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2009年10月28日

ヒエロニムス・ボス BOSCH

ヴァルター・ボージンク/訳:明瀬一裕/2007年/TASCHEN/A5

ヒエロニムス・ボス BOSCHBunkamuraザ・ミュージアムや森美術館美術館などのミュージアムショップを覗くと、ボスの絵に登場する悪魔のフィギュアが売られている。それがブリューゲルのフィギュアと一緒に売られているもんだから、この人たちは同系統の世界観を共有しているんだな…と思う人が結構いるのではないだろうか。僕もその一人だった。

ブリューゲルがボスの絵に影響を受けていたことは間違いなさそうだが、彼が農民の姿を多く描いたのに対し、ボスは宗教画を多く描いている。さらに、歩んだ人生も全然違うため、内在する思想もおそらく大きく異なっているだろう。にも関わらず、彼らの絵が今では同じように受容されているのは何だか不思議な気がする。

ボスはスペインのフェリペ2世から絵の依頼を受けるような人物で、工房を抱えるほどの絵画職人であった。そのため、残された絵についても、工房の弟子たちが描いた箇所がかなり含まれているらしい。また、彼の絵が受容されたのはキリスト教の宗教施設であり、彼自身、わりとベタな保守派のキリスト教徒だったようだ。様々なモンスターが登場する地獄の絵だけを見ると、そうした伝統的な価値観を持っていたとは思いにくいし、キリスト教徒の中でもカルト扱いを受けるような神秘主義に傾倒しているようにも思えるのだが、実際はそうではなかったのだ。

彼が死んだのは1517年であり、その後すぐにルターの宗教改革が起こっている。そのことをあわせて考えれば、当時の保守派というのはかなり閉塞感の強い、キツい世界を生きていたに違いない。実際に彼の絵の中には、人々の退廃した姿が描かれているし、教会の風紀の乱れを描いたものもある。つまり、彼の絵というのは、伝統的なキリスト教の価値観が大きく揺さぶられる中で、その状況をペシミスティックに見つめながら描かれたものなのであろう。

状況として面白いのは、ルターの宗教改革が大きな価値変換をもたらす時代の転機だったと考えたとき、その直前にボスの絵は描かれているということである。これは完全にイメージの世界なので、素人の僕には言葉にするのが難しい。図で示すと次のよう感じだ。

【図】時代の閉塞とキャラクターの拡散

日本のキャラクターが拡散したスーパーフラットな状況と、ボスのキャラクターをアナロジーで結んでみたい気持ちから上の図を示したわけだ。「価値観の転倒」は萌え絵的な記号の価値転換だし、「聖書の重視」は作品論に匹敵するかもしれない。あとは、キープレーヤーの交代劇で、これがないと新陳代謝は進まない(今のテレビ番組を見よ!)。そう考えると、今の閉塞した日本の状況にも新しい価値転換は起きるのか? という期待感も出てくるし、今の状況を横に横に拡散させながらペシミスティックに捉えている人は、実はボス的な想像力を持っている古い想像力の人だとも言うことができるのではないか。

まぁ…さすがに無理があるかw

Posted by Syun Osawa at 00:05