bemod

2005年03月24日

comic新現実 問題外増刊みたいな

comic新現実編集部/角川書店/フリーペーパー

新現実 問題外増刊みたいな…2005年1月ごろ、全国的に配布されていた販促用フリーペーパー。しかも72ページの大ボリューム。版面のクオリティは『bounce』や『JUNGLE★LIFE』には遠く及ばないとはいえ、「大塚英志」というキーワードだけでこんなフリーペーパーを作ってしまえるのは凄いなぁ。費用は宣伝広告費から捻出されているんだろうけど、実際のところどれくらいかかってるんだろう?

この本の見所は、なんと言っても大塚英志が描いた漫画と、自身による著作群の解説。解説の方はまぁ、誰も書かないから自分で書いてるんだろうからいいとして、漫画の方は予想以上(失礼)に絵が上手く、内容も面白かったことに驚いた。あと今の大塚英志を構成するキーワードをいくつか読み取れる気がした。例えばこんな感じ。

1)パターン化された絵
2)政治的なネタ
3)一定基準を満たした完成度

20歳の頃に才能はしっかり出来上がってるんですね。それは実感。一方、自身による著作群の解説は相変わらずの大塚節。一番のヒット作である『多重人格探偵サイコ』を〈吾妻ひでおさんから「最近、一巻だけ読んだ」と言われた。〉とだけ書くところが僕には寒く感じられるけど、こういうのは世代のノリというやつだから仕方ないのかな? とりあえず『多重人格サイコ』の続編なんかやらないで、『東京事件』をきっちり盛り上げて欲しいもんです。

こういうフリーペーパーを通してつくづく感じるのは大塚英志の力(角川と大塚の力関係という意味も含め)。竹熊健太郎じゃ無理だもんね。大塚英志の強みは、出発点が漫画家であり、その後編集者を経由し、漫画原作者としてヒット作を出しているというところにあることは間違いない。彼の本の中にもそれを匂わす文章はたびたび登場するし(そこが嫌味なんだけど)。ただ事実と思い出話というのはどんな人でも微妙に食い違うもので、例えば本誌に掲載されたみなもと太郎(大塚の師匠)のインタビューで語られている話と大塚が思い出として語る話が、基本的に同じであるにも関わらずちょっと違う。

それは「『平凡パンチ』の連載を断ってマンガ家活動を終えた大塚英志」というような感じの事実の抽出であったりするのだけれど、こういうのって全部「政治」であって作品についての話では全然ない。だって「トマト暗殺団」からは真っ当な漫画家だった事実が読み取れないじゃないか。「東大卒」とか「○○賞受賞」みたいな権威付けをされているみたいでどうにも嫌な感じ。大塚英志はそういうのを評論ではメッタ斬りにするし、僕はそういう彼の文章は大好きなんだけどなぁ。ところが自分も同じことをメインフィールド(マンガやアニメの業界)ではやるんだよなぁ。自覚的だからとか「あえて」とかそーいう問題なのかしら。

この両刀使いっぷりから、突如「大塚英志=前田日明」説が登場する。先日、某掲示板に書き込みをしたがあまり反応なかったので消沈しているんだけど、やっぱり彼の村上隆や森川嘉一郎に対する苛立ちは、前田が築いてきたものを横からPRIDEに奪われていかれる様に似ている気がする。とはいえPRIDEがどれだけ興行的に成功しても前田の名前は消えない。それと同じところに行くような気がする。つーか、そういうイメージで若いライターさんは彼の精神史なんてものをもの凄いスピードで置いてけぼりにせんといかんはずなのだが…。

(追記)

本屋で『小説トリッパー』の中の対談「大塚英志×斎藤環 −ライトノベルをめぐる言説について」を立ち読み。彼の舞城や佐藤に対する厳しい立場は素晴らしい。親父が親父としての本分(責任)を発揮してます。「君は君のままでいいんだよ」と言ってしまわない大塚のあの辺の態度はとっても好きです。で、そこを越えていくのが親父越えであり、子どもの本分なんだと思います。

Posted by Syun Osawa at 23:27