bemod

高畑勲×大塚康生 座談会

日本漫画映画の全貌東京都現代美術館で行われていた企画展「日本漫画映画の全貌」を記念して行われた高畑勲氏と大塚康生氏の座談会に参加した。お盆ということもあり子供連れとカップルだらけ。ジブリは強いなぁ。

座談会の方はかなりしょっぱい内容だった。なにせ客がミスマッチ。高畑勲の名前に釣られてやってきた親子連れやカップルを前に、「わんぱく王子の大蛇退治」や「太陽の王子 ホルスの大冒険」の裏話とか、労働組合の話とかね。さらには司会の編集者が上手に進行できない。編集者がステロタイプに「ディズニーからジャパニメーションへ」的な話を振っていくも、高畑勲氏は「漫画っぽい絵とかリアルな絵とかいうのは、内容に対してどうかという問題。東映だからどちらかといえば時代劇からの影響では。」とアッサリいなしていた。また、「なぜ『安寿と厨子王丸』のような変化球を?」との問いにも「変化球ばかりでしょ。『白蛇伝』とかも。『白雪姫』から始めるのとは違う。」とズバリ。

とはいえ御大二人の座談会である。有意義な話もたくさん出た。例えば、作画監督というポジションを作り、画面の絵の統一を図ったとか、ビデオを使用した動画テストをするようになったとか(ここではディズニーから影響を受けた話もしていた…)、昔を知る人にしか出来ない思い出話の数々。人生の深みってヤツを感じます。

興味深かったのは、アニメーターと作画監督、演出の立場についての話。今でこそ、作画監督や演出にかなり大きな権限が与えられているが、当時は逆だった。「演出はいなくてもいいが、作画はいないといけない」と、現場からアイデアが出てきて、それを採用するケースが少なからずあった。労働組合が花盛りだったこともあり(当時、東映労組の委員長は大塚康生氏がつとめていた)、そういう流れはある意味で民主主義的かもしれないけれど、それが緊密なドラマを組み上げていくときには障壁となることもあり、演出として違和感があったと高畑氏は語っていた。

妄想的極論をすると、演出が独裁的な力をつけていく過程で作画をしない押井守が生まれ、さらにその権限が編集者やオモチャメーカーのプランナーなどに移行してポケモンが生まれる。そしてその流れが現場無視となり、アニメーターの質を下げ、アニメの空洞化を招いたとも捉えることができる。さらに極論すると、そうしたメディアミックスのカウンターとして「ほしのこえ」が生まれたとすると…極論というか…ま、相当ハズしている気がするのでこの辺で…。

Flip Book vol.1高畑氏の言葉の中で印象的だったのが、「ディズニーは今でもアニメーター至上主義、演出家の名前なんて誰も覚えてないだろ?」。大塚氏の言葉で印象的だったのは、会場から出た「今の若いアニメーターに求めるものは何ですか?」の質問に対しての「とにかく勉強しなさい」。ダンボールいっぱい絵を描けば、最初と最後の絵を見比べたときにあきらかに上手くなっているという指摘は、非常に重みがある。

先週の話になるが、大塚氏のホームページで通信販売していた『Flip Book vol.1』を購入していた。いわゆるパラパラ漫画というヤツで、本を手で押さえながらパラパラやると中に描かれた猫が動き出すという代物。3D技術だけでは絶対に到達できない「生々しさ」を見ることができる。宮崎駿氏が昔テレビの番組で「動け、動け」と言いながら作画をしていた様子を思い出した。どこかで見る機会があれば、一度見られることをオススメしたい。

帰りに大塚氏が監修した『日本漫画映画の全貌』という本を購入して帰宅。こちらの本も『Flip Book』同様にISBNがついていないため、書店では購入できない。『日本漫画映画の全貌』の方は2500円と少々高めだが、戦前から戦後のアニメの流れをアニメーターの目線で追っており、また使用されている写真もセル画ではなくイメージボードや作画用紙の画像を使用しているため、なかなか面白い資料集になっていると思う。見かけたら要チェックです。