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レディオヘッド・ショウ( SUMMER SONIC 2003 を思ふ)

 2003 年 8 月 3 日。海浜幕張。

 7 月の終わりまで続いた長い梅雨も明け,千葉マリンスタジアムには青空が広がっていた。潮風が心地よい。11 時過ぎに会場へ到着。2 年ぶりの SUMMER SONIC だ。

 今回のイベントのチケットはすでに完売。駅周辺には「チケットゆずってください」というプラカードを持った若者が多数つめかけていた(そこまでするならなぜ事前に買わなかったんだろう?)。そうした大入りの状況も手伝って,僕がグッズ売り場に行ったときには,午前にも関わらずオフィシャル T シャツはすべて完売していた。

 T シャツを買うというささやかな楽しみが奪われ,テンションが下がったままの会場へと向かう。ステージの方からは軽やかな三線(さんしん)の音色と野太いベースの音が響いていた。HY である。深夜にテレビ朝日で放送しているインディーズ番組に出てる沖縄のバンドというくらいの知識しかなかったが,ヒット曲「だからお願い〜僕のそばに〜」にはさすがに顔がほころんだ。いい曲である。大型の野外イベントといった大舞台に立てる幸せを実感しているような清々しい演奏だった。

 HY のライブ終了後,旬の Mando Diao を見るため幕張メッセへ。ところが会場に着くと入り口付近に人が溢れかえっており,中に入れない。スタッフが「もう入れません」と叫んでいるが,人はどんどんやってくる。あたり前の話だ。「なんで Living End と逆じゃねーんだよ!」との怒号もとびかっていたが,文句を言っていても仕方ないので早々に退散。Blondie を見るためマリンスタジアムへ戻った。このとき野外イベントのチケットが完売したという事実をようやく実感した。

 千葉マリンスタジアムでは Blondie のライブがすでに始まっている。『 Call Me 』を歌ったかどうかはわからない。会場に入り,アリーナ席に降りるためスタンド席の中腹を歩いていたとき,『 Maria 』が演奏された。Deborah Harry は 58 歳。大型スクリーンに映る彼女のセクシーなドレス姿と力強い歌声に,僕はロックの真髄を見た気がした。恐るべしである。

 午後に入り日差しはいっそう強くなった。涼しかった 7 月の夏からは想像できないほどの直射日光が僕の肌を傷めつけている。

 そんな夏の暑さが頂点に達した午後 3 時。「トーキョー」の乾いた声とともに Good Charlotte はあらわれた。2003 年の MTV Video Music Awards で,ヒップホップ勢にまぎれて最優秀グループビデオ賞,最優秀ロックビデオ賞,視聴者賞などにノミネートされている注目のパンクバンドだ。ボーカルの Benji は赤のモヒカンをなびかせながら「トーキョー」を連呼,ステージの骨組み部分によじ登る元気さで,暑さでまいっていた僕らの心を奮い立たせてくれた。

 ただ,少し残念だったのは,モッシュの嵐は起こらなかったことだ。2001 年の SUMMER SONIC では RANCID や NOFX が参加していたため,モヒカンや全身タトゥーの兄ちゃんが大挙していた。そのため,アリーナ席後方までモッシュの嵐が吹き荒れるという素敵な状況があったのだ。その前年にも WEEZER 復活や Green Day 登場で狂乱があった。しかし今年は,最前列の一部でわずかにある程度で,パンクの盛り上がりとしては少し寂しいものになった。

 Good Charlotte の演奏終了後,会場を出て水分を補給。500ml のアクエリアスが 1 分で体内に染み込んだ。午後 4 時を過ぎても気温が下がる様子はなかったが,時折吹き込む潮風が何とも言えず心地よかった。

 午後 4 時 30 分。大歓声迎えられ Stereophonics が登場した。蛍光色のかかった赤い帽子をかぶった Kelly は,日本の蒸し暑さなど気にしない様子で飄々とギターを抱える。そして,体を右足で支え,左足を横にして上下させる独特のスタイルで歌い始めた。

 Stereophonics は,97 年の BRIT Award の頃から日本でも人気を集めており,今回で 5 度目の来日になる(たぶん)。ライブではニューアルバムの激しさそのままに重々しいベースと鋭いギター,そこに絡みつくノイジーな歌声で観客を大いに跳ねさせた。そして 2001 年のヒット曲『 Have A Nice Day 』が演奏されたとき,会場は一番の盛り上がりを見せた。

 オアシスとの比較論を嫌というほど耳にしてきただろう彼らだが,その真摯な演奏からは,自分達のスタイルに対する強い信念が感じられた。そして,メロディに真正面から向かい合うことの重要性を教えられた気がした。

 Stereophonics のライブ終了後,観客の数が目に見えて増えてきた。入場規制は行われていたのだが,人の波はどんどん押し寄せてくる。ステージ左前方で身動きがとれなくなっていた僕は,熱帯地獄のような環境の中,買いだめしておいた温いアクエリアスで何とかしのいでいた。

 午後 6 時。20 分遅れで The Strokes が登場した。整然と並べられたギターとベースを一人ずつ取り上げ,悠然と配置につく。彼らの堂々とした立ち姿と,ボーカル Julian Casablancas が着ていたゴーストバスターズのノースリーブが何ともアンバランスでおかしかった。

 The Strokes は NY 出身の 5 人組バンド。彼らの刻む 8 ビートは懐かしさを超えて,時代考証に混乱を与えるくらい“今”の音としてロックン・ロールを表現している。1998 年にバンドを結成し,2000 年にデビューしたばかりの若輩バンドにもかかわらず,それを感じさせないほどの大物ぶりは,ドラムの Fabrizio Moretti がハリウッド女優の Drew Barrymore を射止めたことからも容易に想像できる。

 滑稽なノースリーブでフラフラと会場を動き回る Julian は常にマイペース。『 New York City Cops 』での観客の大合唱にも動じることなく,伸びのある艶かしい歌声を響かせていた。時には「いま〜,船出が〜近づく〜このとき〜に〜」と,フランク・シナトラの『 My Way 』を日本語バージョンで歌って見せるというユーモアも見せ,最後の最後までファンサービスを欠かさなかった。

 奇跡はここから始まる。

 The Strokes の演奏の時点で満員になっていたスタジアムに,休憩時間も続々と人の波が押し寄せ,スタジアムに人が入りきらないというハプニングが起こった。Radiohead 単独のコンサートでも千葉マリンスタジアムを超満員にすることは可能だっただろう。客の格好から見ても,みんな Radiohead を見に来ていることは明らかだった。

 午後 7 時 30 分。Radiohead の登場に,会場はこの日一番の歓声に包まれた。僕は無精ヒゲを生やしている頃の荒々しい Thom York を想像していたのだが,ヒゲもなく痩せこけた頬をあらわにしているその姿に拍子抜けした。

 あたりはすでに夜になっていた。

 「ドン,ドド,ドドン」低く丁重なドラムが鳴り響く。そしてギターのリフが絡まった瞬間,地鳴りのような歓声があがった。2003 年のアルバム“ Hail to the Thief ”から繰り出された『 there there 』の荘厳な響きは,照明の見事な演出とともに観客を異世界へ連れて行く。そして The Strokes までは昼,Radiohead は夜という対比がより明確なものとなり,暗闇が映し出す照明の美しい光が他のバンドとの決定的なテンションの違いを見せつけた。『 there there 』と次曲の『 2+2=5 』はアルバム以上の激しさを持ち,モラトリアムな若者のための音楽ではないことを伝えただけでなく,彼らがポストロックの第一人者であることを証明して見せた。

 僕は Radiohead のライブを見たのは今回が初めてだったが,同時に Thom が踊るのを見たのも初めてだった。『 backdrifts 』でサンプラー(?)を操りながら小刻みに踊る彼の姿は,神経質な音と正反対で面白い。このイギリス人特有のオリジナルなダンスが,僕の中の Radiohead 像をさらに人間的ものに変えてくれた。その後も,オルガンやアコースティックギターなど,様々な楽器を器用に使い分けながらテンポよく演奏していく。ときおり,スタッフに日本語で声をかけるなど,気さくな一面ものぞかせていた。

 僕はアルバムをすべてレンタルで抑えていたに過ぎないミーハーな人間のため,あまり楽曲に対する思い入れはなかった。特に“ KID A ”に関しては,世間の評価とは裏腹に“ OK COMPUTER ”の時ほどの感動は得られていなかった僕にとって,今回のライブは転機となった。Radiohead のような作りこむタイプのバンドは,ライブではその音圧を再現できないケースあるからだ。しかし彼らは逆だった。SUMMER SONIC は今回で三度目だが,一つのバンドの演奏にここまで感動したのはこれが初めてだったかもしれない。

 彼らは秀作『 Everything In Its Right Place 』を最後に舞台から姿を消した。そして鳴り止まない手拍子の中,彼らが再び姿をあらわしたとき,奇跡は起こった。予定なら『 pyramid song 』『 wolf at the door 』『 karma police 』の 3 曲でライブは終了するはずだった。大阪会場でも 3 曲で終了している。しかし,この日は違った。

 彼らは『 creep 』を演奏したのだ。

 93 年,Radiohead は『 creep 』を含むデビュー・アルバム“ PAbLO HONEY ”を発表した。しかしこのアルバムがイギリスで脚光を浴びることはなかった。ところがアメリカのラジオ局が『 creep 』を流し始めたことをきっかけに,米オルタナ系ラジオ局のチャートで No.1 を獲得,アメリカで旋風を巻き起こす。この成功をうけ,本国イギリスでも『 creep 』が全英で 7 位の大ヒットになり,現在の地位を築いたのである。

 奇跡は起こった。『 creep 』は彼らが今の地位をつかんだ思い出の曲である。この曲がなければ彼らは今,ここにいなかったかもしれない。彼らがメインストリームに押しあがるため,神が導いた運命の曲を 8 月 3 日。イギリスから遠く離れたこの小さな島国で彼らは演奏した。

 この日,多くの素晴らしいライブ演奏を見たにもかかわらず,そのすべてが「レディオヘッド・ショウ」として記憶に刻まれたことは言うまでもない。僕はこの日のことを一生忘れないだろう。

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Composed by Syun Osawa since 10.1997