bemod

2004年07月21日

サブカル「真」論 2 メモ 3

前回のつづき

【中森】
宮台真司は存在自体がサブカル。「終わりなき日常を生きろ」でCDデビューさせたい。そうすればサブカルの極点(笑)

【宮崎】
宮台さんが朝生(テレビ朝日『朝まで生テレビ』)に出てきたときは、サブカルだなぁと思ったよなぁ。
宮台さんが朝生で西部邁に席を立たせたシーンはある意味で極点。(ちなみに、宮崎哲弥は西部邁に見出されて評論家になり、『宝島30』で書いていたわけです。この「どっちでもない」振る舞いが朝生の司会に向いてる最大の理由かもしれませんね)

【宮台】
僕の最初のテレビ出演はNHK教育。少女漫画研究家としてだった。その後、ブルセラ学者として有名になったが、それはメディアに登場する方法を模索してのこと。(このあたり、本人は自覚的にイロモノをやっていたという風に話しているが、他の二人はそういう無自覚な部分も含めてイロモノと捉えているようだ)しかし、90年代半ばに変わってしまった。サブカルとしての立場をとることに意味を見出せなくなった。

エヴァという作品は、オウム後に登場。しかしながら、80年代サブカルの逆ではなく、否定的継承としてあった(ちなみに『エヴァンゲリオン』の監督である庵野秀明も1960年生まれ。彼らと同じ世代。竹熊健太郎も1960年)。それが逆転して、今はただの「ベタ」が横行している。(例えば、日本語ラップなんかで、家族や友達を歌ったりとか。気志團もそうかも…)

【中森】
朝まで生テレビの話。姜尚中(カン・サンジュン)の声はガクトの声に似ている。あの時間帯はいろんな人が見ていて、水商売のお姉ちゃんなんかは内容うんぬんじゃなくて彼のサウンドに癒されてる。ところで、東浩紀なんかは朝生に出ないんだろうか? 出ればいいのに。

【宮崎】
彼は出ないんじゃないかなぁ。彼は「特定領域の逆切れタイプ」だから。

【不明(たぶん宮崎)】
世界と個人の自意識を繋ぐところに「サブカル」の存在がある。文化左翼とよばれる人たちが作り出してきた傾向がある。(このへんは思想うんぬんになるとわからないけど、よーするに反逆分子、抵抗分子としての立場がサブカルには含まれているのでしょう。大塚英志も戦争に動員されるより、「私のお兄ちゃん」に動員されている方がいいと言っていたし…)

【宮台】
「すべてが虚構」なんてもっともらしいことを言うヤツがいるが、そんなものは最初からわかっていること。近代を構築しているもの。

僕は設計主義。自分が弱いとうことがわかっているから、弱い自分を管理し、それによって成立している。乖離的なパーソナリティは社会適応の手段。転向を繰り返すのもそう。今僕がアジア主義や天皇主義を言っているのは、社会が変わらなければいけないという思い。(このあたりは賛否両論あるでしょう。でも少なくとも彼が若者の未来を真剣に考えていることだけは間違いないです。いい悪いは別にして。形骸化した倫理観しか述べず、結局自分が良ければいいという本音を懐に隠し持つ団塊の世代(右翼・左翼両方ね)の発言よりは耳を傾けたいという気持ちにさせます)

つづく

Posted by Syun Osawa at 23:03