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2010年03月03日

メディア芸術祭シンポジウム「メディアとは? 芸術とは?」

2010年2月14日/13:30−15:00/国立新美術館

岡崎乾二郎、水越伸、森達也

これまで薄ぼんやりと濁されてきた「メディアアートとは何ぞや?」という問いに、美術家の岡崎氏が一つの定義を与えようと試みたシンポジウム。そのため、実作を通じた創造行為としてのアートについて語るというよりは、アートと人の間にあるメディアに焦点を当てた話が中心だった。

岡崎氏の話によると、メディアアートはそもそもジャンルが確定できないために、カテゴライズ(絵画部門、版画部門、彫刻部門というように)できないという。つまり何でもありの状態になっている。そうした状況を打開する一つの案として、メディア批判が含まれた作品こそがメディアアートではないか、と話されていた。

なるほど、たしかにそうかもしれない。アート作品が人へ伝わる流れは、

(1)実作業(メディウム)→(2)社会化(メディア)→(3)作品を見る

というようになっており、今は(2)の領域が拡大している。作者が(1)の作業だけで作品との関わりを終えてしまうと、(2)を操作する者によって作者の意に沿わないような変な意味づけをされたりしてしまう。しかし、これまでは作者は(1)のみに従事するものであると考えられており、そのため(2)に関与できなかった。そこで、(2)の二次過程を操作したいと考える作家が現れた。

コクトー、コルビジェ、エリオット、デュシャンなど二次過程そのものを創造行為にしたアーティストは、このことに自覚的な作家であったが、彼らの作品ですら、さらに社会化されるというループが起きているのが今日の状況である。特にネットの状況は過酷で、最初からデータとして作られたものにはオリジナルが存在しないし(絵画だったり、文学館にある自筆原稿だったり)、ぶっちゃけネット上で表現されているものはすべてメディアアートになってしまう。

そのため、メディアアートという枠組みでアートを括弧付けするのであれば、そうしたメディア状況に自覚的である必要があるし、メディア批判それ自体がメディアアートであると言えるのではないか。よって、「メディアによって如何にメディアを批判するか?」という問いを、作品内部に取り込んだものが「狭義」のメディアアートだろうということがシンポジウムの中では語られていた。

メディアアートを考えれば考えるほど、芸術家は芸術から遠くなり、アーキテクチャが芸術に近づいていってしまう。この流れは避けられないにしても、その一方で、作品の一回性というか、オリジナルへ意志を完全に捨て去ってしまうのは、それはそれで少し寂しい。この「オリジナルなきアート」の創造性の根拠として、シンポジウムの中では「制作の痕跡をいかにして残すか?」ということを話されていた。しょーもない例でその話を接木すれば、ジブリのメイキングDVDのようなものだったり、古くはジャクソン・ポロックのアクション・ペイントの映像だったりも、オリジナルの痕跡を残すものとして受け取ることができるかもしれない。

とはいえ、そこにオリジナルの根拠を求めてしまうと、今度はメイキング映像だけをパロディにする人間も現れるだろう。「『千と千尋の神隠し』はこうやってできました!」という制作過程(メイキング)について嘘の映像を作ってパロディにすることだって可能だし、またそうすることで、簡単にその痕跡させえも取り込まれてしまうわけだ。

さらに問題なこともある。

森達也氏が、「メディアと近接することで、アートの持っているわかりづらさが、情報化されメディアを通しで伝達される過程で縮減され、単純化される危険性がある」と指摘されていた。ドキュメンタリーの世界でもその流れは止められないらしく、ボイスオーバーの多用が目立つという。メディアの持つ「わかりやすさ」という特性と、アートの持つ「わかりづらさ」という特性がどう融合されていくのか。これも大きな課題の一つなのだろう。

とはいえ、アメリカのシリコンバレーで起こったIT革命は、芸術的なアーキテクチャと金儲けを同時に達成したわけだし、村上隆氏がゼロ年代前夜に展開したスーパーフラットも、一見相反するものをハイブリットに融合させて成功したのだ。加速度的に複雑化する社会の中で、アーティストがIT企業家のようなソリューションを起こす領域も同時に拡大していると考えれば、メディアアートは今後さらに期待値を高めていくだろう。そしてそのことは、メディア芸術祭の作品の応募者数、入場者数の増加が端的に物語っている。

…とまあ、このような取り止めのない話を書きつつ、こうした議論全体を通して僕が一番「ヤバい!」と思ったのは、昨今、東浩紀氏が『思想地図』などのイベントで展開している議論と骨子がほとんど一緒だったという点だ。みんな同じようなところに問題意識を持ち、同じように考えている。知の分散投資をしたい僕にとって、この相関係数の高まりは、なかなか深刻な問題である。

Posted by Syun Osawa at 00:36