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2012年07月31日

アニドウ・望月信夫氏追悼上映会

2012年3月10日/19:00−21:30/なかの芸能小劇場

久しぶりのアニドウ上映会。アニメーション研究家の望月信夫氏追悼イベントとして、テックス・アヴェリー作品が上映された。最近は三次元ヲタのほうにウェイトが移りすぎて、アニメを全然見ていない。そんな乾いた脳内にアヴェリー作品を大量投入したものだから、上映会後には一発キメた後のような変なテンションになってしまった。

僕は過去にFLASHアニメーションにハマっていたことがあって、数年の間、毎日しこしこと動画を描いていた。その経験から、アニメの場合は動きに注目してしまうことが多い。アヴェリーの作品が作られた時代はアニメーションの黄金期で、大量の資本と人員が投入されてアニメーションが作られていた。そのため、動きに限って言えば、今のリミテッドアニメーションでは実現できないような贅沢な動き(無駄な動きとも言えるのかもしれない)が展開されている。

特にリアリズム志向に対するアンチとも言えるような過剰なまでに誇張された動きは、絵を動かすことの楽しさを極限まで引き出しているようにも思える。もちろん、ストーリーの面白さもあるのだろうが、動きを用いたギャグにばかり注目してしまうのは、今のアニメが放棄してしまった「アニメーションとは何か?」という素朴な問いに対して、糞マジメに答えを探しているように思えるからである。

Posted by Syun Osawa at 03:47

この世で一番おもしろいミクロ経済学

ヨラム・バウマン/画:グレディ・クライン/訳:山形浩生
/2011年/ダイヤモンド社/A4

この世で一番おもしろいミクロ経済学サブタイトルに「誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講」と書いてあった。ここでいう合理的な人間というのは最適化された人間のことだ。人は常に自分の都合のいいように何かを選択しようとする。それは一見、他人に対して献身的に見える面倒見のいい人でも同様だ。その献身によって得られる他人からの感謝が自分への報酬になるからだ。

この本ではそうした最適化する個人について優しく解説されていた。学生時代に経済学を学んだことは一度もなかったので、僕にとってちょうどいいレベルだったと思う。そして、この本に書かれている最適化する個人という話が、僕が最近興味を持っているトピックスと重なった。それは次のようなものだ。

個人が自分にとって最適になるように意思決定を行っていくことを部分最適だとするならば、その個人が所属する集団が最適になるように意思決定がなされることを全体最適と言うことができる。このとき、部分最適と全体最適は必ず一致するとは限らない。また、他人の最適な意思決定が自分にとっても最適だとは限らない。

何となく当たり前のことを書いてしまっているが、何が書きたいかというと、各個人にとって最適な状態を実現するために、データベースが参照され、さらに最適化が加速していくのがネット時代なのだと僕は思っている。自分の最適化と他人の最適化がネットの情報を参照することで調整され、さらなる最適化が起こる。どんどん最適化が進んでいくのは良いことのように思えるかもしれないが、最適化が進めば進むほど息苦しくなってしまう。そんな事態が起こっているのではないかと思うのだ。

特に日本では、集団主義が効き過ぎて最適化が加速しているように思える。いわゆる「空気を読む」というやつで、その場の最適化が過剰なコミュニケーションによって進んでしまうのだ。しかし、その最適化が自分にとっての最適化であるとは限らない。にも関わらず、データベース的に「よい」とされる最適化に人々は向かい、よかれと思った進んだ結果、辛くなる。つまり、空気を読めば読むほどだんだん楽しくなくなるということが起きているんではないか。僕はそれを「最適化問題」と勝手に呼んでいる。

そして、この問題の一番のポイントは、自分が何を最適化しようとしているのかという中心の部分に確たる根拠がないところである。

Posted by Syun Osawa at 03:40

2012年07月18日

津田大介×東浩紀トークイベント

2012年2月24日/19:00−20:50/新宿 紀伊國屋サザンシアター

正式なタイトルは「第98回紀伊國屋サザンセミナー 政治をアップデートする ? ツイッター、一般意志、未来社会」。東浩紀さんの『 一般意思2.0 』を読み終えたちょうどいいタイミングでこのイベントの存在を知ったので、久しぶりにあずまんのイベントに参加した。

東浩紀さんが20分遅刻してのスタート。久しぶりに見た二人は以前に見たときよりも似た者同士になっていた(体型的な意味で)。対談は『 一般意思2.0 』をダイジェスト的に振り返りつつ、津田さんが本の中で疑問に思ったことなどに対して東さんが答えていくというスタイルだった。こういう即興性のある応答のときの東さんはとても面白い。

東さんの主張は、弱者のためのリバタリアニズムという性格を持っている。普通、リバタリアニズム(小さな政府の志向)は弱肉強食の世界を増長させ、多くの負け組を生み出す危険性を持っていると思うのだが、その一方で、階層の固定化による「ずっと負け組」状態を防ぐ流動性も持っている。もしくは、たとえ貧乏であっても国家的なイデオロギーに縛られない自由な価値観(自分なりの幸福感)で生きることが可能かもしれない。そういう意味ではポストモダニズム的であり、僕が興味を持っているコミュニタリアニズムとは少し性格の違うものの、興味深い生き方を提示していると思った。

とはいえ、東さんはいま、若者の居場所を作るような会社を経営されている。今回のイベントで配られたチラシを見ると、彼の会社(genronと社名変更するらしい)は友の会制度を採用しており、コミュニティに対する強い意志がみてとれる。このあたりの二重戦略?も面白い。

話は変わるが、新しい政治制度の話になったとき、僕もちょっとしたアイディアが浮かんでいた。それは、政治家を陪審員裁判制度にならって無作為抽出で選ぶというものだ。そして、政党を弁護士側、公官庁を検察側になぞらえて、この両者の応報(プレゼンテーション)を見た陪審員たる政治家が最終的に判断を下すというものだ。

「政治家は誰がなっても同じ!」なんてことを言う人がけっこういるので、だったら誰でもなる可能性のある制度に変更してみたら…と思ったわけだ。積極的に政治にコミットしていたり、多くの献金を支払っている人だけが美味しい思いをする今の政治より、サイレントマジョリティの声を拾いやすいこの制度のように思うのだがどうだろうか。

Posted by Syun Osawa at 22:28

exPoP!!!!! vol.59

2012年2月23日/19:00−22:00/渋谷 O-nest

出演は、Scenarioart、Neat's、Applicat Spectra、NIKIIEの4組。

Scenarioart

滋賀出身の3人組。FREENOTE的な語感のバンド名ですな。最後の曲がボーカルの男性とドラムの女性の掛け合いでカッコよかった。ずいぶん昔のブログでも書いたけど、男女混声のバンドはまだまだ可能性がある気がする。あと、曲間の雰囲気づくりもいいね。

Neat's

バンドなのかと思ったら、新津由衣さんのソロプロジェクトらしい。つか、RYTHEMのYUIさんなのね。客層がいつもと違った雰囲気だったからそこで気づくべきだった。酒が回ってフラフラしてたため、ライブの記憶が薄いのが悔やまれる。

Applicat Spectra

ボーカルの声が高いっ! ニコニコ動画の「歌ってみた」カテゴリで有名になったピコさんとはまた違った声の高さ。シャウトしたらどんな感じになるんだろうとか、「大都会」的な高音の押し売りはないのだろうか、全然関係ないことを思いながら見ていた。ギターの人がキーボードを弾いたり、ボーカルの人がベース弾きながらサンプリング・パッド叩いたりしていて、なんか器用ね。

NIKIIE

exPoP!!!!! vol.52 以来、二度目。今回はパーカッションとの2ピース。「Hide & Seek」は聴けなかったけど、新譜の『hachimitsu e.p.』というアルバムからの曲を聴くことができた。なかでも「涙星」という曲は、テレビ朝日系「科捜研の女」というドラマの主題歌らしい。なるほど。今日、リーマン率が妙に高かったのは、Neat'sとNIKKIEを見に来たからなんだろうね。

Posted by Syun Osawa at 22:27

一般意思2.0 ルソー、フロイト、グーグル

東浩紀/2011年/講談社/四六

一般意思2.0 ルソー、フロイト、グーグルうーん…ちょっと物足りない!

東さんの本を読んだのは『 クォンタム・ファミリーズ 』以来。昔は2chの該当スレを見たり、ニコ生を見たり、イベントに行ったりとかなりのあずまんウォッチャーだったのだが、ここ最近は本当に関心がなくなってしまっていた(ニコ生は今でも見ているが…)。

ただ、講談社のPR誌『本』で連載されていた彼のコラムはずっと読んでいて、それが1冊にまとまったのが『一般意思2.0』である。内容的に連載時と大きく変った部分はないと思う。

この本の前半で示されている現代社会に対する現状認識についてはほとんど異論を挟む余地がない。というより、彼の要約した世界の解釈を今まで僕は前提に考えてきたようにも思うので、このあたりまでは「たしかにそうだな…」と思いながら読んでいた。問題はその先だ。

一般意思を東浩紀流に解釈して(その妥当性は僕にはわからないが…)、新しい無意識を引き出そうという試み自体は素晴らしいと思う。今の政党政治を軸にした議会制民主主義の制度に軋みが生じており、熟議による合意形成がどうやっても上手くいかないような場面が少なくない。そうした閉塞感をインターネットを軸にしたテクノロジーの力で乗り越えようというアイディアは、一つの意見として面白いと思う。

しかしながら、そのアイディアに具体性が乏しく、誰でもそのくらいの事までは思うんじゃないのか? という領域に留まっていたことがちょっと残念だった。それは彼の『 ゲーム的リアリズムの誕生 』でも感じたことだ。学者だから精緻な議論が大事なのだろうし、そういう方面からの批判は数多くあるのだろうが、個人的には『 クォンタム・ファミリーズ 』で展開したような妄想力で、もっともっと突き抜けた思想を展開して欲しい。僕は空気を読まないあずまんが大好きなのだ。

Posted by Syun Osawa at 22:21

加藤久仁生展

2012年2月10日−3月25日/10:00−19:00/八王子市夢美術館

加藤久仁生展八王子へ モーニング娘。のライブ を見に行ったので、ライブ終わりに立ち寄った。

加藤さんの展示会といえば、2003年の アニメーション*スリー 、2005年の 続アニメーション*スリー に行っている。今回が3回目だ。

2005年以降、加藤さんは『つみきのいえ』で2008年にアヌシー国際アニメーション映画祭グランプリ、2009年に米アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞しており、アニメーション作家としては最高レベルの場所に辿りついた。これは本当に凄いことだと思う。

なぜなら、短編アニメーションの多くは個人的な動機で作られているからで、商売の色がそれほど濃くはない。ちょっとしたスポンサーがついたとか、助成金が出たとか、それくらいのサポートはあるとはいえ、商売としては成立しにくいこのジャンルにおいては、作家本人のモチベーションがなければ決して作品を完成させることができないのだ。

だからこそ、長年にわたってアニメーション作品を作り続けてきたことはとても大変なことだし、それだけにそこに映し出されている映像には作家本人のプライベートな感情が投影されやすいとも思う。言い換えれば、そうでなければあまり意味がないようにも思う。

加藤さんの場合は、メルヘンチックな世界観でクローズドワールドを構成するのがとても上手い。そして、『つみきのいえ』はその箱庭に地球温暖化問題という外部の問題が侵食してきたような作品だ。加藤さんの作品でここまで明確に社会的な問題を取り込んだ作品はこれまでなかったのではないだろうか?

『つみきのいえ』はこの社会的な問題について何かを答えるということはないが、個人的な感情のざわめきを穏やかな演出で表現しており、作者のプライベートな一面がとてもよく表出していたように感じた。もっとも、そのあたりが批判の対象になるのかもしれない。日本の短編アニメーションの社会性のなさは、よく批判されるところでもあるからだ。

ただ、上にも書いたように短編アニメーションの多くが個人のモチベーションによって成り立っている規定できるのならば、明確なゴールや意思表示を持たない作品がこれほどまでに高いモチベーションで作られ、また高いクオリティで完成されていることにも、アニメーションの中の日本人性みたいなものを見出せるような気もする。

あ…なんか展示会と関係のない話になってしまったw 展示会のディスプレイ自体は、絵コンテだとかスケッチだとかの展示で、ごく平凡なものだった。

Posted by Syun Osawa at 22:13

ヴィシェグラード4カ国東京映画祭 ハンガリーアニメ上映会

2012年2月16日/19:30−21:00/駐日チェコ共和国大使館

アニドウからのメールで知ったイベント。会社から近かったので、仕事帰りに参加。大使館に入ったのは生まれて初めてだったので、その内装の美しさに圧倒されっぱなしだった。さすがに国の顔だけにお金かけてるねぇ。

上映されたのは次の作品(ソースはアニドウの公式サイト)。

ハンガリー民話「靴をはきつぶす王女たち」
ハンガリー民話「少年の見た夢」
ハンガリー民話「妬みの報い」
イシュトバーン・オロス監督「ザ・ガーデン」
イシュトバーン・オロス監督「マインド・サ・ステップ!」
トート・パール監督「小さいつぐみ」
ゲーザ・トート監督「マエストロ」
パール・トート監督「夜の釣り」
ホルバート・マーリア監督「夜の奇跡」
ドーラ・ケレステシュ監督「イチ、ニ、サン」
ハンガリー民話「ツェルセルーシュカ」
ハンガリー民話「金の毛の小羊」

ハンガリーのテレビ番組として放映されていた民話アニメが5作品上映されていて、妙にバカっぽい感じだったのがツボだった。洋の東西を問わず民話ってのはどこかバカっぽさがあって面白い。イシュトバーン・オロスの作品は、2008年の上映会 で見ているが、それ以外の作品はどれも初見だった。

とはいえ、アニドウが協力しているということもあって、市販で売られているハンガリー・アニメーションのDVD-BOXに入っているものが大半だったのかもしれない(よくわかんないけど)。

チェコの大使館でハンガリーのアニメを見るというシュールな体験をしているあいだ、アニメを国で括ることの意味を考えていた。東欧系のアニメ作品は監督の作家性に強く依存しているため、個人的な体験がアニメのベースになっているはずで、そこにはその国の固有性みたいなものがタグとして貼り付いていてもおかしくはない。

少し前にシャフト社から『アメリカン・カートゥーン RED』と『アメリカン・カートゥーン BLUE』というDVDが発売されていて、ここにもアメリカという国のタグが貼り付いている(全部は見てないけど)。ただ、グローバル化が進む今の世界においては、そのタグの意味はかなり薄れているようにも思える。

国の名前が冠につくようなアニメ群というのは、そのほとんどが冷戦以前に作られたものであり、国策アニメも少なくない。もしもその頃のアニメの持つ固有性が現在のアニメには見られなくなったのだとすると、では現在のアニメはどのようなタグによって消費され、語られているのだろうか? そんなことが少し気になった。これはとても難しい話な気がするので、これ以上考えるのはひとまずやめておく。

Posted by Syun Osawa at 00:16

2012年07月15日

ワンダーフェスティバル 2012 冬

2012年2月12日/10:00−17:00/幕張メッセ

また寝坊してしまった。

ワンフェスは過去に何度か行くつもりがその都度他の予定が入って行けず、何気に今回が初参戦だった。レイヤーさんのカメコをさせてもらうはずが、フィギュアの数が圧倒的だったためにフィギュア撮りに夢中になってしまった。このフィギュア撮りが奥が深くいろいろと勉強になった。

単焦点レンズのCANON EF50mm F1.4 USMだけを持っていったので、僕の安物の構成の中では画質的にわりといいほうなのだが、それでも撮る角度とか光の当たり方とか設定なども含めて考えるところが多く思うように撮れない。上手い人の写真と比べるとその差は歴然。これはカメラの性能だけの話ではないと思う。

ワンダーフェスティバル 2012 冬ワンダーフェスティバル 2012 冬

スピードライト 270EXをシューコードで繋いで、角度を変えながらフラッシュを炊いたりした。初めてそういうことをしたのであまり上手く撮れなかったけど、Kiss X4も270EXも軽いので、案外この撮り方はわるくない気がする。少なくとも縦グリップに縦用のブラケットとでかいストロボをつけて撮るよりはずっと機動性があっていい感じ。

コス撮りでは有名レイヤーさんをたくさん見かけた(五木さんとか並びが凄いw)。伊波ユリさんの中野梓コスはヤバいくらい可愛いね。

ワンダーフェスティバル 2012 冬ワンダーフェスティバル 2012 冬

ガラス越しなので撮りにくい。しかも帽子をかぶってるキャラとか下を向いてるキャラは顔が暗くなってしまうので、下からストロボを当てるという荒業w

ワンダーフェスティバル 2012 冬ワンダーフェスティバル 2012 冬

エヴァカラーの車は前にもどこかで見た気が…。

ワンダーフェスティバル 2012 冬ワンダーフェスティバル 2012 冬

よっちゃんいかのフィギュアがおっさんホイホイ過ぎ。

ワンダーフェスティバル 2012 冬ワンダーフェスティバル 2012 冬

美少女フィギュアは角度が繊細すぎて、どうも上手く撮れない。

ワンダーフェスティバル 2012 冬ワンダーフェスティバル 2012 冬

美少女フィギュアはエロいの多いねぇ。

Posted by Syun Osawa at 13:26

2012年07月14日

CP+ 2012

2012年2月9日−12日/10:00−17:00/パシフィコ横浜

CP+ 2012

11日に参加。CP+はカメラ業界のイベントなので、当然のごとくカメコ大集合。しかも無料ということもあり、凄い数の人(カメコ)だった。

カメラの新製品としては、CANONのEOS-1DXとNikonのD800が凄い話題になっていた。1DXはあまりにプロ用過ぎて僕には無関係なカメラだけど、D800は頑張れば手に届くだけに結構長い時間見ていた。スペックがあまりに魅力的。CANONが5D3を出すという噂が出ているだけに、そちらのスペックも気になる。

たまたま立ち寄ったTokinaのブースで写真家の萩原和幸さんがイベントをやっていた。最後列だったので写真撮影はほとんど諦めて話だけ聴いていた。そしたら、途中にプレゼントコーナーがあり、じゃんけんで最後まで勝ち残って萩原さんの写真を貰ってしまった。しかも、モデルは林恵理さん。ドルヲタなので、躊躇なく写真の上に林さんのサインを書いてもらったw 目の前にカメラマンがいるのに写真の上に…ってのは失礼だったかもしれないけど欲望には逆らえないやね。ちなみに、うちの家系はこういう何気ない懸賞的な企画によく当たる。

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左が 林恵理さんで、右が後ろの写真と同じポーズをとる大島美和子さん。

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カメラ的には全く縁のないTokinaのブースの子(左)がめっちゃ可愛かった。

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というわけで、再びTokinaのブース。

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この日はカメラを見つつ、カメコをしつつ…って感じ。

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CANONのEOS-1DX。このモデルさんの立ち方があまりに綺麗すぎて。しかもバリエーションが凄いいっぱいあって、そのことに感動してしまった。

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CASIOのブース。モデルさんが持ってるのはEX-TR100というコンデジ。

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SIRUIのブースは、三脚とモデルさんのチャイナ服が異様にマッチしていた。

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写真うんぬんに関係なく、可愛い!っていうドルヲタ的なアレで。

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ドルヲタ的な欲望に忠実になると止まらなくなり、結局はTokinaの人に↑

CP+ 2012

僕には一生無理なセッティング。これで何が写るのだろうか。

Posted by Syun Osawa at 08:29

exPoP!!!!! 番外編 vol.2

2012年1月31日/19:00−22:00/新宿MARZ

出演は、キドリキドリ、uminecosounds、FAT PROP、Czecho No Republic、Jeeptaの5組。会場が新宿だったこともあって、uminecosoundsの途中から。

uminecosoundsの途中の曲の間奏がシューゲイザーっぽくて(本人も好きと言っていた)そこが気持ちよかった。FAT PROPはボーカルの人がキーボードを兼任していたのがベン・フォールズ・ファイヴみたいでカッコいい感じ。ただ、それよりも何よりもベースの人のMCがあまりに面白くて、ほとんどその印象しか残ってないというw Czecho No Republicはイケメンによるスカっぽい感じのバンドだった。

で、最後のJepta。このバンドがクリープハイプ以来のキャッチーさでおっさんのハートを鷲づかみにされてしまった。ボーカルの声もいいし、ギターもやたらカッコいいし、ポテンシャル高めなのにマニアックになり過ぎない曲で間口が広めなところがおっさんにも優しかったのだろう。帰りにTSUTAYAでアルバム2枚レンタルした。

好きな曲いろいろあるけど。パンチ力という点ではこの曲が一番好き。サビが2段式になっていて後半にギター音でドライブがかかっていくところが特に印象的だ。

Posted by Syun Osawa at 03:28

exPoP!!!!! vol.58

2012年1月26日/19:00−22:00/渋谷 O-nest

出演は、ココログラム、さめざめ、bomi、BiS。

わりと早く行けたので最初のココログラムを半分くらい見れた。二人組のエレクトロユニットで、ギターも弾くスタイル。帰ってからネットでプロフィール見たら兄弟なのね。さめざめはコンドームの歌とかね、そういう感じ。

そして、その次のbomiがドルヲタのじっちゃん的には高まってしまった。ぱっつんだし、オシャレだし、オタクなおっさんとは対極な雰囲気のオーラも出てて新鮮だった。歌もキャッチーで僕好み。

最後はBiS。さすがに客の反応が全然違うね。いつも行ってるアイドル現場なノリw ただ、exPOPみたいな場所でどうなんだろうな…的なことは思ったり。たぶんこれは、ロックフェスにPerfumeが出ることに肯定的なオーディエンスに対して、僕が一方的に感じている違和感にも似ている。

たぶんこういう違和感を持っているのは少数派なのかもしれないけど、アイドルとロックバンドをごった煮にすることに未来があるとはどうしても思えないのだ。なぜなら、そこには何のアイディアもなく、右のものと左のものをただ組み合わせているに過ぎないからだ。そうやって相対化の波に晒され、ジャンルが横断し、つながり、それにより文化というのは広がっていくように見えて結果しぼんでいくのだと思う。

Posted by Syun Osawa at 03:21