bemod

2006年04月12日

須田国太郎展

2006年1月13日−3月5日/東京近代美術館

須田国太郎展京都出身の画家という理由だけで勝手に親近感を抱いているバカ(僕)。

作品はまぁ…好き好きですね。頭良さそうな感じが漂ってて、ちょっと恐縮してしまった。戦前にスペインを外遊して絵を学んだそうで、スペインの風景を描いた代表作の《アーヴィラ》(1920年)などを見ると建物に照射される赤の温度が高め。その画風がそのまま日本の風景にも繁栄されていて、日本なのかどこなのかわからない。そのテンションが《法隆寺塔姿》(1932年)では、手前でニョキニョキ立っている鬱陶しい電柱の雑踏感と、その向こう側にそびえる歴史的建造物の荘厳さの組み合わせという力技に上手く作用しているように見えた。

スペインでどんな画家と交流してこういう画風を勝ち得ていったんだろう? パンフレットを眺める。「主にスペインのプラド美術館でヴェネツィア派の絵画を模写することで油彩技法を独学しました。」これしか書いてない。実際に当時模写した絵画(エル・グレコなど)もいくつか展示されていた。

須田さんは評論活動も活発にされた方らしく、「日本の油絵は根を持っていない『切り絵的芸術』である」として、東洋と西洋の総合なる壮大な目標を掲げていたそうな。そうは言っても、彼の作風はスペインの赤にガッツリ支配されており、「赤>黒>緑」の隊列でコントラストの効いた色が配置されていて東洋を見つけられない。僕が彼の作品の中に東洋を見つけることができたのは、その激しい赤が雨によって流され、やや色あせた《筆石村》(1938年)や《時雨(筆石村)》(1937−40年)であった。

彼は晩年、画面が「暗くなる」「色彩を失う」「黒くなり出す」と言うようになるのだが、黒色によって引き出された全開の赤よりも、水分を多量に含み、その気負いが緩和された作品《叢(ぶしゅ)》(1947年)などの方が心に残った。

そんな彼の作品群の中で最も目を引いたのが能のクロッキーだった。

大量に描かれたという能のクロッキーの中に、連続した動きを捉えているものが数多くあった。能の動きのある一瞬を切り取るのではなく、動きそのものを動的に捉えたまま表現しようとしていて、かなり面白かった。残念なことに動的なクロッキーは、アニメーション的な絵画として発展することなくそこまでで終わってしまったようだ。

Posted by Syun Osawa at 23:29