bemod

2005年01月16日

章説・トキワ荘・春

石ノ森章太郎/風塵社

章説・トキワ荘・春トキワ荘関連の書籍はたくさん出ている。あれだけの数の有名漫画家を輩出したわけだから当然といえば当然だろう。この本の初出は1981年。文庫化された後、別の出版社から再販という経緯をたどっている。

本書は、トキワ荘関連で一番有名な本である藤子不二雄A著『まんが道』以後の世界を中心に構成されている。「なろうなろう明日なろう、明日は檜になろう」と夢を誓い合ったあの日以降の世界だ(ちなみに現在、藤子不二雄A氏も『まんが道』の続編を描いている)。また、仲の良かった赤塚不二夫との思い出が色濃く出ており、『まんが道』とは少し違ったトキワ荘の一面を覗かせている。石ノ森はトキワ荘時代、少女漫画畑で活躍していたから、たくさんの女の子が石ノ森の元を訪れていたらしい。その中に池田理代子、里中満智子もいたそうだ。あと、毎週遊びに来てたという高橋瑠美子はあの高橋留美子だろうか(つげ義春なんかもいたそうな)。凄い話だ。

この本の中で僕が一番心を動かされたのは、若い才能がぞくぞくとトキワ荘に集まってくる場面ではなく、彼らが売れて一人また一人とトキワ荘を去っていく様子が書かれている場面だ。その昔、高円寺という町がロックミュージシャンの住む町として栄えた時代があった(ブルーハーツの甲本ヒロトがいた時代だ)。その時代を見つめた音楽雑誌の編集者が高円寺で発行されているフリーペーパー上で「売れたらみんな高円寺を去っていった」と書いていたが、こうした同時代性を内包したモラトリアムな空間から立ち去ることで、少年は真に大人になっていくのであろうか。

トキワ荘見取り図一人、また一人とトキワ荘を去っていく。売れて去るもの、漫画家を諦めて去るもの。赤塚のように結婚してもトキワ荘を離れられず、トキワ荘の向かいの鉄筋のアパートで暮らすもの。そして、トキワグループの中で最年少だった石ノ森は、トキワ荘を出て行く最後のマンガ家になる。トキワ荘時代はみんな子どもだったと石ノ森は認めている(性的な意味も含め)。トキワ荘がいつまでも語られるのは、大人がビジネスのためにシリコンバレーを築いたからではなく、大人になれない子どもが未来について煩悶としながら子どもの城を築いたからであろう。

また、石ノ森は若くして天才と呼ばれた自分におごることなく、彼らトキワグループの量産体制や漫画の在り方が古い漫画家たちを追い出している事実をちゃんと受け止めている。この頃を境に、漫画が子どもの遊び場ではなくなり、出版業界の機軸に変わっていく。人気商売になっていく。彼は自分自身がそのトップランナーとなっていることを冷静に見つめている。絶望もしている。だから救いがある。

石ノ森は漫画の魅力とは、未完成品の魅力であると言っている。言い換えればそれは子どもの作り出す青臭い物。だから漫画には法則など存在せず、常に熱気溢れる未完成の作品が生み出されたのだと言う。僕なんぞはそのずっとずっと後に生まれた世代だから、残念ながらそれをそのまま受け止めることはできない。受け止めたくても、現実がそれを許さない。でも、だからこそ僕は先人の言葉を信じたいと思う。彼が最後に記した「マンガは青春」という言葉に。

PS.
この文章を書いている時点ではまだ藤子不二雄氏の『二人で少年漫画ばかり描いてきた』も名著『トキワ荘青春物語』も読んでいない(先日、古本屋で手に入れたが未読)。

Posted by Syun Osawa at 22:27