bemod

2010年02月12日

完全なる証明

マーシャ・ガッセン/訳:青木薫/2009年/文藝春秋/四六判

完全なる証明ペレルマンという人のことはずっと気になっていて、NHKの特番も見たけれど、よくわからないままだった。

この本では、ペレルマンのエピソード以上に、ソ連におけるユダヤ人の問題と数学のエリート教室の話が面白かった。とにかくユダヤ人という人種は凄いのだ。ソ連の中でわずかに数パーセントしかいないにもかかわらず、何の対策も施さなければ、エリート校のほとんどユダヤ人になってしまうらしい。そのため、民族の人口割合に対して人を割り当てるというわけのわからない理屈でもって(これぞ社会主義的)、ユダヤ人のアカデミズムへの進入を制度的に阻んでいるのだ。

中でも幾何学者・ザルガラーのエピソードは悲しい。ユダヤ人は大学進学もままならず、大学院進学ともなるとほとんど可能性がない。ユダヤ人5人が大学院への進学を希望していたが、認められたのはザルガラー一人だけだったので、ザルガラーは大学院への進学をやめた。

ソ連には天才養成機関のようなものがあるらしく、ペレルマンはその一つであるルクシン・クラブという数学教室に通っていた。ソ連およびロシアでは、国際数学オリンピックで70個以上のメダルを獲得しているそうだが、そのうち40個以上をルクシン・クラブの出身者が獲得しているというのは驚きだった。日本でも宮本算数教室みたいなのがあるが、さすがにそこまでじゃないしなぁ。

で、肝心の「ペレルマンは何を証明したのか?」ということについて。これについては、当然のごとくわかるはずがない。そういう本ではないのでw ただ、ペレルマンがこの問題の解決に果たした役割が、どのようなものであったのかは少しだけわかった。

数学者の世界における最上位の知的エリートは、新しい地平を切り開き、かつて誰も問うたことのない問いを発する人たちだ。それより一段低いランクは、そのような問いに答える方法を考えつく数学者たちである。このランクに属するのは、いずれは第一のエリート集団に加わる人たちの、若き日々であることも多い。たとえば、博士号を取得してからまだ数年という時期に、自分の予想を作り出すに先だち、他人の予想を証明して定理にするようなタイプだ。そして三つ目のランクに属するのは、きわめて稀なタイプの数学者たちだ。彼らは証明への最後の一歩を踏むのである。一つの事にこだわり抜き、緻密で、忍耐づよく、他の人たちが夢に見て、選び抜いた道を、最後まで歩き通す。私たちの物語では、ポアンカレとサーストンは第一のランクに、ハミルトンは第二のランクに、そしてペレルマンは仕上げをする第三のランクに属するといえよう。

ペレルマンが一躍有名になったのは、クレイ研究所によって1億円の懸賞金がかけられた7大難問の一つ「ポアンカレ予想」を証明したからだ。しかし、それと同じくらいに多くの人の関心を抱かせたのは、彼の行動がとても奇妙に思えたからだろう。

彼は自らの証明を査読付きの学術誌ではなくネット上に公開した。そして、その証明が認められた後、多くの大学からの誘いをすべて断り、すべてのコミュニケーションを拒否した。人文系の物書きが、今の時代はコミュニケーションの時代で、その連鎖から逃れられないと書いたりしているが、ペレルマンはそういうゼロ年代的な要請とはまったく逆の方向に舵を切ったのだ。ペレルマンが世間との関係を立った理由。著者はそれを、出版社と作家の関係の比喩で簡潔に説明している。

出版社が作家を招いてこう言う。私はあなたの作品はどれも読んだことがありません。実を言えば、どの作品であれ、最後まで読んだことのある者は我が社には一人もいないのです。でも、あなたは天才だそうですから、契約書にサインしていただきたいと。

この手の悪い冗談をペレルマンは許さなかった。ゼロ年代の日本は、まさに「こういう状況が不可避であるから受け入れろ」とアジられていた時代でもあった。バトルロワイヤルの連環からは抜けられないのだから、肯定的に受け入れて乗り越えろというものだ。そういうコミュニケーションで何でも決定されてしまう事態を完全に拒否したペレルマンの態度は、僕にはとても興味深く映っている。

そしてそれは、彼が完全に拒否したがゆえに世間の話題になったということが、「別のコミュニケーションの回路を開いてしまっているじゃないか!」という突っ込みを受けてたとしても、そんな嘲笑を軽く一蹴するほどに強い態度だとも思った。

Posted by Syun Osawa at 01:54