bemod

2006年07月27日

インディヴィジュアル・プロジェクション

阿部和重/2000年/新潮社/文庫

インディヴィジュアル・プロジェクション予想に反して面白かった。瞬了。

阿部和重さんの作品を読むのはこれが初めて。ハードな文体だったのかどうかは記憶にないが、サクッと読んだ。

阿部さんの作品は、ずいぶん前から何冊か読もうと決めていて、その最初にこれを選んだのだ。芥川賞受賞作「グランドフィナーレ」について、村上龍さんが『文藝春秋』の選評で批判していたから、きっと何やら近いところがあるんだろうと思って読んだらその通りだった。斎藤美奈子さんが『文壇アイドル論』(岩波書店)で村上龍さんに対して書いていた「五分後のニュースショー」が、そのまま当てはまる勢いがある(少なくともこの作品では)。

ネタばれになるが、マサキの別人格がオヌマってオチにして単純に読み終えた(だからオヌマはカメラに映っていなかったんでしょ?)。マサキはオヌマという人格を認識しているが、オヌマはマサキを認識していない。実際にそんなことがあるのかわからんが、イノウエであったり、カヤマであったりと、自分の自我が他人と重なり合っていく感じがとても面白かった。このへんの匂いは『殺し屋イチ』だし。

明確な回答が示されているわけではないので実際のところはどうなのかわからん。投げっぱなしなので、その投げっぱなしの心地よさを押井アニメのように愉しめば問題ないということなんだろうか?

そんなわけで、薄白いもやもや感がないではないが、最後のマサキ?の言葉には共感があって、そこで全部が許せてしまった。私も君も「みんなわたし」という考え方が、多重人格者としての言葉なのか、それとも都会を生きる若者達への言葉なのか。おそらくそのどちらでもあって、その部分に惹かれてしまった。作品の好き嫌いに関わらず、同じ時代を生きる近い世代の作家さんには、この手の共感めいたものがあって面白い。次は何読むかな。

文庫版の解説を東浩紀さんが書いていた。自分語りが凄かった。喫茶店にコーヒー飲みに言ったら、無料サービスと称してキムチが出てきた、みたいな食い合わせの悪さが文庫版の食感。

Posted by Syun Osawa at 00:15