bemod

2010年03月01日

鋼鉄都市

アイザック・アシモフ/訳:福島正実/1979年/早川書房/文庫

鋼鉄都市東浩紀『 クォンタム・ファミリーズ 』を読んだのをきっかけにして、僕の中に少しだけSFに対する愛が芽生えたので、前から読もうと思っていたSF小説を順に読んでいくことにした。と言っても、SF小説はほとんど読んだことがないので、名作と呼ばれているもののうち、中編・短編を読むだけだが(中村融編『20世紀SF』など)。

この小説が発表されたのは1953年。その当時に描かれた未来を、57年後に読むという状況は何とも不思議な感じだが、案外古さを感じなかった。その一番の要因は、作品の中で描かれている「ロボットが活躍する場が広がり、人間を脅かす」という状況が、今でもまだ今後来るべき未来社会として夢想されているからだろう。

少し前、なだいなだ氏が筑摩書房のPR氏『ちくま 2010年2月号』で、派遣労働の人間がロボットに置き換われていくというエッセイを書いていたが、これなどは、アシモフが描いた未来社会がすぐそこにまで迫っている状況を示しているのではないだろうか。

とすると、今後ロボット開発が進んでいけば、『鋼鉄都市』の人間とロボットのように、両者は激しく対立する存在となりうるのだろうか? 僕はそのことについては少し懐疑的である。というのも、この小説には「少子化問題」と「CGによる3D映像の普及」という二つの想像力が抜け落ちているからだ。

少子化による労働力不足は今後深刻になることが自明である。それを補うために、ロボットを積極的に使うことは、今後さらに多くなっていくだろう。さらに、お一人様の老後を癒すAIBOのような愛玩動物ロボットも触れるだろうし、今後下っていくであろう人口や経済の隙間を埋めるためにロボットは大きな役割を担うことは間違いない。また、3D映像はロボットの持つぎこちなさを視覚的に伝える装置としても機能しており、人々はCGを通してロボットの未来像を違和感なく受け入れ始めている。

なお、この小説はミステリーの要素を大胆に取り入れている。以前、桜坂洋氏が東浩紀氏と共同で作っていた「ギートステイト」の対談の中で、「未来を描いただけでは小説にならない。その未来で何かが起きて、そのことがストーリーになる。」というようなことを言っていたが、まさにそれを地で行っている感じだ。この小説に見られるハイブリッド型は、今後も伸びていくんだろうね(新潮社のPR誌『波 2010年2月号』で松田哲夫氏が、そのような小説を「総合小説」と読んでいた)。

Posted by Syun Osawa at 01:09