bemod

2009年03月30日

東浩紀のゼロアカ道場 第五関門

18:30-22:00/Tokyo Culture Culture

ゼロアカ道場 第五関門村上隆いいなぁw ゼロアカ第4次関門で落ちた藤田さんが乱入したものの、場の空気をつかめずに静かに退場したところを、そうなったがゆえに面白いと言った村上氏。実は僕も同じ気持ちだった。

…てな傍流ネタはさておき本題へ。

このイベントの前半は、ゼロアカのホームページでも公開されているプレゼンの再演で、後半が審査員とゼロアカ生の口頭諮問を中心としたトークバトルだった。後半部分はニコ生放送でも流されており、その様子が会場の画面にコメント付でフィードバックされるという状況はなかなか面白かった。

ゼロアカ生のプレゼンとトークバトルを見た後、僕は投票用紙に「村上祐一」と書いた。当初推していた雑賀さんは、ニコニコ動画の「踊ってみた」タグについて「安全デビュー」という見当違いをやってしまっていて、ちょっと興味から外れてしまった。

その一方で、村上さんは、ニコニコ動画や2ちゃんねるから立ち上がる作家性みたいなものを拾い上げようとしているように感じられ、そこが妙に熱っぽくて惹かれるものがあったのだ。

結果的には東さんが村上さんを選び、審査員と客席は廣田さんを選んだ。第5関門の通過者は3人ということで、道場破りから勝ち上がったスーパーラルクこと坂上さんも選ばれた。おそらくほとんどの人にとってサプライズのない人選だったのではないだろうか。

本の企画はこれから決まっていくはずなので詳細は不明だが、選ばれた3人の中で評論を読んでみたいと思ったのは、村上さんのものだけだった。彼が言及しているものが僕の日常生活の中では欠かせないものなっているというのが一番大きいかもしれない。

ところで、上で安全デビューが見当違いと書いたのは、ニコニコ動画にしても2ちゃんねるにしても、またMADもそうだが、そこへ参加者する人たち(僕も含め)は、基本的に「面白いからやっている」に過ぎない。もう少し正確に言えば、「面白いからやり始めた」のだ。金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、駄目な自分を克服したいとか、文筆業で飯を食いたいといった立身出世のためのプロセスとして、そうしたものに参加しているわけではないことには留意する必要があると思う。というのも、ゼロアカ道場の参加者とはその点が大きく異なるからだ。

そしてゼロアカが話題になったのは、関門が進む中で、1万部デビューとは関係のないシンプルな面白さ(それこそニコ動の「踊ってみた」の踊り子レベルの面白さ)が前面に出てきたからこそ盛り上がったように僕には思える。よって、生態系の進化のごとき盛り上がりによって立ち上がってしまった批評家性を、その内側で書かれるであろう批評本が超えられるのかというとちょっと疑問なところもないわけではない。

そもそも、ゼロアカはかつての『浅ヤン』のように批評家を誕生させるシステムであり、そこで批評家として選ばれた人間が本を出版するというものだった。だとすると、ニコ動的な盛り上がりを牽引した藤田さんのザクティ革命こそが、ゼロアカというシステムの中で、最もその構造に対して批評性を持っていたとも考えることが出来るのではないだろうか。

今回のイベントで藤田さんが壇上に飛び出したとき、あの硬直した会場の雰囲気はガチを感じさせるには十分なドキドキ感があった。しかしその一方で、面白さだけを追い求めて集まってきた僕のような人間には、祭りの終わりを宣告されたように感じられ、少し寂しい瞬間でもあった。

祭りは終わったのだ。そして、さようならゼロアカ!w

Posted by Syun Osawa at 01:16