bemod

2005年01月06日

山ん中の獅見朋成雄

舞城王太郎/講談社

山ん中の獅見朋成雄若い(?)作家さんの中で、乙一と舞城王太郎だけは次を読みたくなる。サラッと読めるし、何となく健康にいい。

雑感中の雑感を羅列すると、とにかくこの人ってQ&A形式な印象がある。数学で言えば、文章問題があって、解き方がなくていきなり答えがある感じ。だから「どうして?」が終わらない。そして解き方がわからないままに次の問題へ。そりゃもう横へ横へ。全部の問題が終了し、答えは全部明らかになった。でも解法は一つもわからないまま。でも心地いい。答えが全部わかってるから。

料理で言うならこうか。コンビニある素材を集めてきて、ミキサーで混ぜたら上手かった。産地がどうとか、調理法とかはなくて、コンビニある素材はその時点である意味で完成されていて、それをさらに攪拌して別のものを作り出す。そんなことやったら不味いものしかできないんだけど、なぜか美味い。ボクシングの畑山が山本“KID”徳郁について「当て感が抜群に良い」と評したが、舞城王太郎にもその言葉がピッタリ当てはまる。

本書を読んで真っ先に頭に浮かぶのはおそらく『千と千尋の神隠し』だろう。『群像』に発表された時期を考えても狙って書いた印象が強い。だが、それだってたまたまコンビニに置いてあったDVDをミキサーに突っ込んだ程度の素材に過ぎないのではいか。そりゃムチャな擬音も出るわな。女体盛りも出まんがな。ちなみに僕がこの本を読んで、真っ先に頭に浮かんだのは宗田理の「ぼくら」シリーズ(どの巻だったかは忘れました)だった。

純文学がどうとか、ミステリーがどうとか、同書に対するそうした評価に僕はまったく興味が無くて、もっと単純で薄っぺらな皮膚の裏側にただただ共感できるのだ。この物語は別に難しくない。いたってシンプルで、明快なストーリーがあるだけだ。だから僕は乙一を読むように心地よく読めるのだと思う。結果論としてそうだとしか言えない。

Posted by Syun Osawa at 22:23