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2011年03月20日

問題は「タコつぼ」ではなく「タコ」だった!?

友成 真一/2008年/ディスカヴァー21/新書

問題は「タコつぼ」ではなく「タコ」だった!?竹中平蔵氏がニコ生かなにかに出演したときに、この本のタイトルを口にしたことがあって、それが妙にひっかかったので読んでみることにした。

この本は、現在の世の中に閉塞感を抱いている人が、少し心の持ち方を変えてスッキリするために書かれているんだろうと思う。何をやっても上手くいかなくて、しかもその原因がわからなかった人が、この本を読むことでノドに刺さっていた小骨が取れたような爽快感を感じる事はあるのかもしれない。

では、今の僕にそういう爽快感があったか、と言われれば微妙だ。

もちろん、タイトルに釣られてこの本を読み始めたわけだから、この著者が突こうとしているポイントにはかなり同意している。そもそもゼロ年代は、ブログでも本でも雑誌でも、いろんなところで「タコツボ」という言葉が使われていて、そのタコツボ状況をいかに突破するかというところが一つのコンテクストになっていた。そして、そのタコツボをいかに軽やかに横断していくかという瞬発力めいた知がもてはやされたりもした。

しかし、タコつぼというのは、今のような高度な情報社会で社会生活を送っていけば、自然と自分自身に付着していく複数のタグみたいなもので、それを閉塞感というマイナス思考な言葉で言い表したところで結局どうなるというわけでもない。だからこそ、この著者はタコつぼの問題ではなく、タコ(つまり自分自身の志向性)の問題なのだと説明しているわけだ。対立する論者の考えをタコつぼにおさめて、そのタコつぼを批判するというレッテル貼り攻撃に違和感を感じていた僕にとって、著者の説明は非常に納得できるものだった。ただし、タコの方を名指しただけで終わってしまっていたところがやや消化不良でもあったので、爽快感を感じるまでには至らなかった。

少し話はそれるが、コミュニティの問題とタコつぼの問題は少し似ていて、リアルの世界のそれらは非常に弱くなっているように思う。その一方で、ネット上ではそれを補うようなコミュニティやタコツボは無数に用意されており、日々進化をし続けている。これにより、人間が社会的な生活をしていく上で、ネットがどんどん僕達の生活に必要不可欠なものになっている。以前、NHKが「無縁社会」という番組をやっていたが、あの番組ではこうしたネットの有無を軽く扱っていたために、そのコンテクストを若干間違えていたようにも思う。

Posted by Syun Osawa at 17:02

2011年03月17日

地震を越えて・・・

地震で亡くなられた方へ、心よりご冥福をお祈り致します。

大災害にも関わらず、原発のことが気になって、仕事にもなかなか集中できない日々です。とはいえ、僕に何が出来るというわけでもなく、ただ淡々と日々過ごしていくしかない。落ち込んでも、気負っても、もはやどうしようもないので、僕の生活の一部となっているブログを書く作業を、再び淡々と更新していこうかなと。

正月早々から、いろいろあったはずですが、何もかもがパーンッと飛んじゃいましたね。同人誌作成のための資料は、ヤフオクで着々と買っているので(すでに40冊を超えてる)、それも読まなきゃ。

Posted by Syun Osawa at 00:21

2011年03月06日

第78回 フレッシュボーイ 〜未来のチャンプ〜

2011年1月27日/17:45−21:30/後楽園ホール

自分の通っているジムの選手が試合に出るというので、数年ぶりに後楽園ホールへ行った。最後に行ったのは、河野公平選手と菊井徹平選手の日本タイトルマッチだったから、4年ぶりということか。

今回のイベントは、プロデビュー戦から数戦までの4回戦ボーイの試合が中心だった。出場選手のプロフィールを見ると、20代後半から30代前半の選手が多く、10代の選手はほとんどいなかった。逆に、34歳でプロデビュー戦という人がいた。

10代とか20代前半の選手なら、今後どのように成長していくのかというスポーツの視点が強くなるし、例えばボクシング漫画の多くはそういうコンテクストを軸にして、作品が作られている。しかし、今の時代は20代後半くらいからプロになる人も多いため、必ずしもそういうわかりやすい成長物語だけで、ボクシングは成立していないのだろう。

ボクシングは根強いファンが支えているとはいえ、長らく低調で、ほとんどのプロボクサーは試合だけで生活していくことはできない。しかし、日々の練習を死ぬほど厳しく、費用対効果などまったく合わないプロスポーツである。

それでも、あえてボクシングをするということには別の何かが決定的に必要で、若ければ不良の更生物語だったりするのかもしれないし、若くなければ自分探し的な何かになるのかもしれない。そして、最近は後者の理由がボクシングを志すきっかけになっているのかもしれない。

こういう視点を含んだ形で、今のボクシング漫画は描かれているのだろうか? 決して若くない選手たちが、精一杯の練習をして戦う(正確には削りあうと言うべきか)姿を見ながら、そんなことを思っていた。

僕自身、そんなボクシング漫画を描きたくて、数年前にプロットを作ったのだが、そのままズルズルと放置されていた。今回、後楽園で試合を見て、その当時に描きたかった漫画(疲れた社会人が自分の人生にもう一度アクセルを踏むような作品)を、やっぱり描いておきたいという気持ちが、また強くなった。

Posted by Syun Osawa at 00:06

2011年03月04日

池上彰の分かりやすく伝える技術

池上彰/2009年/講談社/新書

池上彰の分かりやすく伝える技術わかりやすい文章の書き方が、具体的な例を挙げながら示されていて、とても参考になった。例えば、「このように〜」といった上からの文章の繋がりを大つかみまとめる雑な方法のわかりにくさとか、乱用されやすい「が」の使い方など。生まれながらにしてわかりやすい文章を書く文系クラスタの人なら当然身につけているような技術を、あえてわかりやすく書いてくれているので、文章ベタな僕には大変ありがたい。

著者の池上彰氏は今やテレビでは知らない人がいないほど有名なコメンテーターで、テレビでもわかりにくいニュースを、わかりやすく解説する番組をいくつもやっている。そこで用いられる技術は複雑な情報をどう整理し、身近な言葉に置き換えていくかというものだ。この本では「どのように整理するか?」という要約力に関しては詳しく書かれていないが、「ある程度整理された情報を、どのように提示していくか?」というプレゼンテーション力については詳しく書かれている。この部分はとても参考になった。

思想家の東浩紀氏もこの技術に優れていて、難しい哲学や社会学の内容を「ニーチェの言葉」なみの跳躍力で簡単化している。そして、こうした技術を持っている人はとても人気が高い。良くも悪くも、今の時代はこうしたスキルを持っている人が支持を集めるのだろう。

本の中で、プレゼンするときに提示する情報は3つにまとめろ、4つ以上になったらそれらは捨てろと書かれている。これはスティーブ・ジョブズのプレゼンテーション本(カーマイン・ガロ『 スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン 』)でも書かれていたことである。「3」という数字にどのような科学的な根拠があるのかは知らないが、少なくともこの程度の情報量が人間の感性に強く訴えかける量なんだということは間違いないようだ。

話は少しズレるが、僕は生涯教育として勉強している 戦争と芸術 との関連で、プロパガンダの技術にも少し関心を持っている。このプロパガンダの技術を考えたときに、彼の書いたプレゼンス能力がどの程度有効に生かされているのか、また生かされてきたのかというところも気になった。

Posted by Syun Osawa at 01:31

2011年03月02日

DOMANI・明日展 2010

2010年12月11日−2011年1月23日/国立新美術館

DOMANI・明日展 2010ここしばらく美術館へ行っていなかったので、チケットショップに行って安くて面白そうなのを4枚ばかり見繕って買った。その1枚がこの展覧会で、なんとお値段90円! 驚きのお値打ち価格!

この美術展は、国から援助金を貰って海外へ留学した画家や彫刻家らがその成果(?)をお披露目するために開かれているものらしい。プロフィールを見ると、去年、留学から帰ってきた人の作品が今年展示されているというわけでもないようだ。派遣された年は1987年(24年前!)から2008年まで幅広く、派遣先の国もいろいろである。

だから、この展覧会にアートシーンを鋭く斬るような明確なコンセプトなどないのだろう(本当はあるのかもしれないが…)。もともと現代美術が苦手な僕にとって、それは作品を見るための手がかりを失うことでもある。

どんな風に作品を見ていいかわからないままだったので、村上隆『 芸術起業論 』を読んだときに覚えた「アート市場の流行をひとつのコンテクストとして見る楽しみ方」を使って、本展覧会の感想を少しだけ述べておきたい(前置き長っw)。

展覧会に参加している人の中では、近藤聡乃氏だけは知っていた。この人はわりとエンタメ業界で活躍されているので、この手の派遣事業に乗っかっていたことが逆に意外だった。

それ以外の人はまったく知らなかったわけだが、手元にある展示作品のペーパーを見るかぎり、古郷秀一氏は東京現代美術館や東京国立近代美術館、大阪府立現代美術センターに作品が収められているようで、かなり有名な人のようだ。もっとも、派遣されたのは24年前であるから、展覧会のサブタイトルにある「未来を担う美術たち」のその未来としての成功例を示したということなのだろう。

興味深かったのは、町田久美氏で、この人は2008年にデンマークに派遣されている。作品のいくつかは西村画廊や大原美術館にも収められており、それ以外の作品も個人コレクションとなっている。今なら日本の「かわいい」をどう解釈し、どう描くかというコンテクストにギュッと押し込められてしまいそうな雰囲気を漂わせている。そうした中でも、彼女の作品は独特の味わいを持っており、現在の「取り入れて拡張(embrace and extend)」というゼロ年代流の歩みをしっかりと進んでいるように見える。

自分で書きながらあまりに下品な感想だなw とはいえ、市場原理で作品を見ると、やはり今っぽい作品であることはそれなりに重要で、しかもその今っぽさの中にひと工夫あるものが売れているのだなという印象を持った。このあたりは村上氏の言うとおりかもしれない。

Posted by Syun Osawa at 00:50