bemod

2005年01月04日

フリーメーソン

リュック・ヌフォンテーヌ/創元社

フリーメーソンアメリカの大統領選を戦ったブッシュとケリーが、エール大学時代に「スカル&ボーンズ」という秘密結社に入っていたことが以前テレビで話題になった。よーするにこれがフリーメーソンらしいのだ。アメリカやイギリスではフリーメーソンはオカルト集団ではなく、学校の敷地内に堂々と集会所を設けている(その時点で秘密結社とは名ばかりであることがわかる)。

とはいえ日本でのフリーメーソンという言葉の響きはあまりよろしくない。僕だけかもしれないが、たとえば参入儀礼の「イニシエーション」なる言葉をオウム真理教が用いていたり、過去にナチスが流布したとされる「フリーメーソン=ユダヤ陰謀説」の影響で、神を恐れぬ悪魔集団的なイメージを抱く傾向が強いように思う。たしかに「フリーメーソン」という言葉の響きは何だか怪しげで、ゴシック系オタクのカルトな集団のイメージがスムーズに頭に上がってくる。映画で言うならば、キューブリックの遺作『アイズ・ワイズ・シャット』の秘密集会といったところか。本書を読んでも、外面のイメージはそれほど外れていない。しかし、その中身(本質)はもっと奥深く、豊かだった。

「フリーメーソン」の歴史は宗教(特にカトリック)との戦いの歴史でもあった。彼らの信仰は〈宇宙の偉大なる建築師〉に向かっている。これはフリーメーソンの発祥が、大工、石工などの職人達の組合であることに由来しているからだ。そして特定の神様に寄りかからない道徳心や社会のあり方を探求するのである。だからといってキリスト教などの宗教そのものを、彼らは否定しているわけではない。彼らが否定したのは宗教が権力を持つという教権主義である。

どんなポジションかをわかりやすく説明した文章を本書の中から引用すると、彼らの立ち位置は「宗教のない左翼」らしい。右翼と左翼の位置づけは相対的であるため、明快にどうとは言えないが、結果として彼らはその立ち位置と秘密主義ゆえ、保守からも共産党勢力からも支持されず迫害された。ちなみに旧社会主義勢力の権力者でフリーメーソンを支持したのはカストロ議長だけだったという話は何だか興味深い(プーシキンもフリーメーソンだったらしい)。

フリーメーソンは王政の時代から信じられないほど進歩的で、民主的な組織であった。にも関わらず古い参入儀礼であったり、偶像崇拝であったり、女人禁制であったりを守り続けている。ここが面白い。これらの古めかしい装いは一見不必要に思うし、歴史の中でも不要論が何度も飛び出しているのだけれど、この不要な部分こそが権威などへの憧れに対する「ガス抜き」として上手く作用しているのだ。一流企業の重役が秘密のパーティーで女装したり、SMクラブに通ったりという話とも肉体的にはやや似ている。

こういう怪しげなものがなくなって、もしもフリーメーソンがひどく真っ当な組織になったとしたら、おそらくここまでの歴史はなかっただろう。これは日本の伝統文化にも同じ部分があるような気がする。何でも正しくて民主的であることがいいわけではない。もちろんその方がいいのだけど、人間は機械じゃないし、そういう正当性だけの世の中では生きられないことをフリーメーソンは昔から知っていたのかもしれない。それは中国の伝統医学が科学的に効用が確認される事例ともよく似ている。

フリーメーソンは、参入儀礼とか、前掛けのデザインとか、階級などのディティールの話の方が面白いのだが、大枠の部分と根底に流れる思想にたいそう感心したのでそこだけの感想文にて了。

Posted by Syun Osawa at 21:09