bemod

2005年04月08日

郵便的不安たち

東浩紀/朝日新聞社/書籍

郵便的不安たちこの本を読みたくて、ずいぶん遠回りした感じする。哲学とオタクの要素が分け隔てなく並べられ、それらを僕のような素人に向けて丁寧に説明しているところが好感を持てるし。注釈の一生懸命さに著者の熱い思いを感じる。インテリがどうとかそーいうのではなく、もっと若々しい青春みたいなヤツを…。

ところがどうしたことか、東浩紀のイメージがなぜか土田世紀『編集王』に出てくる明治一郎というキャラクターと被るんだなぁ。よーするに嫌なヤツ。嫌なヤツになっちゃった元良いヤツ。その原因は「うる星やつら」おたくだった東少年が書いた「ソルジェニツィン」に関する論文を、柄谷行人に

「東君、あれ面白いから『批評空間』に載せます」

と言われ、哲学者/批評家としてデビューを果たした後、大衆受けしない『批評空間』と上がらない自分の知名度に業を煮やした著者が

いまや、読者は確率的にしか見つからない。だから、ばら撒くことがすべてです。パルコやリブロでワゴン売りさせるためにはどうすれば良いか。アニメ論を書くしかない。

というスタンスでアニメ論やってきたからなのかなと。そもそも彼が研究してきたデリダについても

デリダについての著作を喜んで読むというのは、だいたい僕のイメージとしては、日本で千人、ヨーロッパで二千人、アメリカで二千人、それで終わりです。

と言っているわけで、そうすると彼が唐沢俊一に反論した「 唐沢俊一氏の「悪口」について 」で言っていることと矛盾する。そういう微妙な発言のズレもあって、この本の中から感じられる東浩紀の熱い部分は凄く共感しつつも、学生時代「ラムちゃ〜ん」と言っていたヤツが、エリート街道を歩むなかでどんどん嫌なヤツになっているようにも映ってしまう(ただその印象は、2004年の同人活動でちょっと変わったけど…)。

あと『エヴァ』ブームにまったく関心がなかった僕にとって、そこでブレイクした人たちはとても「糞マジメ」な印象があって、例えばこの本の中に収録されている文芸批評なども悲壮感があって僕的にはちょっとしんどい。竹熊健太郎みたいにギリギリ距離をとりながらの人はいいけど、その下はやたら真剣でちょっと引いてしまう。それは『網状言論F改』の話か。ちなみに、あとがきで東はこんなことを言っている。

僕が本当に望むのは、その名が匿名となること、つまり、もはや著者名とは無関係に、『存在論的、郵便的』と『郵便的不安たち』という二つの異なったタイプの本が読まれ、たがいに交わり、そしてそこから無数の子供たちが次々と生まれることだ。

この二つの本を読み込みこなせる子供といったら…。それこそ 好き好きお兄ちゃん! のkagami氏じゃないですか!

Posted by Syun Osawa at 00:49