bemod

2005年01月29日

ハウルの動く城

監督・宮崎駿/製作・スタジオジブリ

ハウルの動く城この作品、本当に宮崎駿監督作品なのだろうか? 宮崎駿の作品というよりは、『猫の恩返し』とか『茄子 アンダルシアの夏』あたりのジブリ作品っぽさが強く出ていた気がする。この微妙な変色は宮崎駿の作家性が変質したからなのか、それとも単に老いたからなのか。僕には女性天皇容認問題以上にジブリの跡継ぎ問題が深刻に映っている。

例えば、老婆になったソフィーが丘を登る途中で木に埋もれたカカシを助けるシーン。昔の作品ならば絶対にカカシが起き上がった瞬間に、ソフィーは反動で逆方向に倒れ込んでいたはずだ。オーバーな動きがない。微妙なところだけど、他にも風の使い方とか、動物との戯れ方などの細かな動きの積み重ねにどこか違和感を感じてしまった。

宮崎駿作品ということをひとまずおいて、ジブリ作品として感想を述べるならば、ネットで書かれているほど悪い印象は受けなかった。キムタクの台詞についても、そもそもこの作品自体が新劇調の台詞回しを軸に作られていたので、あんなもんだろうと思うし、ヤングアダルト作品として捉えれば、状況のめまぐるしい変化と(宮崎駿作品にはあまり見られない)「男」を匂わすようなハウルのキャラはかなり上質だと思う。そして火の悪魔もよく出来ている。なお、同映画で一番好きだったシーンは王宮へ向かう大階段のシーン。ソフィーと魔女がただ階段を上るだけの場面なんけど、苦しそうに上りながら、いつしか二人が人間的に打ち解けあうという素晴らしい展開を見せている。台詞なしでこういう描写に挑戦するスタジオはジブリ以外にはないだろう。

しかしながら残念だった部分もある。背景美術に感動しなかったこと(理由は不明)。物語を通して人間の成長を描かなかったこと(毎度こればっかりなで、あえてやらなかったのかも)。展開を急いだこと(これでソフィーの人間性の大部分がカットされたのではないだろうか)。これら全てが、僕が宮崎アニメの好きだった部分であり、ジブリ作品で食傷気味だった部分でもある。宮崎駿の名を借りた新生ジブリ映画という雰囲気はこんなところからきているのだろう。

うーむ。ダメだな。宮崎アニメとひとくちに言って、何でも横軸で宮崎界隈のアニメを考えるのは。時代というのがあるのだし、縦軸(時間軸)も含めて立体的に見なければいかんな。何でも『ラピュタ』に帰着させて、並列で考えるのは悪い癖だ。少なくとも実写版デビルマンよりはデビルマンらしかったし、そこで思考停止して、この映画を観る前に購入していた『宮崎駿の世界』(竹書房)を読み始めることにしよう。

Posted by Syun Osawa at 16:18