bemod

2010年08月14日

ゴダールシンポジウム vol.2

2010年7月17日/17:30−21:30/早稲田大学 小野梓記念講堂

ゴダールシンポジウム vol.2菊地成孔氏と佐々木敦氏によるトークイベント。ジャン=リュック・ゴダールについて語るイベントなのに、『ゴダールの探偵』しか見たことがない僕が、それでも行ってみようかなと思ったのは、サブタイトルが「10年代に来るべき音楽のためのゴダールレッスン」となっていたからだ。

この話のオチは一発で説明がつくんだけど、ひとまずこのイベントの雰囲気について書いておくと、ともかく人が多い。ゴダールファンなのか、菊池ファンなのか、佐々木ファンなのかはわからないけれど、みんななんかシュッとした感じだった(キモいの僕くらいw)。

それはともかく、ゴダールに関する部分はスルーするとして(何せ見てないので…)、菊地氏のプレゼンで取り上げられていた映像と音の同期の話は面白かった。例えば、ファッションショーのモデル達のウォーキングは音楽のリズムと完全に一致しているわけではないが、人間はその微妙なズレを上手く補正して、リズムと同期して歩いているように感じてしまうらしい。海外映画の日本語吹き替えなども同様で、日本語と英語がリップシンクでピタリと合うはずもないのに、観客はそれを違和感なく脳で調整してしまう。

そういう補正機能があるために、映画に合わせる映画音楽は、実はどんな音楽であってもだいたい合ってしまうという話だった。たしかにそうかも,『ヱヴァ』のクライマックスシーンであえて「今日の日はさようなら」を持ってくるという演出も、それはそれで効果として受け止められるのは、観客がそれを上手く調整しているからなのだろう。

僕が一番楽しみにしていた「10年代に来るべき音楽のためのゴダールレッスン」に関して、「来るべき」のところが掘り下げて展開されることはなかったが、二人の話の中で「圧縮」という言葉が出てきて、そこにちょっと引っかかった。誰もが音楽を作ってネット上で公開されるようになった時代、この膨大な音楽をすべて網羅的に聴くことは不可能である。その膨大な音楽(しかも、この瞬間も加速度的に増大し続けている!)をどうやっつけるかという方法論として、何となく「圧縮」というやっつけ方は面白いなと思ったのだ。根拠ゼロだけどw

その圧縮の典型的な例として、菊地氏がゴダールの新作の予告編(4分バージョン)を紹介していた。冒頭に一発でオチがつくと書いたのは、以下の映像のことである。とりあえず、これを見ておけば何となく、わかった気になれますw

最後に、冗談として「80年代は坂本龍一、90年代は小西康陽、00年代は菊地成孔」って言ってたけど、これも映画音楽の話と同様、どんな人が入ってしまう便利な器だ。例えば、「80年代は安全地帯、90年代はB'z、00年代はラルク・アン・シエル」でも、「80年代はプリンセス・プリンセス、90年代は大黒摩季、00年代はチャットモンチー」でも、「80年代はNew Order、90年代はOasis、00年代はThe Killers」でも何でもいいわけだ。だからこそ音楽の抽象度は限りなく高くて、その捉え難さが僕は好きだったりもするのだが。

Posted by Syun Osawa at 00:44