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2009年09月12日

「表現としてのマンガ」漫画家 さいとう・たかを

2009年8月30日/14:00−16:00/森下文化センター

「表現としてのマンガ」第2回 漫画家 さいとう・たかをさいとう・たかを氏と中野晴行氏のトークイベント。貸本マンガ時代からのエピソードやら、漫画制作のシステムについてなど、興味深い話がいろいろ聞くことができた。さいとう・たかを氏の話を聞く機会なんて、二度と無いかもしれないので、かなり貴重なイベントだったと思う。

特に漫画の制作システムの話は面白かった。

さいとう氏といえば、さいとうプロでの完全分業システムが有名で、『ゴルゴ13』などの雑誌連載の最終ページにも脚本、作画などスタッフ全員の名前がクレジットされている。この仕組みは昨今の大学のマンガ学科などでも、大いに参照しているはずである。さいとう氏は自分の役割をプロデューサー的なものだと位置づけており、大学でもそういうプロデューサー的な人材を含めて育成しようとしているわけで、そういう志向そのものは時代にマッチしたものだといえる。

ところが面白いことに、完全分業の最先端を走っているはずのさいとうプロでも、さいとう氏自身が漫画を描いているという。「目だけ描く漫画かもいるが、僕はちゃんと描いている」とし、ゴルゴなどの主要キャラクターをさいとう氏以外の人間が描くことは、どれだけ熟練の作画スタッフでも難しいと話されていた。しかも、脚本やコマ割も自分で手直しするそうな(時には自分で脚本を書くこともあるらしい)。さいとう氏自身が今も実制作の現場において、現場監督的なポジションで仕事をされていることは意外だった。それで月産200枚描いているのだから驚くほか無い(全盛期には700枚描いたとか)。

つまり、さいとう氏をもってしてもプロデューサー的な立場にはなり得ていないのである。完全分業を実施しようとしても、優秀なスタッフはどんどん抜けて個人事業主としての漫画家になってしまうというジレンマがある。中野氏も「大学などで教えていても、漫画プロデューサーになりたい人は意外と少なく、絵を描くのが好きで漫画家になりたいという人が圧倒的に多い」と述べられていることから、時代が要請しているものと漫画家側の思いに剥離があることを改めて感じさせられた。同人誌業界が今も盛況な理由がこのあたりの話からも理解できる。

そういう意味でもさいとう氏というのは特別な存在なのだろう。さいとう氏自身、自分の絵そのもにはそれほど強い思い入れはないそうで、映画のプロデューサー的な立場で漫画の仕事をしたいのだそうな。だから「もし今、僕が若ければ、携帯漫画でどうやって面白く見せられるかを考える」と話されており、この職業人的な貪欲さこそが今も漫画業界のトップランナーであり続けられる理由なんだなと思った。つまり、読者を楽しませる作品を提供したいという強い意思である。

ところで、ゴルゴの最終回が金庫に保管されているという有名な噂について、本人自ら否定されていた。そして、最終回のストーリーを知っているのは、さいとう氏とチーフの石川フミヤス氏だけらしい。

Posted by Syun Osawa at 00:31