bemod

September 10, 2004

エイベックス・ドリ〜ム

a_dream千葉氏(株式会社アクシヴ)の解任動議に端を発した「エイベックス危機」は浜崎あゆみのキツイひと言で収束した。ミーハーな僕も各新聞社のネット報道や掲示板などを漁ってみたが、イマイチ判然としない。基本的に CCCD とかはどーでもよくて、社長職から退いた依田氏がかつて『平成日本のよふけ』(フジテレビ)で語っていたような「ドリ〜ム」なエイベックスの歴史がむしょーに知りたくなった。

というわけで、水草岳司著『エイ・ドリーム』(新風舎)を読んだ。水草氏はエイベックスが草創期だった1990年に12番目の社員として入社し、1999年に退社した方。同書はエイベックスの暴露本ということで、ZAKZAKなどでも取り上げられていたようだが、僕が読んだ限りでは誠実で冷静にエイベックスの変遷を記した本だと思った。

僕はエイベックスの成り上がり方が好きだ。それはこの本を読むことで、その思いは一層深くなった。たとえばこんな一文がある。

エイベックスは90年からこのミデム(カンヌで開催されるコンベンション)に参加し、そこで世界の音楽シーンの現状に触れると同時に、さまざまなビジネス・チャンスをものにしてきた。(中略)その中でも最大の収穫は、91年のミデムで「テクノ」と出会ったことだ。

エイベックスは91年に「テクノ」と出会ったのだ。テクノファンの人は「はぁ?」と思うかもしれない。しかし、この一文にこそ、エイベックスの重要なパワーの源が詰まっている気がしてならない。たとえば、初期のエイベックスはいわゆる「ユーロビート」を前面に押し出した会社であった。しかし彼らがユーロビートを売り出そうとした80年代後半、巷ではユーロビートはすでに過去のものとなっていたはずだ。新興勢力の後出しジャンケンが何故ここまで成功したのだろう?

エイベックスは誰が作った会社なのか?

浜崎あゆみは松浦氏が辞表を提出したことを受け、「松浦専務の辞任はエイベックスの終焉」であるとコメントした。なぜか? もしも松浦氏がレンタルCD屋をやっていなければ、エイベックスという会社は生まれていなかったからである。

『エイ・ドリーム』によると、松浦氏は大学4年生のとき、当時アルバイトをしていたレンタルレコード店のオーナーの勧めと父親の援助により、横浜郊外に自分の店をオープンさせている。水草氏の文章からは読み取れなかったが、おそらく全国チェーンのレンタルレコード店のフランチャイズとして、自前の店をオープンさせたということだろう。

松浦氏はレコードからCDに移行していく時代背景を尻目に、自分の店にアナログ12インチのユーロビートを並べた。そして、それが徐々にクチコミで広がり、話題になる。一方その頃、八王子で同じくレンタルレコード店を経営していた男がいた。鈴木壱成氏である。鈴木氏は松浦氏の店を訪れたとき、彼がユーロビートのレンタルで成功していることに心を引かれる。鈴木氏は松浦氏に熱烈なラブコールを送り、その結果、彼らは町田でユーロビートのアナログレコードを全国のレンタルレコード店に卸す事業を始めることになった。これが「エイベックス・ディー・ディー株式会社」(エイベックスの前身)である。

鈴木氏はエイベックスの創設者であり、初代の代表取締役社長である。しかし1994年1月、突如退任し、それまでご意見番としてエイベックスを後から支えてきた依田氏が会長兼社長に就任した。今回の騒動では、アクシヴの千葉氏に対して依田氏を中心とする役員たちが解任動議を出したわけが、それより前にも何となく似通った事件があったわけだ。ちなみにエイベックスと言えば経営の依田、製作の松浦というイメージが強いが、エイベックス設立当時、依田氏は非常勤のご意見番的立場にあったらしい。

松下やホンダの創設者は今もってなお尊敬される存在であるのに、松浦氏を引っ張り出してエイベックスを立ち上げた鈴木氏の存在は今や過去のものとなっている。現代の何というか…切ない部分だ。たしかに依田氏がエイベックスを飛躍的に大きくしたことは間違いない。水草氏も彼の英語による交渉術がなければ、海外のレーベルとの契約はここまで上手く運ばなかったと記している。

ネットなどでは依田氏が社長を退いたことで、松浦氏が社長になるのでは? という憶測が飛び交っており、また彼が社長になったら経営は無茶苦茶になるとも言われているようだ。しかし『エイ・ドリーム』によると、松浦氏が経営していたレンタルレコード店の売り上げは、全国のグループ店の中でNO.1だったそうだ。東証一部の会社と場末のレンタルレコード屋を比べるのは変だけど、大学生のときに自分の店をオープンさせ、売り上げNO.1を誇った松浦氏にだって人並み以上の経営の才能はある。そしてその才能が、大会社となった今でも十分に発揮される可能性がないわけでもない。もちろんそれは、彼が同書に書かれているような「町田スピリット」なるドリームを今も心に燃やし続けていればの話だが。

beatfreak

『エイ・ドリーム』の著者、水草岳司氏はその後いかなる運命を辿ったのか? 彼はヴェルファーレの再建を断った後、1999年に退職する。ちなみに水草氏が退職するまで編集長を務めていた『beatfreak』は、現在発行人が松浦氏、編集人が倉地豊氏となっている。

インターネットでわかる範囲で調べてみると、水草氏はエイベックス退社後に HU-Recordings というレーベルで活躍したようだ。会社概要をみると設立は2001年となっている。ヒューコネクトという会社の一部門を担う形で運営されているようだが、ホームページの更新は2003年で止まっている。

また、アニメ事業にも進出しており『 穹蒼〜SORA〜 』のサウンド・プロデューサーとして水草氏の名を見つけることができる。しかし、このアニメ事業もまた2003年12月を最後に更新が止まっている。映像を担当している 映像集団ねこやのホームページ には以下のような文章があった。

※リンク先の「穹蒼〜SORA〜オフィシャルページ」につきましては当方が管理運営しているわけではありませんので、更新時期等のご質問を頂きましても、お答えできかねます。ご了承ください。

どうやら事業そのものが頓挫しているようだ。エイベックスの創業者である鈴木氏がエイベックス退社後に立ち上げたレーベルが、その後頓挫したのと似ている。エイベックスを内側から眺め、かつてエイベックスが持っていたはずの「町田スピリット」をもう一度甦らせたいという彼らの思いは、ショウビジネスの世界の中でもろくも散っている。

僕も成り上がりの思想が好きだ。たくさんの障壁を乗り越えてゼロから成り上がる。そのときスピリットは多くの人を打つ。しかし、『エイ・ドリーム』やその周辺から見えてきたものは、島本和彦のこの思想であった。

それはそれ、これはこれ

「運」と「資本」なんだよな。結局。

追記

某関係者から情報をいただきました。Hu-Recordingsというレーベルは水草氏が立ち上げたものだそうで、ここはCDを出すときだけ使用しているレーベルだとの事です。水草氏自身はエイベックスを退社した現在も音楽業界の現場で活躍されているそうです。妄想からの決め打ち、大変失礼致しました。