bemod

2009年12月01日

『漫画少年』が後のマンガ文化に与えたもの

2009年11月21日/14:00−16:00/文京区男女平等センター

『漫画少年』が後のマンガ文化に与えたもの藤子不二雄の自伝的マンガ『まんが道』の初期にも登場した『漫画少年』という雑誌のことが知りたくて、現代マンガ図書館長・内記稔夫氏の講演会へ。講演会のタイトルは、この講演会の内容をあまり正確には表していない。マンガ文化がどうしたといったメタ的な話じゃなくて、ひたすら『漫画少年』の読者投稿欄に名前が掲載された人のうち、後に漫画家になった人を紹介するという史実一本勝負の内容だった(これはこれで相当に濃かったがw)。

僕は『漫画少年』に関しては、藤子不二雄『まんが道』での情報しか知らないので、トキワ荘グループを生んだ局所的にカリスマ感を出している雑誌だとしか認識していなかった。実はそうではないらしい。トキワ荘グループのほかにも、劇画工房から辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、赤本漫画から桑田次郎、貸本漫画から梅図かずお、石川球太、漫画以外にも横尾忠則、筒井康隆、平井和正、小野耕世などなど、錚々たる面子が名前を連ねている。

こう書くと、入選した選ばれた者が後に漫画家になったと受け取られるかもしれないが、そう言いたいのではない。そもそも入選者として掲載されている人数が、膨大なのである。その中から漫画家になる人間がいても何ら不思議ではないという印象を僕は受けた。そして、それだけの人間が、戦後間もない頃に漫画を描いていたことになるわけだ。当時の人口から考えれば、今、コミケであれだけの人が同人誌を売るような下地は、この頃からすでにあったのだ。日本の漫画恐るべしw

他にも面白い話をたくさん聞くことができた。忘却録として書き連ねておくと、辰巳ヨシヒロ氏は当時劇画家と名乗っていて、クレジットのところを、映画っぽく脚本○○、演出○○などという風に書いていたらしい。でも本当はすべて本人だったわけだが、それを本当に分業してやり続けたのがさいとうたかを氏ということらしい。

さいとうたかを氏関連では、さいとう氏のアシスタントをやっている石川フミヤス氏もマンガ少年の投稿で入選していた一人なのだそうな。そんな凄い関係だったのか…。あと、当時の単行本は表紙と中身で描いている人が違うのだが、表紙絵を描いている人として頻繁に大城のぼるさんの名前が出てきたのはひっかかった。藤子不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』の扉絵を描いていることでも有名だが、こんなにたくさんの人の表紙を描いているとは知らなかった。

こういう楽しみができるのは、過去のものが残っているからだろう。

講演者の内田氏が「この名前は、実は漫画家の○○氏の本名でして〜」と嬉しそうに語る姿を見ながら、今のウェブ空間に浮かぶデジタルコンテンツでは、このような後追いが果たして可能なのだろうか? というようなことについて考えていた。

今、ネット上に存在しているデジタルコンテンツといわれるものは、数十年後に残っているのだろうか? 僕が90年代に楽しんでいたMODは幸運なことに scene.orgModArchive が存在しているおかげで、かなりのものが残されている可能性が高いが、それでも意図的に削除されたものや、何かの原因で消えてしまっているものは戻ってこない。僕が先日 taropeter 氏の楽曲を公開したのは、誰かがアップしなければそのまま消えてなくなってしまうと思ったからである(それだっていつまで続くかわからないが)。

漫画雑誌なら、物置の奥に放置されていて、それが数十年後に見つかるということもあるだろうが、ウェブ上に公開されたデジタルコンテンツのデータはサーバーが消えてしまえばそれまでなのである。たとえウェブ上にあったとしても、それはほとんど聴かれないかもしれない。しかし、そこにあれば誰かが聴く可能性がある。その出会いの可能性こそが希望でもあると僕は思うし、漫画少年の読者投稿欄をくまなく調べる内記氏の楽しみにもなっていると思うのだ。Wikipediaなどはそれを明確にやっていて、大変心強いのだが、クリエイターベースのデジタルコンテンツがそういう仕組みになっているかというと、どこのサイトもかなり怪しい。

昔からオンラインの曲なんてほとんど素人の曲で、ゴミばっかりと言われていたし、そうした見られ方はニコニコ動画になっても変わってないと思う。そう見れば別に消えたっていいのかもしれない。実際、僕自身も、昔はその言説についてそれなりに同意していた。しかし今は、そんなゴミであったとしても(もちろん、僕が公開しているアニメや漫画だってゴミの一つである)、そのゴミは時間を越えればゴミでない可能性も残されているのではないか。

ウェブ空間におけるデジタルコンテンツは、今も過渡期であり、またコミュニケーションのツールという側面が強くなりすぎて、作品そのものの力が弱まっている気がしてならない。だがそうであっても、scene.org のような形で残していくほうが、作品たちにとっても、そしてクリエイティブの未来のためにも幸福なんではないかと、ベタなことをこの講演会を聴いていて思ったのだった。

うーん、この文章、まとまりないなw

Posted by Syun Osawa at 01:31