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2005年10月02日

アジアのキュビズム ― 境界なき対話

2005年8月9日−10月2日/東京国立近代美術館

アジアのキュビズムギャラリートークで松本透(国立近代美術館企画課長)さんの貴重な話を聞いて、大満足だったイベント。展示数も多かった。

展示会の趣旨をザックリ言うと、1900年代前半にピカソやブラックらによって創始されたキュビズムは、第二次世界大戦や以後の民族紛争などがあったため、アジアの各国には時間差で伝わっていった(1920年から1980年あたり)。そこで浸透したアジアのキュビズムが特徴的なのは、短い直線で対象を切り刻み、普遍化と無個性の立方体として再構築するというキュビズムの技法が、アジアでは土着の美術や宗教と絡み合い、多用な広がりを見せたこと。とまぁ、そういうような話らしい。順序としては日本→中国→韓国→インド→東南アジアという感じ。それが経済成長の順序と比例しているのかはよくわからん。

さらに松本さんの話だとキュビズムが持つ無国籍性&無個性がゆえに創造や構築の手法として捉えられ、キリスト画や仏画などにも援用されたそうな(左上の画なんてモロですね。キリスト)。あと、シュールレアリスム的な視点も出ていて、社会の明暗が描かれているものも少なくなかった(ロシア・アヴァンギャルド?)。

いつぞやのシュールレアリスムの展示会で見た鶴岡政男さんの『重い手』も展示されていた。この絵は前がシュールレアリスム、背景がキュビズムで描かれている(らしい)。今回展示された膨大な数の作品群の中では、日本の萬鉄五郎さんとフィリピンのヴィンセンデ・マナンサラさんの作品が特に印象に残った。

キュビズム絵画を大量に見て改めて思ったことがある。キュビズムには具象が抽象へと飛び立つ瞬間があって、僕はそこが好きらしい。さらにキュビズムには対象をズタズタに切り刻んでイデオロギーも個性も破壊していくくせに、文字を添えることで物を物としてとどめておきたいという可愛らしさがある。

Posted by Syun Osawa at 22:02