bemod

2004年12月02日

雲のむこう、約束の場所

監督:新海誠/声優:吉岡秀隆、萩原聖人ほか

雲のむこう、約束の場所新海誠氏の作品を初めて見たのは下北沢のトリウッドという小さな映画館だった。上映はロマノフ比嘉氏との対バン形式だったにも関わらず、新海氏の『ほしのこえ』だけがその後一人歩きする形になった。早いものであれから3年近い月日が流れている。彼の最新作『雲のむこう、約束の場所』は、『ほしのこえ』後に起こったインディーズアニメブームにどのような総括をしたのだろう?

…なんて大層な事は僕には語れないけど、『雲の向こう』は一つの分岐点になったと思う。どういう分岐点かというと、メジャー女優となったジュリエット・ルイスがインデペンデントとメジャーを行き来するあの感じ。サンダンス映画祭あたりの分基点。本作では前作と同様、一人語りを徹底しており、叙情詩的な新海節を色濃く残した形でインデペンデントな光を放っていた。エンドロールが予想以上に長かったことを語っても仕方がないので、物語を主軸に感想をちょっとだけ。ネタばれがあるので、観ていない人はここからは読まないで。

とにかく僕の予想はハズレた。ヒロインのサユリは日本からユニオン(北海道側)に拉致された女の子で、彼女の夢と彼女の幼馴染だった主人公のヒロキの夢がシンクロするのだろうと思ったからだ。あの塔は北朝鮮のプロパガンダ放送の模倣としての存在であり、一つの象徴であると。その塔のコントローラーとしてサユリが夢の中で平行宇宙を抱えている。もしそうであれば、分断されている敵側にも自分と同じ傷つきやすい生身の人間がいることが感じられるし、あの塔に行く目的もできる。でも実際はヒロキもタクヤもサユリも全員日本に住んでいるんだな。意図的なんだろうけれど、完全なまでに敵の存在を排除している。ここが僕にとっては分岐点だった。大塚英志流に言うと完全に虚構へ逃げ込んだ後って感じか。

それはサユリという女の子のキャラクター設定にも現れている。強さがない。ヒロキやタクヤにしてもそうだが、悲しすぎる。現代の若者の病理を浮き彫りにしているのかもしれないけれど、みんなで練炭自殺でもするんじゃないかとやるせない気持ちで一杯だった。僕にとって彼らの傷つきやすさは「ヘタレた弱さ」にしか見えない。甘えているようにしか見えない。あんなものは戦争じゃない。そんなことはイラク戦争の映像からでも十分に想像できる。僕たちの世界は「キミとボク」だけで構成されているわけじゃないんだ。なんて風に思う僕の方に問題(読み違いという意味も含めて)があるのかもしれないけれど。

背景については文句なく美しい。光の表現とグラデーションの使い方はPCがもたらした大きな効果といえるだろう。もちろんあのクオリティの背景を描く商業アニメのプロダクションは数多くあるが、あそこまで大胆に画面をレイアウトするという試みは、背景の作家性という視点を僕たちに教えてくれている。ヴェラシーラのデザインも素晴らしい。ヴェラシーラの飛行シーン(特にラスト)は光の映りこみを利用した素晴らしい表現になっている。あれはかなりビビッた。

最後に本当にくだらない突っ込みを入れて申し訳ないが、チラシなどでは著作者の表記が「Makoto Shinkai / CoMix Wave」となっているが、エンドロールの最後は「新海クリエイティブ / CoMix Wave」となっていた。「新海クリエイティブ」って何だろ? と思って、検索をしてみたら有限会社新海クリエイティブというのが出てくる。もちろん同一の会社かどうかは不明。前に僕は新海氏はもう少ししたらプロダクション化してうんぬんと書いた記憶があるが、ずいぶん昔からそうしていたんだろうか。だとしても別に驚きはしないけど(だって税金対策大変だろうし…)。

最新作を見終えたあとで次回作の話をするのもなんだけど、次はもうワンランク上の大作を目指すのか、それともTVアニメシリーズの雇われ監督でもやるのか。個人的には短編を繋ぎ合わせたオムニバス形式が彼の叙情詩的アニメ表現を最大に発揮するのではないかと思っている。インディーズアニメのトップランナーとして次回作にも期待したい。

(追記)2005.2.6
よーするにこれが「セカイ系」なんだという事がたしからしいので、追記してみたくなりました。他サイトのブログなんかを見ていて、この作品を高く評価している人は自分(内)と世界(外)の関係性を熱心に語っているようです。『エヴァ』のときもそうでしたが、妙な気分になります。

Posted by Syun Osawa at 00:54