bemod

2010年04月15日

大観と栖鳳展 ―東西の日本画―

2010年2月6日−3月28日/山種美術館

大観と栖鳳展 ―東西の日本画―googleマップを信じて山種美術館へ行ったら、全然見つからなくて、一度は挫折。別日に公式サイトを見たら、移転しているらしく、実際には渋谷の近くにあった。気づかないうちにgoogleマップに全幅の信頼を置いていた自分の甘さを反省。wikiもそうだけど、そこそこ正しいことが書かれていることに慣れると、そこに警戒心を持ち続けることが難しくなる。こういう問題はこれからどんどん起きるんだろうなぁ。

で、展覧会の中身の話。

このタイトルなら横山大観と竹内栖鳳の絵がいっぱい見れると思うやん! たしかに数は少なくはなかったが、多くもなかった。特に栖鳳の絵が好きなので、動物の絵はかなり楽しみにしていたのだが、これはほとんどなかった。まぁ、近くに東京国立近代美術館があるんだから、そっちに行けば国宝級の絵がぞろぞろ見れるわけだから、別にいいんだけど…。

ただ、大観と栖鳳の弟子達の絵から、東京と京都の二つの派閥をちょっとだけ俯瞰できたのはよかった。川合玉堂《雲海》なんかは味があって好きな感じ。あと、ぼんやりとした主線で動物を描く山口華陽の絵もわりと好き。この人が京都派の人だとは知らなかったなぁ。

他にも学ぶところが結構あって…というか、朦朧体という表現は、当時の画壇が彼らの絵を揶揄したときに使われた言葉だとも知らなかったわけで、僕の場合、学ぶところだらけである。明治の頃の日本は、西洋画よりも日本画のほうが圧倒的に強かった。僕はその頃の(つまり近代の)日本画が持っていた権威とそれを打ち破る想像力がどのようにせめぎあっていたのかはとても興味がある。また、日本画が西洋で強く意識され、日本の美術が西洋のコンテクストに組み込まれ、再発見されていく「日本」みたいなものについても、美術が好きなら勉強する必要があるんだろうな、きっと。

その手のコンテクスト話は本で読むとして、単純に絵を見た感想としては、やっぱり僕は栖鳳の絵が好きなんだと実感。何といえばよいだろうか、絵に描かれた対象の「存在感」と言えばいいのか、それがとにかく凄い。展示されていた《蛙と蜻蛉》という絵もカエルを描くために、部屋にカエルを放ったらしいし、物自体へまっすぐに接近し、そこで格闘しているところに、強さを感じるのだ。

常設展のほうでは、上村松園《牡丹雪》がかなり大胆なカット割り印象に残った。左隅にバストアップで小さく人物を手法は、後のアニメでも用いられるような手法だ(なかむらたかし氏とか)。この手のカメラのフレームアップっぽい手法が、日本画の世界では早い段階(カメラがない時代)から大胆に導入されていたことはとても面白いと思う。

Posted by Syun Osawa at 00:54