bemod

2007年03月21日

右翼と左翼

浅羽通明/2006年/幻冬舎/新書

右翼と左翼2ちゃんねるだけでなく、世間的にも流布していると思われる「ウヨっぽい」とか「サヨってる」といった表現の源流としての右翼と左翼について、僕はこれまで曖昧な理解のままでいた。この本を読む前の知識としては、フランス革命あたりで起こった右と左の考え方。右が急進的で、左が緩やか。これくらい。

右翼や左翼と呼ばれるようになる事の起こりとしてはそれで正しいのだが、その後の右翼と左翼の定義は時代とともに大きく様変わりしているらしい。日本では、左翼は「サヨク」と呼ばれるようになり、今では「融通の利かない人、堅苦しい理想を他人に強要する人」、右翼が「ウヨク」となって、「アイデンティティの揺らぎを国家で何とか接木しようとしている人」を指す言葉として用いられるようになった。それが90年代以降の「趣味」としての右翼や左翼であっても、イデオロギーを語った時点で「面倒くさい人」として扱われてしまうのが現在ということになるのかもしれない。

では、何故そんな面倒くさいものについて知識を深めたいかというと、右翼や左翼という考え方は、「セカイ系」ととても親和性が強いと感じているからだ。この本の著者もその点ついて明確に指摘していた。

自分個人の生きにくさを世の中全体がゆがんでいるせいにして、世の中が変われば幸せでおもしろい日々が私にも来ると信じる。自分自身の矮小さ脆弱さを、民族だの階級だの革命だのといった偉大な使命へ自分を委ねている自覚で乗り超えた気になる。「新世紀エヴァンゲリオン」のヒット以来、自分の危機と世界全体の危機とがシンクロしてゆく物語を「セカイ系」と呼びますが、「右翼」「左翼」に代表されるイデオロギーはもとより「セカイ系」だったのかもしれません。

ではセカイ系は右翼なのか? それとも左翼なのか? となると正直わからない。オタク的な生き方は右翼なのか? それとも左翼なのか? それもわからない。ただし、わからないものの、革新的な態度とそれに対する反動的な態度という二項対立では俯瞰できない状況が若者の思想の足腰を弱め、生きる意味を弱めていることは間違いないようだ。そして、少なくともオタク的な生き方は、第三の道をわずかながら示しているのだろう。だからこそ、それを意図的にやっている村上隆はアートの世界で支持されているのだと思うし。

Posted by Syun Osawa at 21:25