bemod

2004年10月31日

フリッカー式 −鏡公彦にうってつけの殺人

フリッカー式佐藤友哉著『フリッカー式 −鏡公彦にうってつけの殺人』を読了。『クリスマス・テロル』で懲りているんだから読まなければいいんだけれど、こちらの方が面白いというネット上のレビューや、メフィスト賞でも話題になったということでつい読んでしまった。途中、何度か止めかけたが後半は僕のようなミーハーな野郎でも楽しめる範囲で引っ張っていってくれた。

ストーリー、物語の構成、キャラクターは嫌いじゃない。むしろ好きな方かもしれない。ただ、文章の端々に挟まれる「ツッコミ」と「比喩」が僕の読書意欲をことごとく減退させた。服だったら「ヒステリックグラマー」とか「エイプ」、音楽だったら「ミッシェル(・ガン・エレファント)」「ギターウルフ」「プリスクール」、「キングクリムゾン」に「クラフトワーク」。何なんだろう? 比喩じゃないのかな。自分はこういうあたりを知ってますよ、ってことなんでしょうかね。でも薄いですよね。とっても。ここで思い出した。

大塚英志は「世界が、もし、『舞城王太郎』な村だったら。」で舞城王太郎が文中で用いる固有名について、以下のように書いている。

「映画に関する固有名詞の言及は多少、詳しいが、TSUTAYAの棚のオススメを借りていけばほぼ理解可能なもので、おたく的な文脈を構成していない。同様に引用される小説群はジュンク堂池袋でなくて、ブックオフの100円コーナーというニュアンスだ。」

ちなみに佐藤友哉の書く音楽やファッションの固有名詞も、TSUTAYAに並んでいる程度の洋楽の知識(しかもPOP付きのヤツ)と『ホットドッグ・プレス』(休刊したけど…)で事足りる程度のものでしかない。にも関わらず、佐藤友哉については絶賛するんだな。不思議。結局人間って、生理的な好き、嫌い以外の判断材料なんてものは、そもそも持ち合わせていない気がする。

Posted by Syun Osawa at 17:16