bemod

2004年07月18日

サブカル「真」論 2 メモ 1

ローテクの新人類、中森明夫、宮崎哲弥、宮台真司の三人で行われた、最も「今」っぽいトークショー。キャパ300人くらいの小ホールでしたが満員でした。結構楽しい内容でしたので、少しだけ内容を。メモの羅列ですので雰囲気だけお楽しみ頂ければと思います。詳細については後にウェイツから発行されるであろう本で読んでください。

(サブカルの問題点)
今のサブカルはタコツボ化しており、80年代に何となくあったはずの共通言語を持ちえていない。

【宮台】
「豊かだけどどつまらない」現実について。
80年的なものとしてハルマゲドン待望論があり、その中にオウムもあった。
豊かなことだけで満足できないのは、僕達が大人になりきれていない(もしくはロリコンやマザコン)ということなのか? サブカルの再構築を模索することは傷をなめあうだけのことなのかどうか? 一般論として通るのか?

小林よしのりは「サブカルチャーと言いながら、すでにメインが無い」と言い、サブカルは横並びの戯れでしかない現実がある。では何を復権するのか?

【中森】
『朝日ジャーナル』でフリーライターとして活動していた頃。紀伊國屋新宿店のサブカル棚の名称は「スーパーエッセイ」だった。
当時、新人類と言われていた事について。当時はフリーで食っていければいいやという程度の気持ち、そして82年に友人とコミケットに行きショックを受ける。差別的な意味で「オタク」と名付けた。ロリコン雑誌『ブリッコ』で大塚英志によって中森の連載が打ち切られたことについて。(こちらは大塚の『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』講談社現代新書に詳しい)

【宮崎】
僕がサブカルを語っていいのかどうかは疑問。中森さんは僕が学生時代のスターだった。オウムのような非日常性(超越性)に対する憧れというよりは、ヘーゲル現象学と松本伊代が同列に並べられる暴力性に憧れた。何でも並列化。
「80年代に何となくあったはずの共通言語」とは、その当時まだ残っていた差別意識や排他性によって生まれた共同性のことか? それがサブカルか?

【宮台】
80年代半ばまでは確かにあった。後半からは消えていったように思う。厳しいチェックディスコ(よーするにダサいヤツは入れないということですな)として名を馳せ、芸能人や野球選手御用達の派手なディスコとして知られていた「トゥーリア」で起きた照明落下事件。この事件で亡くなったのは群馬や埼玉の人だった。(つまり、排他性のシンボルとして機能していたはずのディスコの排他性が喪失してしまった)この事件を契機に80年代的サブカルに引導を渡したいと思うようになった。

【中森】
「先端を行く」という姿勢、態度がジャンルの一つになってしまった。昔は前衛という言葉があったが、すでに「後衛」なるもは存在せず、歴史的事実としても多くの前衛者から転向が相次ぐ。(共感できます、はい。)

つづく

Posted by Syun Osawa at 14:07