bemod

2007年09月05日

男鹿和雄展

2007年7月21日−9月30日/東京都現代美術館

男鹿和雄展「これでもか!」ってくらいに大量の男鹿さんの背景画を見ることができて感無量。どれもこれも緻密で、見せるべきポイントをしっかり抑えていて、それでいて抑揚も効いているし、主張しすぎない程度の情報量だけをのせながら、それぞれの作品の世界観をしっかりと浮かび上がらせている。

3階の展示フロアで男鹿さんが実際に絵を描いている映像が流れていた。誰もが使うような水彩画と数本の絵の具だけで誰もが描くことのできない絵を描いている。そして驚くのはそのスピードだ。頭に描いたイメージへ向かって一直線に作品を仕上げており、無駄な動きがまったくない。

素晴らしき職人芸にただただ圧倒されてしまった。昔の西洋の画家は工房で弟子たちと共同で絵を描いていたりするのだから、こうした職人的技法で絵が描かれている背景画の世界は最もシンプルな絵の仕事といえるかもしれない。

とはいえ、今回展示されていた絵の多くはアニメで使用された背景画である。つまり、本来は背景画だけでは完成している代物ではない。ここにキャラクターが重なり、カメラアクションが加わり、さらには音がのることで完成するアニメの一部のはずである。アニメは音楽と同様に時間の連続による鑑賞がなされるものであり、本来的な意味で言うと、時間性を伴わない絵の鑑賞方法とは異なるはずである。

だから、背景画だけを取り出してこれだけ大々的に絵画展のような装いで展示会が行われることには少し疑問がある。背景画を絵として鑑賞するというメタ的な意味で…というにしたって、親子連れが入場までに1時間30分も待っているような異常な事態ではメタも何もないはずだ。

例えば『妖獣都市』で使われた廃ビルの背景画について。

子どもには荒涼とした世界を描いたのだな…くらいに映ったかもしれない。しかし、あの絵の中央にぶら下がっていた鎖はヒロインの麻紀絵をつなぐものであり、麻紀絵がレイプされるシーンに使用された背景画である。作品の文脈から切り離された背景画は何を語りかけるのだろうか? 一方、『トトロ』の背景画はおそらくアニメの文脈から切り離されて鑑賞されてはいなかっただろう。

今回のような展示会が行われたことに関する裏読みは簡単だ。

東京都現代美術館は採算性の向上を迫られているため、ジブリやディズニーの名前を借りた展示会を多くやっているに過ぎない。今後はアニメやオタクの力を借りてジブリ以外の展示会が行われる可能性もないとはいえない。オタクなのでこうしたアニメ文化をトレースしたような展示会が大々的に行われることは嬉しいが、同時に現代美術に対する空しさも感じてしまう。

以下、率直な感想。

僕も背景画を自由自在に描けるようになりたい。近道はない。才能もない。でも、絶対に届かないと知りつつも、そんなことを知らないそぶりで描きたい。絵を描くということは素晴らしいことだということを感じさせてくれ、鑑賞する側の人間を描く側へ巻き込んでいくような展示会なんてそんなに多くない。

いやホント、良かった。

Posted by Syun Osawa at 23:37