bemod

2004年07月24日

サブカル「真」論 2 メモ 4

前回のつづき

【中森】
「80年代はスカだった」という言葉が力を持つようになってしまったのは、たんにバブルがはじけたから。野球の合併の話。野球というスポーツはメインなのか、それともサブカルなのか? メインならば、なぜ公的資金を入れなかったのか?

(このあたりから話が散漫になってきてメモも脈絡がないなぁ…)

【宮崎】
今はインターネットで(プチ表現者になることによって)うまくガス抜きできてるんじゃないかな。だから静かに実現できてるかもしれない。

【宮台】
80年代は豊かだった。実際にどれくらいお金があるかというよりは、気分の問題が大きい。

【中森】
今の若者について。いま学校で生徒に宿題で文章を書かせると、かならずインターネットでキーワード検索をして、切り張りする。たとえば「地球と私」とすれば、20人中19人は「宇宙船地球号」を書いてくる。間違って1人が「地球船宇宙号」を書いてくる。小説は終った。綿矢、金原の話。早熟というが晩熟でしょ。あの歳でぜんぜん本を読んでない。

【宮台】
乖離について。僕は何度も「転向」を繰り返している。「ラフ」が広がっている。メンタルヘルス系。地面があるからたわむれることができる。しかし、今はその地面を確認できない。自分のポジショニングが不明になっている。ゲーム盤(地面のことですかね)がないと楽しめない。(よーするに、ウソでもいいから激しくイデオロギーがぶつかり合うような社会を構築したいということか)

【宮崎】
そこまでして、ゲーム盤を作る動機って何?

【宮台】
ネガティブを取り除き続けていくことに意味があるのか? むしろカオスを残すべき。(戦時中、多くの人々は平和を求めたし、戦後もなお不便さなどのネガティブ要素を取り除き続けてきたが、その結果が「つまらない社会」をもたらしているということでしょうかね? このあたりニヒリズム全開です。ちょっとヒキます)

【中森】
2ちゃんねるや新宿のロフトプラスワン(FLASH★BOMBも開催された歌舞伎町のライブハウス)も、出てきた当初は刺激的だったが、たちまち退屈な場所になってしまった。今は待っている時期かもしれない。待望論。誰かの登場を待っている時期。(80年代の人の発想ですなぁw)

【宮台】
(刺激を)作り出してもすぐに飽きてしまう。だからまた刺激を作る。このことはもはやルーティンにならざるを得ない。僕は「あえて」今、カオスを作り出したい。アジア主義や徴兵制を言っているのもそのため。(そんなことのために徴兵制にされるのも嫌ですが…)あえて生まれるカオス。例え虚構であったとしても、僕は軋轢を起こしたい。だから今は政府関係者と一緒にいろいろやっている。政治的に動くことで、ゲーム盤を作っている。(かなりキてますw)

【宮崎】
一般人の目線で見ると、サブカルが衰退しているというのは不思議に思うんじゃないか? アニメは国家事業になり、どちらかというと盛り上がっているようにもとれる。

【中森】
サブカルが産業化の枠の中に取り込まれてしまい、もはや「抵抗」ではない。(つまり、サブカルチャーじゃないって事ですね。その通りだと思います。)

【宮崎】
宮台さんが言っているような「コアな層」は本当にたくさんいるのだろうか?(このあたりの宮崎の質問は僕は「いいな」と思ったんですが、アッサリ流されてしまいました。)

【宮台】
カオスや混乱に強制的に巻き込まれたい。(もはや漫画の世界です。「めぞん一刻」「ラブひな」レベルの欲望を声を大にしていっている気もします)

【中森】
待望論の続き。いま窪塚はサブカル。彼は9階から飛び降りて死ななかった。彼がメディアに復活してくれば、それは間違いなくサブカルだろう。

(窪塚待望論みたいなところで時間がきてしまい、シンポジウムは終了。わかったようなわからないような話が続いておりましたが、なかなか面白いイベントでした。)

おわり。

Posted by Syun Osawa at 01:25