bemod

2010年08月01日

語りかける風景展

2010年5月18日−7月11日/bunkamura ザ・ミュージアム

語りかける風景チケットショップで安かったので思わず買って行ったんだけど、知らない画家が多かった。まだまだ勉強不足だぜ…って思いを抱きつつ、Bunkamura ザ・ミュージアム特有の微妙な企画ものに乗っかってみることに。

そもそも西洋絵画における風景というのは、絵画の主題となる物語の背景(世界観を表すためのもの)であり、その多くが聖書の物語に由来している。その背景は聖書に出てくる物語の時代を想像して描かれた風景かもしれないし、その絵を描いている自分の周辺の風景かもしれない。

その風景が、聖書の中の物語とは違った形で受容されるようになる。いわゆる、自然主義的な感性で描かれる風景は、「いま目の前に映っているもの」というありのままの風景である。この風景も最初は非常に写実的に描かれていた。当時、それを見た人には説得力のある絵だったと想像出来る。

ただ、そこに写真というテクノロジーが加わったことで、写実的にありのままの風景を描くことの意義が弱まってしまい、風景画は様々なロジックを用いてその姿を大きく変化させていくことになってしまう。個々の木々がデフォルメされたり、光を描くことを試みたりで、単純に目の前に映っているものというよりも、その前に映し出しているイメージの核心部分に触れるような描かれ方が流行し、抽象度が増してしまったのだ。

こういう風景画の変遷は、風景画以外の美術とも関連しており、19世紀後半の抽象画の隆盛に即した形で風景画の方向性も様々に展開することになる。これはたしかにまっとうな流れだ。しかし、それでも僕がこの企画展を見ながら抱いていた疑問は、「風景画は何を語りかけるために描かれるのか?」ということだった。

今、目の前に映っているものをありのままに描き出すこととをベタにやるなら、写真にはかなわない。だからと言って、イメージの世界に没入してしまうと、そこに描かれる風景が語りかけるものは、本来の風景が素朴に語りかけているメッセージを歪曲させてしまう可能性がある。よって、近年描かれる風景画の困難さは、わざわざ風景を絵にして、それによって語りかけなければならない風景画なんてものが本当にあるのかという困難さであって、その問題はこの企画展では一切解決されていない。

だから、「語りかける風景とは何か?」というシンプルな問いが、僕には最後までわからなかったのである。

Posted by Syun Osawa at 15:28