も同じじゃねーかと思ったりとか、まぁいろいろある。いろいろあるにせよ、ともかくああいう普通の小さなライブ会場でまっすぐなポップソングを聴けたのがわりと僕の胸に響いた。

歌い方のせいかちゃんと歌詞が聴き取れるので、その歌詞から彼らの表現したい世界を共有することができる。最後の「本当の未来は〜」って曲も、おっさんからしたらぬるいはずなんだけどね、歌詞とかマジメに聴いてたらちょっと感動したよね。何でだろw

で、最後がクリープハイプ。

『QuickJapan』とかが好きそうなビジュアルのボーカルのMCがなかなか面白い。あとハイトーンボイス。何て言うんだろ…失礼ながら、「まさに今! 瞬間最大風速の真っ只中!」みたいな感じ。ぶっちゃけ僕はこの手の音はかなり好き。キャッチだし、ギターのリフがU2のエッジばりに気持ちいいし。

ボーカルの人がMCでArt School系とか自虐的なギャグを言ってたが、個人的な印象としてはもうちょっと高円寺風味のキャッチな印象。家に帰ってからYoutubeで見た「 左耳 」のPVが流行りに乗っかりすぎなのもご愛嬌。今の時代はいかに先行している波に上手く乗っかるかというのも勝負のポイントになっていたりするので、これはこれでいいのかも。

後日、TSUTAYAへ行ったらたまたまクリープハイプのCDがあったので借りてみた。そしたら、店員さんが「私、クリープハイプのファンなんです!」と言っていて驚かされた。凄い人気なのね。おっさんになると音楽業界を取り巻く空気感とか、その手のムーブメントに疎くなってくるので、こういう反応も含めて勉強になる。若い子のアンテナの感度はやっぱいいね。いやほんとに。

Posted by Syun Osawa at 00:21

2010年11月05日

第51回 神田古本まつり

2010年10月27日−11月3日/神保町

第51回 神田古本まつり台風が来たこともあって、神保町ブックフェスティバルが併催されていた10月30日、31日には行けず。で、3日に参加したのだけど、ブックフェスティバルが併催されていない古本まつりは少し寂しい感じだった。台風通過後の休日ということもあって人はたくさんいたのに、それを受け入れる店がやや少なかったのが残念。

というかこのテンションの低さは、そもそも僕が買いたいものがなくて、モチベーションが上がらなかったことが原因なんだろうな。田中雄二氏の『電子音楽 In The(Lost)World』が900円と破格の値段で売っていて思わず手が出そうになったのだが、その前作『電子音楽 in Japan』のほうが手付かずのまま積ん読になっていることもあってスルーすることにした。昔の僕なら迷わず買っていたと思うが、さすがに部屋に本が溢れすぎてしまっていて、これを何とかしないことには次のステージへ行けないところまできている。

本当は 戦争と芸術 関連の本で欲しいものは結構あるんだけど、こちらは最近小休止状態になっている。関連本はちょこちょこ読んでいるものの、それを自分の中でまとめきれていないというか、あれこれと妄想をこねくり回せてないので、こちらも次のステージに行けていない状態。

そんなわけで、何も買わず、あれこれ動くこともなく、白十字で神保町らしい普通のコーヒー(良い意味でも悪い意味でもw)を飲んで帰った。神保町近くで「1234567891011オフ」と書かれた張り紙の前で若い子達がいっぱい集まっていて、この日がPerfumeの東京ドームライブだったことを知る。亀戸でやってたとき しか知らないから、東京ドームとか想像つかないやw

Posted by Syun Osawa at 00:22

2010年11月03日

国民読書年記念シンポジウム「読書とはなにか」

2010年10月20日/13:30−17:00/国立国会図書館 新館 講堂

偶然ではあるが、平日に休みを取れたので参戦。午前中は近くにある東京地方裁判所で秋葉原の耳掻き殺人事件の裁判の傍聴をしていた。で、午後からこのイベントに参加したわけだけど、別にイベントのテーマ(読書とは何か?)に惹かれたからではない。たんに松岡正剛氏の話を聞いてみたかっただけなのだw

正直言って、本イベントのテーマはでかすぎるし、どう見積もっても話がぼんやりすることは目に見えている。それでも、そのでっかい話を大づかみに捉えて、さまざまなジャンルのジャーゴンを引っ張ってきてわかったようなわからないような(実際僕はあまりよくわかっていないのだが…)話を展開できる松岡氏はさすがだなと思った。中でも、読書をしている「私」=読書モデルをたくさん持っていて、それらが上手く編集されているのがよいという話は、なかなか面白かった。

ただ、その後のディスカッションもそうなのだが、読書という体験を「新しい知との出会い」と捉えすぎている気がしたし、読後のコミュニケーションに重点が置かれすぎているように思った。

僕は読書という行為には確実に「快楽」の要素が含まれていて、本が延命を果たすのであれば、むしろそちらの要素について考えるべきなのではないかと思う。松岡氏が今の書店は機能的過ぎるということには僕も同意で、ヴィレッジバンガードのように、快楽重視の本の陳列を目指すべきなのだ。

知りたいことをサッと知るという意味での本は、快調にインターネットに置き換わられていくだろう。その点については橋本大也氏がピエール・バイヤール『 読んでいない本について堂々と語る方法 』などを紹介しながら言及されていた。彼はこれからの本はどんどん短くなっていくと言っていたが、これは一側面に過ぎない。快楽ベースの小説はどんどんページ数が増えているではないか。

登壇者の誰かも言っていたことだが、読書の個人的な体験というものは、軽んじるべきではないと思う。的外れな比喩と知りつつも、今パッと思いついたことを以下に書いてしまおうw

例えば、SEXにはSEXという行為の快楽と、SEX後の体験談の共有という2つの要素があって、ネット時代には後者のコミュニケーションは重層化・複雑化している。童貞や処女が異常にクローズアップされてしまう事態もこうしたことに起因しているように思う。

そして、後者のコミュニケーションは実際のSEXとは関係ないところで成立してしまうのだ。しかしその一方で、SEXの直接的な快楽というのは確実にあるはずで、こちらはその瞬間その瞬間のプライベートな体験に過ぎない。日々のSEXの直接的な快楽を、多くの人で共有したいとは考えないだろう。

この声なき声というか、活字中毒者の快楽という側面を読書は決して切り離せない。コミュニケーションが異常に肥大化した時代であるからこそ、その部分を単純に切り捨ててはいけないなと…僕はイベントの進行とは関係なく勝手に妄想し、勝手にオチをつけていたのであった。

Posted by Syun Osawa at 20:14

2010年11月02日

マンガに特化した電子ブックリーダーが欲しい

kindleやiPadでは、日本のマンガの特性は生かしきれないので、結局電子ブックに特化したマンガを作り直さないといけない。そこで、日本のメーカーが下のような電子ブックリーダーを作ってくれればと切に願います。

ポイントは観音開きすることと、中央部分の切れ目が目立たないこと、V字型にしても読めることです。こうすれば、現状の漫画をそのまま電子ブックリーダーに移行できるし、読むほうも違和感無く読めます。

どうせ、普通の電子ブックリーダーを作ってもkindleやiPadには勝てないのだから、過去の膨大なマンガの資産をそのまま使えるこの方式で勝負する会社が現れてもおかしくないと思います。

また、V字型で読めるというのも非常に重要で、例えばiPadなどは電車で読もうとすると、周りに見ているものがモロばれなわけです。ちょっとだけ開いて、こそこそ読みたい人もいるはずだし、ほとんどの人が実際そのようにして本を読んでいるのではないでしょうか。

喫茶店なんかで、斜に構えてiPadを堂々と眺めている姿は、どこか日本人っぽくなくて、個人的にはいつも「欧米かっ!」と突っ込みを入れたくなってしまうんですけどね。まぁ…僕だけかもしれませんが。

コミックサイズかA5サイズで、ぜひ!

Posted by Syun Osawa at 01:43