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2010年12月31日

g2 vol.6

青木理、安田浩一、森功 他/2010年/講談社/A5

g2 vol.62ch経由で「「在特会」の正体」という記事がネット上で話題になっていることを知った。で、立ち読みしようと思って書店で『g2』を手にとって見たら、表紙に「同和と橋本徹」の文字が。これまた興味をそそられるタイトルである。『g2』はこれまでに『 g2 vol.1 』と『 g2 vol.3 』を買ったことがあり、どちらも読み応えのある内容だった。そんなこともあって、本誌を1ページもめくることなくレジに持って行ってしまった。

で、読み始めてビックリ。すげーつまんねーのw

筆者が可愛い女の子でなければ恐らく掲載されることの無いであろう秋葉のコラムとか、中年の自意識交じりのセックスの話とか(これは購読者層を考えればアリなのかもしれないが…)、そういうのはアエラでやってくださいというような就職座談会とか、これまたありがちなポスト・ホリエモンの草食系学生起業ルポ。いまどき硬派なルポだけじゃ売れないから、微妙に柔らかいところを取り込みにいった結果、こんな風になっちゃったんだろうな。うーん。

それはともかく、2つのルポの話。

「「在特会」の正体」というルポは、「在日特権を許さない市民の会」という団体の会長・桜井誠氏の人物像に迫ったものだ。読み終えて、「やっぱりな…」という感想しか出てこなかった。というのも、僕が想定していた人物像そのままだったのだ。ニコ生などを見ていると、たまに非常に偏狭なナショナリズムをあらわにしたような書き込みを連投している人を見かけるが、ああいった類の人も似たような境遇を生きているのかもしれない。

こういう話をするときに「ネトウヨ」という言葉を使用すると、すぐさま「ネトウヨの定義は?」という言葉が脊髄反射のように返ってくるが、当然明確な定義などあるはずがない。しかし多くの人が「ネトウヨ」という言葉から連想しているのは「迷惑な人」ということだけだろう。

別に誰がどんなことを考えることも自由だと思うし、在特会の主張も自由である。しかし、ルポを書いた安田氏も書いているように、彼らの主張が繰り返される問題の本質は別のところにあるように思えてならない。そして、彼らの主張が「迷惑な人」の声として一般大衆からはスルーされ、その声が社会の低い位置で共振し合いながら拡大しているのだとすれば、彼らの声は、下の者がより下の者を叩くという下方スパイラルの連鎖を助長しているだけのように見えて、ただただ悲しいのである。

もう一つの「同和と橋本徹」というルポは、僕が抱いていた橋本像を少しだけ軌道修正させるもので、なかなか面白かった。同和ネタというのは、差別と逆差別の挟み撃ちに合うので、どのように主張しても差別的になるというパラドックスから逃れられない。だから、ぶっちゃけ書きにくいんだけど、橋本氏は渋谷出身であるにも関わらず、同和問題と非常に密接に関わりながら育っているというところに、彼の半生の壮絶さが見え隠れしていた。僕はもともと彼の『 どうして君は友だちがいないのか 』を読んでいるくらいで、それほど印象は悪くない。そんな印象が、今回のルポを読んでさらに少しだけ印象が良くなったのは、僕的には喜ぶべきことか悲しむべきことか(うちの親は嫌いらしい)。

Posted by Syun Osawa at 19:23

2010年12月30日

不況は人災です! みんなで元気になる経済学・入門

松尾匡/2010年/筑摩書房/四六

不況は人災です! みんなで元気になる経済学・入門図解雑学 マルクス経済学 』が面白かったので、続けて同じ著者の本を読むことにした。経済学の世界には、自然科学の世界とは違って、一本の大きな価値体系というものがあるわけではないようだ。学派によって経済の見方は変わり、それぞれの島宇宙に属する学者たちが経済に対する考え方を巡って論争をすることは珍しくない。だから、経済学に関する本を読むときは、その著者の立ち位置を頭に入れながら読まないといけない。そういうことくらいまでは、僕の脳みそでもわかってきた。

で、この人はマルクス経済学によく言及するリフレ派の学者ということらしい(いわゆるマル経の学者ではないようだ)。リフレ派といえば、高橋洋一『 バカヤロー経済学 』や飯田泰之『 考える技術としての統計学 』などを読んでいて、僕自身、彼らの考え方に共感するところが多い。そのせいか、今回の本もあまり違和感を感じずにスラスラと読むことができた。

面白かったのは、ゼロ年代の初頭に小泉首相がやっていた経済政策が、天井を上に押し上げる経済政策だと解説していたところだ。経済政策には天井を押し上げる政策と、今この瞬間の経済をよくする政策とがあって、小泉首相は目の前の雇用対策をあまり重視しなかった。そのせいで、経済が回復したとテレビが伝えていても、国民一人ひとりはそれほど経済の回復を実感できなかったのだ。

よって、雇用対策をしっかりしろというのが著者の主張で、これは非常に納得できる。民主党は内需拡大を訴えていたが、この訴えだと小泉首相の天井の押し上げをイメージさせる恐れがあるので、内需回復と言うべきかもしれない。そして、まずはリアルに「ものを買いたい」と考える人を増やすというベタな需要の回復を目指すべきなのだ。

マッテオ・モッテルリーニ『 世界は感情で動く 』などを読んだあたりから感じていることでもあるが、経済の動きというのは人々の感情や気分に左右されていることがわかってきた。ドル円の値動きなどを見ても、国際的なニュース一つで乱高下してしまうし、その乱高下を受けた人々の感情を受けてまたその値動きが変化するという、連鎖が起きる。インターネットの出現により、ニュースが瞬時に、しかもくまなく世界中を巡ってしまう今、その現象はより顕著に現れていると考えていいだろう。

こうした状況下で、日本はどういうスタンスを取るべきなのか。どうすればデフレから脱却することができるのか。政策的な方面ではまったく答えは思いつかないが、心情的には楽観的かつ強気にいくしかないと思う。著者もその点について本書で触れていて、デフレが回復しない理由の一つとして、日本人のリスクに対する慎重な考え方を挙げていた。

未来のことに絶対はないし、完璧なシステムも存在しない。だから「○○すれば、○○になる」という事はどこまでいっても言うことができない。そうした意味で、未来に対するリスクをどれだけ引き受けるかは気持ちに依存するところが非常に大きいのである。これは心理の領域の話になるのだろう。だから次からは、人の心理(特に催眠術とか)に関する本を、経済を視野に入れながらちょこちょこ読んでみようと思う。

Posted by Syun Osawa at 01:35

2010年12月29日

exPOP vol.45

2010年12月14日/19:00−22:20/渋谷 O-nest

今年の後半は、exPOPの日になると天気が悪くなっていた気がするなぁ。この日も微妙な天気。

今回のライブの目当てはボアダムスしかなかったんだけど、わりと早く会場に着いたので、トップバッターのThe Cigavettes(違ったかも…)を途中から見ることができた。なんかエモ成分多めの正統派ロックって感じ。僕が見に行く回って、だいたいトップバッターが一番まっとうというか、ストレートな音楽をやっている気がする。

続いてのソンソン弁当箱も「ロックンロール」って感じ。今日はそういう日なのかな? 在日ファンクみたいな濃いキャラクターのボーカルが楽しい。ああいうキャラの強い人はいいね。宮城でニートやってるらしい。

で、最後にズボンズ。10年以上前の話になるが、僕が銀座の三越でアルバイトしていたとき、同じバイトで働いていた男の子が彼らのファンで、僕は彼を通じてズボンズの存在を知った。その彼とはエレクトロ・ボディーミュージック(死語?)の話とか、ミクスチャーの話とかをよくしていた。ズボンズというバンドは、そんなプライベートな記憶からたぐりよせられたバンドなので、今回、実際にライブを見てちょっと拍子抜けした。

というのも、彼らのかもし出している雰囲気が想像した以上にアットホームな感じだったのだ。客の上げ方も攻撃的ではなく軽快な感じ。ゴリゴリにモッシュ状態になるような印象を持っていたから、この心地よく体を動かさせるリズムは想定外だった。今日は妙に味わい深い「いいロック」を経験したように思う。

イベント終了後、外に出たらめちゃめちゃ寒くなっていた。冷たい風に当たりながら自転車をこいでるとき、昔のバイト仲間が好きだったのはズボンズではなく、ボアダムスだということに気づいたのだが、それはそっと記憶の片隅に引っ込めておこうと思う。

Posted by Syun Osawa at 02:06

2010年12月25日

X'mas限定ライブ Aira Mituski × Saori@destiny

2010年12月12日/19:00−21:10/川崎Serbian Night

川崎セルビアンナイトって、ライブハウスというよりはクラブっぽい。そのためステージも低く、後ろのほうからはかなり見えにくかった。ヒップホップのDJイベントでゲストにR&B系の歌手が出てくるような突発ライブならあんな感じのステージでも文句はないが、スタンディングのライブであのステージの低さは何とも…。

昨日のアイラのインストアライブの感想 から、何だか棘のある言い回しが増えているのは、おそらくアイラの展開に対して、ファンとして少しだけ不満を抱いているからだろう(DDのくせにすまん)。

今回のライブは文句なく盛り上がったし、僕自身十分楽しんだ。ただし、その盛り上がりの主要な部分はSaori@destinyによるところが大きい。彼女が今年の4月に『World Wild 2010』をリリースして以降、彼女のライブは凄まじく盛り上がっている。その盛り上がりはこれまでのミックスを打つようなアイドルヲタ的なものでもなく、クラブカルチャーに頭でっかちになっているテクノヲタ的なものでもない。一言で言えば「ただ単純に」盛り上がっているのだ。

今回のアイラミツキとSaori@destinyの合同イベントも例外ではなく、最初に出てきたSaori@destinyが会場のムードを最高潮まで押し上げていた。後半のアイラミツキのライブが終了した後、アンコールの歓声の中に「サオリ!サオリ!」の声が混じり、多くの人がそれに同調した。これはSaoriファンのちょっとした悪戯に、他の客が乗っかったことが原因なのだが、これはSaoriファンがアイラファンより多かったということではなく、Saoriの方が盛り上がったという事実を多くの客が無意識に受け入れていたからだろう。

では、アイラはどうだったか?

こちらもSaori同様に盛り上がった。新曲「???」も良好だったし、前日も歌った「Summeeeeeeeer set」も客を沸かせることに成功していた。そして、彼女のライブの定番曲である「イエロー・スーパーカー」のタオルの数を見れば、Saoriのファンよりもアイラのほうがファンが多かったことがわかる。にもかかわらず、アンコールではSaoriコールの悪乗りを許し、2chのスレッドでもアイラよりSaoriの方が盛り上がったという意見が大半を占めた。

こうした事実から導き出される答えは簡単である。

今、アイラを応援しているファンの多くは、古参ヲタを除けば単純に盛り上がりたいだけの層なのではないか。これは僕の個人史とも結びついてしまうが、アイドルが好きでなおかつダンスミュージックが好きな層が一定数いることは間違いない。良く言えば、アイドル歌謡だけでは物足りず、純粋にダンスミュージックとアイドルのハイブリッドを楽しみたい層。悪く言えば、クラブに通いながらダンスミュージックを楽しむことも、アイドルヲタの道をひたすら邁進することもできず、音楽の知識も中途半端、見てくれも中途半端、ファッションも中途半端、にもかかわらず自意識が邪魔してそういう自分を認められないような広義の意味でのDDの層が支えている気がしてならない。

もし仮にこうした層がアイラを支えているのだとしたら、彼女に求められているものはK-POPでも、マニアックなエレクトロでもない。アイドルとダンスミュージックを極めて明確にハイブリッドし、AKB48よりもPerfumeよりも、Mark Knightよりも2 many DJ'sよりも(このチョイスに含意はない)、踊れて盛り上がれる空間を作り出すことではないだろうか。

Saori@destinyが『World Wild 2010』以降のライブで演出してみせたのはまさにそこだった。他のライブでは消化不良なところを、最後にもうワンメーター上へ押し上げてくれたのが彼女のライブだったのだ。

もちろんアイラにもそれができる。それは決して可愛い路線ではない。「Wonder Touch」や「Bad Trip feat. Terukado」、「ハイバッシュ」など、やれば確実に盛り上がれる曲をたくさん持っている。そうした楽曲を話題のアイドルやダンスミュージックのネタでマッシュアップしたりしながら、ただ「単純に」上がれる空間を演出することができれば、自分から「オイ!オイ!」なんて誘導しなくても、みんなが勝手に沸いてくれるに違いない。

僕らはただ単純に盛り上がりたいだけなのである。

彼女たちの曲に今、それ以上のコンテクストが必要だろうか?

Posted by Syun Osawa at 15:10

2010年12月22日

Aira Mitsukiインストアライブ

2010年12月11日/18:00−18:30/タワーレコード渋谷

昨年出たアルバム「PLASTIC」でPerfumeとMegの劣化コピー路線とデジロック路線をハイブリッドさせ、一昨年の1stアルバム「COPY」から更なる進化を見せつけたアイラミツキ。2010年は飛躍の年になるはずだった。事実、3rdアルバム「6 FORCE」、4thアルバム「???」と2枚のアルバムをリリースしており、デートピア的にもその本気度が伺える。

しかし、3rdアルバム「6 FORCE」ではSawagiを迎え、デジロック路線をさらにディープに推し進めた結果、その内容に疑問符をつけるコメントが2chのスレッドなどで見られるようになった。その影響からか、今回の4thアルバム「???」では流行のK-POPをブレンドする形で若干の軌道修正がなされたが、こちらに対しても否定的なコメントが目立っている。

流行に陰りの見えてきたエレクトロに少しでも新しいエッセンスを加えたいという野心はとてもいいと思う。実際に僕はそういう迷走の面白さからデートピアを応援しているところもあるので、こうした路線チェンジの試みはどんどんやっていって欲しい。

ただ、素人のアイドルヲタ的な目線からこうした状況にひとこと言わせてもらうと、顧客の姿をあまりにも掴んでいないように思える。例えば、K-POPへの接近がその「掴めてなさ」を明確に示している。まずもって、K-POPを好んで聴く人ってどんな人なのか? そこがわかっていない。超雑駁に言ってしまえば、洋楽を聴き込むほどのモチベーションはないが、日本人ではないミュージシャンの作品を聴きたい人がK-POPを聴いているのである。

少女時代の「Gee」のようなキラーコンテンツは別格として、K-POPというジャンルで横断する人は、日本人以外のちょっと背伸びしたPOPソングを聴きたいのである。日本にだってこれまでにMAXをはじめとして、Perfumeのお姉さん的な存在のBuzyなどもいたが、全然売れなかった。つまり客層が違うのだ。

そして、ネオ渋谷系への目配りも、K-POPへのミスマッチと同様である。音楽を愛している人に対して、「ジャンルレスなオルタナティブを提供する」と言えば聞こえはいいが、どんな音楽をやっていても、結果的にはある程度収まりのいいところへ収斂されていくものである。

その収斂される先はどこか? この未来予測を、今年のアイラは大いに外したと思う。その一方で、同じデートピアのSaori@destinyは規模は小さいながらも明確にファンの心を捉えるアルバム(『World Wild 2010』)を出した。その辺りの話は明日のAira Mitsuki&Saori@destinyのライブがあるので、その感想で書いてみようかなと思う。

話がそれまくったw

タワーレコード渋谷のイベントはCD購入者のみの入場にも関わらずそれなりの人の入り。『PLASTIC』のときよりちょっと減ったかな? …くらいの感じだった。ライブが始まる前に司会の男性がやたらと「盛り上がってね」的なことを念押しし、ライブが始まるとアイラが小桃音まいもビックリなくらいにオイオイコールを要求していた。あの感じは一体何なんだろうかw アルバムタイトルの「???」はこんなところでも連想された。

今回のライブでは、ダンサーの2人が凄い上手に見えた(前からあの二人だったのかな?)。ぶっちゃけそっちにばっかり目が行ってしまったのは、2chやブログを見る限り僕だけではなかったようだ。

Posted by Syun Osawa at 02:00

2010年12月19日

図解雑学 マルクス経済学

松尾匡/2010年/ナツメ社/四六

図解雑学 マルクス経済学親が社会党や共産党のシンパで、気づけば自分も学生時代に左翼活動に精を出していた…というような人なら恐らく読まない本。だって、そういう人は学生時代から不破氏の本やマルクスの著作なりを読んでいるだろうから。

というわけで、この歳になってマルクス経済学を、しかも図解で読もうという時点で左翼としては失格だろう。僕の場合は、2年ほど前に投資に興味を持ち、投資―経済学―マルクス経済学というの流れでこの本に至った。この本の前に読んだ経済関連の本は『 入門 経済学の歴史 』や『 ニューズウィーク日本版 経済超入門 』といったあたりだったので、今回の本でようやく中学生2年生レベルから3年生レベルにステップアップできたように思う。

以前、「マルクス経済学」をかじっていたという左翼系の元学生がニコ生で放送していたとき、感情や個人的な事情などはいったん脇に置いて、客観的な事実の積み重ねの中で社会を捉えたいと話していた。僕はそのとき、「左翼」という言葉についてまわるイメージが、今もほとんど更新されていないと思った。そのイメージとは、今回の本で言うところの「社会的なこと」を静的な理論によって定式化し、その定式から導き出された解をエリートから学び実践する。そうすることで、豊かな社会が築かれるというものだ。

こうした唯物史観が悪いとは思わないが、これが行き過ぎると「社会的なこと」のロジックに人間が従うことが強制されてしまう。だから僕は、自然科学の法則のような厳密さにこだわるあまりに、個人の尊厳がおろそかになるようでは、マルクス経済学なんて現実性ないじゃん…と思っていたわけだ。

でもこの本を読むと、そうした読みは一部の左翼系論者の読みであって、マルクス経済学の本筋は人重視であり、人と人との関係から生まれる「社会的なこと」の行き過ぎを批判しているということだった。特にこの本では人(個人)を重要視したマルクス経済学の解説になっていて、僕が世間一般の左翼のイメージから連想されていたネガティブなものとは少し色合いが異なっていた。

さらに後半部分では、ネット右翼的な身内万歳の共同体意識=身内集団原理(武士道)を批判しつつ、江戸時代の開放個人主義原理(商人道)が紹介されており、日本の伝統的な思想とマルクス経済学をドッキングさせた最適解が提案されている。この点については詳しく書かれていないので、彼のほかの著書(『商人道ノスヽメ』など)を読めということなのだろう。雰囲気的にはP・F.ドラッカーの『 マネジメント ― 基本と原則 』とも通じるところがあって、なかなか面白そうである。

Posted by Syun Osawa at 01:30

2010年12月16日

世界のアニメーションシアター WAT2010

2010年11月13日−12月10日/下北沢トリウッド

世界のアニメーションシアターWAT2010海外のインディペンデント系の短編アニメ作品を見られる数少ない上映会のうちの一つ。毎年、春とか秋とかに行われていて、アヌシーやアカデミー賞受賞作品を含むレベルの高い作品が上映されている。今回も非常に刺激的な作品をいくつも見ることが出来た。

にも関わらず観客が少ないのが寂しいね。休日に行ったのに観客が数人程度では、いつまで続かないのではないか。ここで上映されている作品が続々DVD化され、ゲオやTSUTAYAに並ぶんなら僕はわざわざ下北まで行ったりしない。でも、実際にはこの上映会で一回上映されてそれっきりという作品も少なくない。だから、見逃してはいけないと思って足を運ぶのだが、それでも僕の飽き性とかいろいろあって、大部分は見れずに過ぎていってしまうんだよなぁ。うーむ。

今回は時間的な問題でBとCプログラムだけを見た。以下、感想メモ。

Bプログラム

生命の線

by Angela Steffen/ドイツ

キャラクターが特徴的だったのは覚えているが、どんな話だったかはまったく記憶なしw いきなりそんなんで大丈夫かw なんか万華鏡みたいにグルングルン画面が変化して、「ああ…こういうのFLASHでやったら面白そうだな」的なことを思っていたと記憶している。

アングリーマン 〜怒る男〜

by Anita Killi/ノルウェー

アヌシー審査員特別賞・観客賞、広島フェスティバルグランプリ受賞作品。今回の上映会の目玉っぽい。絵が特徴的で、動きが紙の人形をコマ撮りしているような演出になっている。ストーリーは全般が父親の暴力というDVの話で、そこからファンタジーに展開している。子どもの心象はよく表されているように思ったが、ファンタジーになる展開は僕には逃避に映ってしまうのだが、そのへんどうだたのだろうか。フランスでも観客賞をとっているし、日本でもグランプリなので、まぁ…がっちりハート掴んじゃってるわけだから、ああいう話の流れはアリなんだろうね。

木の上の海賊たち

by Stefan Schomerus/ドイツ

この3Dはエグかった。『スタンド・バイ・ミー』みたいに大人からしたら些細なことが、子どもたちにとってはかけがえのない時間になっているというような話。内容もシンプルで味わい深く、短編作品としてのまとまりが非常に良い。ストップモーションの撮影スタジオが手伝ったらしいのだが、これで学生作品だというのだから驚きだ。

ホワイトテープ

by Michal Kranot、Uri Kranot/イスラエル、デンマーク

この作品の前に上映された「アングリーマン」と「木の上の海賊たち」のことを考えていて、実はあまり覚えていない。アレクサンドル・ペトロフみたいに油彩っぽい絵画をガリガリ動かしていて、その時点で画面に対する強いこだわりがビシビシ出ている。社会的な重いテーマを扱っていたように思うが、ちょい抽象度が高くて僕にはやや難しい内容だった。

カトリーン

by Malik Thomas Spang Bruun/デンマーク

この作品のキャラクター(というか絵のタッチ?)はかなり可愛かった。内容的には、決して腹を抱えて笑うような内容ではないのだが、内容とビジュアルのギャップに西島大介的な美意識を見たような気がする。これも学生作品らしい。

プログラムC

水泳王ジャン・フランソワ

by Tom Haugomat、Bruno Mangyoku/フランス

ビジュアルが大変印象的だった。こういう思い切ったキャラ造形ができるところが、インディペンデント系のアニメの良いところだと思う。特にフランスものは洒落ていて、日本人の感性とも相性がいい。可愛いキャラクターとは対照的に、内容は社会問題を含んだなかなか深いものだった。コミュニケーションに関する問題というのは、フランスでも日本と同様に一つの大きなテーマになっているのね。

スポットとスプラッチ 〜雪あらしの中で〜

by Lotta Geffenblad、Uzi Geffenblad/スウェーデン

3Dアニメとしてのクオリティ高すぎる。仲良し二人組みが吹雪の中で離れ離れになるという軽いエピソードをアニメ化している。この作品って『アストンの石』を作った二人なのね( 第4回 世界映画人会議 2 の時に見かけたな、そーいや)。あの作品はかなりクリティカルな内容だったけど、もう少し商業路線というかエンタメ系に舵を切ったのかな?

トレイン・ボンビング

by Bodie Jahn-Mulliner ほか3名/デンマーク

キャラの雰囲気がアメリカの漫画でブッシュを叩きまくってた作品を連想させたんだけど、その漫画の名前をド忘れしてしまった。アニメーションの王道である「追いかけっこ」を今風のアレンジで展開している作品。

ミス・リマーカブルの就活

by Joanna Rubin Dranger/スウェーデン、アイルランド、デンマーク

モノクロのマンガ風のタッチで描かれたシンプルなキャラクターが動き回る中編作品。今回見た作品の中では『アングリーマン 〜怒る男〜』が一番話題の作品なんだろうけれど、僕的にはこの作品が一番面白かった。アイデンティティ問題というか、「自分が何をやりたいか」といった中二病的な問題を扱っていて、日本人が作ったのかと思うような内容だった。今や、この手の問題はどこの国でも同じような状況になっているわけね。

中二病の20代女子がクリエイティブな人生を送ろうとして、失敗続ける話。何を失敗だと考えるのかは人それぞれだし、選択肢が多すぎて逆に焦点が定まらない気持ちを整理することは誰にだって難しい。また、自分が世間から与えて欲しいという承認欲求ばかりでは他人は離れていくし、そういう気持ちは孤独の中でどんどん膨らんでいってしまう。こういった若者の内面に関する問題は民族や国家とは関係がなく、先進国の多くの若者が同じように抱えている共通の問題なのだと思う。そういう状況をこのアニメはコミカルに、そして上手に描いていたと思う。

Posted by Syun Osawa at 01:53

2010年12月13日

EXTRAVE!!!

2010年11月28日/16:00−22:00/吉祥寺CLUB SEATA

EXTRAVE!!!まさかの6時間w

前半がアイドルで、後半がいつものエレクトロ(という表現を僕も使うようになってしまった…)という豪華二本立ての構成で、両方好きな僕にとってはかなりお得なイベントだった。実はこの日、赤坂BLITZでダンスロイドフェスというのをやっていた。

ダンスロイドフェスは、アフィリア・サーガ・イーストなど、スマイレージ、ももクロ、東京女子流に続く地下アイドルの旬なところが出演している。僕が興味を持っていたのは、そういう子たちと1年25組(踊ってみた系の女の子が結成したユニット)やダンスロイドが同じステージに立っていることで、まさにアイドルと普通の女の子の分水嶺がそこにあったのだ。この点については2chの踊ってみたスレで某氏が丁寧にレポしてくれていて、とても面白く読ませてもらった。

序盤に出ていた小桃音まい&ぱすぽ☆はダンスロイドフェスにも出演しており、単推し系のヲタさんは彼女達のライブ&物販終了後に赤坂へ移動していた。いやー熱い。

そんなクリティカルな状況が別会場で起きていたわけだが、ライブの楽しさ、充実度という点ではこちらのライブもなかなか熱かったと思う。Ustreamに ライブ映像 が残っているので、それを見返しながら、以下、感想メモ。

小桃音まいを見るのは 小桃音まいインストア・イベント 以来二度目。出るとは思ってなかったのでちょっとビックリ。アイドルが大増殖している昨今のアイドル市場で、その文脈から決して外れることなく、しかもソロとしてファンを獲得しているのはなかなか素晴らしいと思う。数の力ってやっぱ凄いからね。

数と言えば、ぱすぽ☆の数の圧力はなかなか凄かった。数を生かしたフォーメーションがパワフルで、AKB48への乗っかり方としてはこの上ない感じ。曲もかなりそれっぽい。グループ名のよくわからないコンセプトが彼女達の知名度アップに貢献しているのかは不明。ヲタ人気も高く、純粋にもう一度見たいと思った。

Negiccoは、僕の中で名前だけが一人歩きしていて、それこそ昔のカントリー娘。的な牧歌的なのをイメージしてたから、オラオラ系のMCに少々驚いた。「東京者になめられてたまるか!」的なノリなんだろうかw ああいうドSキャラは嫌いじゃない。Negiccoタオル買えばよかったなw

おっさんになると、誰でも可愛く見えてくるので、一番大事な要素のはずのビジュアル的な「可愛さ」にあまり重点を置かなくなってしまっている(特に僕の場合)。そんな僕でも、Tomato n' Pineの小池唯は可愛いと思った。Bump.yの桜庭みなみなんかも、あんな風に際立って見えるのかな? Tomato n' Pineはほとんどノーマークっていうか、「ユニットでいきなり水着のDVDとか出して何なの?」くらいにしか思ってなかったから、「POP SONG 2 U」というベタなダンストラックに気の抜けた僕の琴線が刺激されてしてしまい、ビジュアルと曲の両方の面でヤラれてしまった。後日、TSUTAYAでアルバム2枚を借りたら、そのどちらもよかった。ちょっとだけ追いかけようかしら。

Mizcaには、MEGの後をAira Mitsukiとは別路線で追いかけてるようなイメージを持っていた。今回初めて彼女のパフォーマンスを見たが、そのイメージが大きく覆ることはなく、エレクトロ濃度=薄め、キラキラ路線=濃いめ、みたいな印象がより強固に。教えてもらった曲中の振りが長くて覚えられないとか、そういう展開も面白かった。あと、ゼロ年代中期に流行したキラキラハウスを最近大量に聴いたせいか、曲もわりと好みな感じだった。

ところで、Airaとはクリスマスにライブをやるらしい。MEGに乗っかり、乗り越えるという文脈を二つの線から提示しますという流れなら面白そうだけど、そうなるはずもないので、僕はAira&Saoriのほうのライブに行くことにしている。こちらはデートピアという小さな島宇宙の中の文脈があり、知らない人は全く知らないけれど、知っている人にはわりと共有しやすい展開が期待できるので。

東京女子流はUSTで見すぎていて、今回の出演者の中では一番愛着が涌いている。そういう意味でUSTって偉大。あと、ダンスがかなり熱かった。アイドル系のダンスであることは他と大差ないはずなのに、フォーメーションで魅せるだけでなく、ロック系のダンスなんかの個人技で魅せる部分も多いので、ダンスが上手く見えた(実際に上手いのだろう)。初期のSPEEDヲタだった僕としては、こういうパフォーマンスはグッときてしまう。曲も嫌いじゃない。この立ち位置から、SPEEDみたいにマイナー調のメロディも多く取り込んだ形でファンク路線を加速させてくれたら、かなり僕得の展開になるんだけどなぁw

東京女子流終わりで、アイドル系のガチヲタさんがいなくなって、かなり観やすい状況に。で、次に登場したプー・ルイがMCで「〜まんこ」って言いながら話してて、その文脈がサッパリわからず、一気に正気に返ってしまった。曲はエレクトロとはあまり関係ないものの、わりといい感じだった。でもロックバンドのスタイルは今日でやめにして、次はアイドルユニットを結成するらしい。どういうこと?

プー・ルイ終わりでようやくNIRGILISが登場。僕が今回のライブを見に行った一番の目的はNIRGILISだった。昨年の COSMiC FLOOR でかなり盛り上がって、またいつか見たいと思っていたのだ。今回も『ツァラトゥストラはかく語りき(2001年宇宙の旅の曲)』で登場し、早い段階で客の心を掴んでいた。自虐MCも効いていたし、音も熱かった。来年にはNIRGILIS主催のライブもやるらしい。レコライドと対バンやってくれたら最高なんだけどね。

JaccaPoPは関西から来てることもあって、一番アウェー感漂う中でやってたと思うけど、しっかり盛り上がった。ライブ終了後の物販にも長い列が出来ていたし、僕も釣られてCDを買ってしまった。E-TRiPPER 4 のライブで見たときも思ったけど、ハードでもソフトでもない、ちょうど中間くらいの楽曲多い気がする(もちろん根拠レス)。CDのほうはライブで聴くよりもちょいソフトめの可愛い感じだった。

Posted by Syun Osawa at 02:01

2010年12月11日

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

カーマイン・ガロ/訳:井口耕二/2010年/日経BP社/四六

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン ― 人々を惹きつける18の法則スティーブ・ジョブズに関する本は日本でも人気が高く、図書館に行くと貸し出し中になっていることが多い。じゃあ買えばいいということに普通はなるのだが、僕は自分の中で本の取得ルールを決めていて、ジョブズ本はそれから漏れるために予約して待つことにした。

ちなみに、取得ルールというのは、手に入れる本の3割を新刊、3割を古本、4割を図書館で借りるというルールだ。本当は全部図書館でもいいのだが、本屋に行くのもブックオフに行くのも好きなので、勝手にこういうルールにしている。

話がそれた。

予約して待つこと数ヶ月。ようやく手にしたこの本に書かれていた内容はいたってシンプルなものだった。ここでサラッと箇条書きにしてしまえば済んでしまうくらいに。でも、そうはしない。なぜなら、ジョブズはプレゼンをするときに、決して箇条書きで人に説明したりしないからだ。

僕はジョブズのトークが好きで、日本語訳のついたものをYoutubeなどで結構見ている。彼の話す内容はとても簡単でわかりやすい。にも関わらず、いつも感情を動かされる。

ジョブズは彼自身の頭のよさを印象付けるためのレトリックやジャーゴンを決して使わない。そのために、話が終わった後に、その話によって導かれた目的が非常にクリアになっているのだ。一方、日本の批評関連のトークショーなどに行くと、何かを話したという痕跡だけは残るのだが、それが終わった後に何かがクリアになっているということはまずない。これはもともと思考の方向が違うのだから当然と言えば当然なのだが、批評関連のトークショーに慣れすぎてしまって、話すこと自体の自己目的化に対して無自覚になっている自分に気づいた。

この本では、パワーポイントによる定型の箇条書きを批判している。プレゼンテーションは一本の物語である必要があり、箇条書きで示されるような内容が、一つ一つその物語の上で展開されなければならない。言われてみるとたしかにそうだ。箇条書きは大変に便利だが、ゲームで言うところの選択肢と同じで、その瞬間に複数の物語を抱え込んでしまうことになる。

視聴者の思考のベクトルが複数化して、プレゼンターが導きたい方向にブレが生じてしまうためだ。さらにジョブズは難しい言葉を一切使わず、言いたいことだけをシンプルに言う。その演出としてスライドなども用いるが、そのスライドの中に不要な文字を書き込んだりはしない。シンプルな言葉とわかりやすい映像、ごくごく当たり前のことなのに、これを実践できていないプレゼンは少なくないだろう。

実際、僕も箇条書きになれてしまっていて、上手いプレゼンができているとは言いがたい。僕の職場で考えた場合、ジョブズくらい明快な物語をつくってプレゼンをすることは、若干過剰演出かなとも思うが、ここに書かれているごくごく当たり前のこと(伝えたい情報を絞る)ということに対して、僕はまだまだ思考の詰めが甘かったようである。

考えるということは、何もものを複雑に考えるばかりではない。いかに複雑なものを簡単にするかを考えることも、考えるということなのだ。少し前に本間正人、浮島由美子『 できる人の要約力 』という本を読んでいて、今回の本はその流れで読んでいる。これまでは批評関連の本をちょくちょく読んでいて、世の中にあふれるポップな日常を複雑に捉えるということに心血を注いでいたが、今はその逆の思考でものを考えてみたいという気持ちになっている。そういう意味で、今回の本は大変に勉強になった。

Posted by Syun Osawa at 01:27

2010年12月10日

exPoP!!!!! vol.44

2010年11月25日/19:00−22:30/渋谷 O-nest

例のごとく遅れて入ったので、1組目のあすなろうは1曲だけ。藤子・A・不二雄の『まんが道』にも出てくる「なろう、なろう、明日なろう、明日は檜になろう」のあすなろうなのかな? ところで、受付のところで名前を言ったら、店員さんが台詞を噛んで、ふと顔を上げたらアラレちゃんみたいなメガネをかけていた。あれ最近街でよく見かけるが、流行ってるのかね。僕はアレを見るたびにアラレを思い出してしまう(もちろん、アニメではなくニコ生の生主のほうね)。

2組目はBREMEN。BRAHMANじゃあなくてBREMENね(僕みたいな初見のド素人にウザいくらい言われてるんだろうな、このネタ)。バンドの形態がなかなかユニークで、ラップトップのマックとミキサーをいじってる人がいた。そして、女性のボーカルの人が小さなパーカッションを叩いていて、その様子がボンボンブランコを彷彿とさせてツボった。音方面では人力テクノ風に様々な趣向のダンストラックを披露していて、僕の趣味にもまずまず合致。よーするに、今の「踊る〜」的なキャッチな側面が色濃く出ていたので、いい歳したおっさんのアンテナでもそれなりに感知できたわけである。

で、そんな若作りしたい僕の心を、さらにもう一回り大きいスケールで掴んでくれたのが、次のGARIだった。家に帰ってWikipediaで見たら結構なキャリアを持っていて、JapanExpoなどにも何度も出ている模様。なんか醸し出してる雰囲気は「POP」の時のU2みたいな感じ? しかも、曲もキャッチだし、ボーカルにもエフェクトかけまくりで、ダンストラックな方向性にも照れがないというか、「もういったれー! どないやー!」みたいなのが素敵だった。いやー楽しかった。

最後がVELTPUNCHで、こちらもキャリアが長い。で、唯一知ってたバンド。女性と男性の混声ボーカルって今ではまったく珍しくなくなったけど、掛け合いの部分とか諸々含めて、新しい可能性をまだまだ残しているなぁと。AKBみたいにボーカル増殖とかね、逆に昔にはあったようなタイプのものが復活してくることもあるのかも。あの店員さんがかけてたアラレちゃんの黒ぶちメガネみたいに。

Posted by Syun Osawa at 00:56

2010年12月04日

ネトゲ廃人

芦崎治/2009年/リーダーズノート/四六

ネトゲ廃人ネトゲ廃人とは、ネットゲームにハマって抜け出せなくなり、その影響がリアルの生活にも影を落としている人のことをいう。僕はネットゲームをまったくやったことがないし、ロールプレイングゲームも得意なほうではないので、廃人になる素質をあまり備えていない。

ただし、唯一ネット麻雀だけはやっていて、負けが込んでいるときなどは何度も何度もプレイしてしまう。それはゲームの面白さから来ているのかもしれないが、ネットの向こう側に僕と同じように画面に向かった麻雀をやっている人の姿が頭に浮かんでいることも大きいのだと思う。つまり、ネットを介して誰かと繋がっている感覚。これがゲームに対する依存度をさらに高めている結果になっているようである。

この本に登場するネトゲ廃人たちの性別や年齢、職業は様々で、どんな人でも廃人になる可能性があることを示唆している。というのも、ネットゲームはコミュニケーションのためのかなり優れたツールとして機能してしまっているからだ。誰かと心を通わせたいという感情は人間にとって普遍的なものだと思うが、その感情を満たすための装置としてネットゲームは非常に優れている。

ネットゲームは目標が設定されており、その目標のためにゲームに参加しているプレーヤーたちはコミュニケーションをとることになる。そのため、目標なきコミュニケーション(例えばニコ生のgdgd雑談とか…)のようなライトな繋がりよりもはるかに強い結びつきがゲームの力によって人工的に作られてしまっているわけだ。

これを「依存度」という観点から見れば、ネットゲームは依存性がかなり高いように感じられるし、実際にこの本を読む限りかなり多くの人がネトゲ廃人になっているようである。ネトゲ廃人の中にはオフ会に参加する者も多いようで、そこでの出会いがネットゲームの依存度をさらに高めているようにも思われる。

コミュニケーション過多の時代にあって、どのように人と繋がるかということが重要になっている昨今、そのコミュニケーションのコーディネートであったりコンテクスト作りをネットゲーム会社がやっていると考えれば、この中毒性はカルト宗教(カルトでなくてもそうだが…)などにも通じるような構造的な問題のようにも感じられる。

この依存ビジネスには、当然良い面と悪い面があるはずで、それを言い始めたら止め処ない気もするのでやめておく。少なくとも、僕の関心がある環境問題の観点から見れば、このネットゲームやそこで作られる人工的なコミュニケーションのあり方というのは、デフレ経済の社会を乗り越えるための方法としても上手く作用しており、とてもエコだと思える。

エネルギー問題がだんだん深刻さを増している今の時代、ガチに物質を等価交換するようなビジネスは、100円ショップなども含めてエコと真逆の方向に舵を切っている。物質が動けば動くほどエネルギーを消費するからだ。しかし、ネットゲームは物質があまり動かないにもかかわらず、冷めたネットのコミュニケーション空間をゲームの力によって暖かくする力がある。

もちろんネトゲ廃人という副作用は出てしまうかもしれないが、その危険性だけに警鐘を鳴らしその歩みを止めるよりも、このネットで作られる人工的な充実感をいかにリアルへとひも付きにしているかという映画『 アバター 』と似た課題をクリアにしていくことで、世界は新しい歴史を歩みだすのではないかと、かなりカルトちっくな妄想に至ったのであったw

Posted by Syun Osawa at 12:53

2010年12月03日

EOS Kiss X4ガイドブック

高橋良輔 他/2010年/インプレスジャパン/A4

EOS Kiss X4ガイドブック10月に一眼レフを買って、最初の第一歩として田中希美男『 デジタル一眼撮影術入門 』を読んだ。で、次に読んだのがこの本。

僕はデジカメを買うのは今回が4度目なのだが、前3回はコンデジだったこともあり、ほとんどマニュアルをちゃんと読まなかった。だから、写真を撮るときもすべてオートにしたまま写真を撮り続けていた。僕の写真なんてものは、ほとんど資料や記録の意味しかないので、それでよかったのだ。

しかし、今回はこれまでのカメラよりは少しだけ値段も高いので、すべてオートのまま使っていたのではもったいない。ましてや一眼レフを買った意味も無い。…ということで、僕の買ったカメラそのものずばりを取り扱ったガイドブックを買ったわけである。

このガイドブックはありがたいことに、カメラの使い方だけではなく、一眼レフの写真の撮り方まで詳しく説明してくれている。ぶっちゃけ、田中希美男『 デジタル一眼撮影術入門 』よりわかりやすいくらいだった。一眼レフの入門機とはいえ、これまで使っていたコンデジよりはるかに機能が多く、勉強すればしたなりのリターンが戻ってきそうな予感もある。

ただ、今回EOS Kiss X4の通常版ではなくダブルズーム版を買ったのは、最近ちょっとハマっている野鳥を撮ってみたかったからなのだが、残念なことにダブルズーム版のレンズでも野鳥をとるには非力だということが早々にわかってしまったw やはり野鳥をガチで撮るには、あの数十万くらいするバズーカ砲みたいなレンズが必要らしい…。とはいえ、前に使っていたコンデジでばっちりエナガの写真を撮ったこともあるし、それよりははるかに性能がいいわけで、非力は非力なりに十分に活躍してくれるだろう。

ともかく読書による一眼レフの勉強はこれにて終了。2chの一眼レフ初心者系のスレで紹介されているサイトを眺めつつ、あとは実践で写真を撮るのみである。ぶっちゃけ僕に写真のセンスはないので、とにかくたくさん撮ろう。

などと意気込みを書きつつ、さっそくF値の明るいレンズとか、高倍率ズームのレンズが欲しくなっているのは、オタクの悲しい性なんだろうな。まったく。

Posted by Syun Osawa at 01:37

2010年12月01日

公開講座「鉄腕アトムがTVで飛ぶまで」

2010年11月6日/13:30−15:30/東京工芸大学

山村浩二氏がやっている東京藝大の神イベントほどではないが、近所でやっていて(しかも無料)、アニメ関連の話を聞かせてくれる大変ありがたい公開講座。

今回の講師は陶山恵氏で、戦前のアニメから東映の初期の短編あたりまでの流れを辿りながら、作品をいくつか上映するといった内容だった。有名な作品をザッと紹介するといった感じだったので、市川崑監督の「新説カチカチ山」や政岡憲三監督の「くもとちゅうりっぷ」などすでに見たことのあるものも含まれていたが、初めて見た作品もあって、なかなかお得な感じだった。

そういえば、少し前に「日本のアニメクラシックコレクション」というDVDを買ったのだが、アレに入っているらしい。DVDも買うだけ買って見てないものが大量にあって、こちらも見ないといけない。

それはさておき、上映された作品の中でピンッときたものをいくつか。まずは、西倉喜代治監督の「茶目子の一日」という作品。これは1931年と日本ではかなり初期に作られたアニメーションだ。場面転換にクロスフェードや暗転などを使っていたり、横スクロールでは人物の前にポストを流すなど多重スクロールの意識も強い。この時期には海外の短編はかなりレベルが高かったはずなので、そうしたことも影響しているのだろうか。

アメリカではこの時期、ディズニーの活躍などもあってアニメーションのレベルが相当高かった。それに呼応するように、日本でもかなり質の高いアニメーションを作ろうとしていたことがわかる。1946年公開の政岡憲三監督による「桜(春の幻想)」などは、戦前の日本のアニメーションが15年かけて積み上げてきた経験値を発揮しまくったかなり高度な作品に仕上がっていたと思う。

このレベルの高さは初期の東映動画のアニメにも見ることができる。1957年公開の藪下泰次監督による「こねこのらくがき」は、フルアニメーションの力量をまざまざと見せ付けている。今のアニメようにエフェクトや描き方などによる派手な演出効果はないが、登場するキャラクターたちがとても細やかに動いていて、当時の贅沢なアニメの作られ方にただただ感心させられた。

よーするに、手塚治虫がリミテッド・アニメーションで「鉄腕アトム」をやる前のアニメと、それ以降の商業アニメではそこにある思想が何かちょっと違うわけだ。スタジオジブリなどは東映(というか森やすじの?)の遺伝子を受け継いでいるが、ああいう大掛かりな作品を作ってペイできるスタジオはジブリ以外には存在しない。

損益分岐点を考えると、作画枚数を減らさざるを得ないなど、いろいろ無理のある状況でアニメ業界というのは成り立っているのである。それが良いとか悪いというのではなく、足し算で作られる作品(戦前のアニメ)と引き算で作られる作品(戦後の商業アニメ)の間にある溝をどう考えればいいんだろう? と思っていたところで講座が終わった。これは考えれば何か面白いことがパッと思い浮かぶのかもしれないが、今は何も浮かんでこない。でも、この溝は、アニメについて考える上では避けて通れない溝であるような気がしている。何となく。

Posted by Syun Osawa at 01:31