bemod

2004年11月10日

『おたく』の精神史 一九八〇年代論

『おたく』の精神史大塚英志著『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』を読了。僕は80年代の人ではないので、ほとんどの話がふーんってのは仕方がない。ちなみに大塚はこの本を「正史ではない」と言っている。でも、中森明夫は『 サブカル「真」論2 』というイベントで「正史という噂もありますけどね」と言っていたから、それなりの空気はあったんだろうなぁ。ただし「徳間・角川編」として。僕はそれを社会の教科書でも読むように読んだ。

歴史的な背景とかは横に置く。わからないから。大塚は本書の中でよくロリコンという言葉を口にするけれど、僕はその嫌悪感をどうしてもぬぐえないんだなぁ。知的なロリコン変態野郎という風に映ってしまう。でも不思議なことに、彼が編集長を務めたロリコン雑誌『漫画ブリッコ』は半分以上が女性だったという記述がある。編集部にも女子高生が溢れていたと。そうなのかもしれない。彼の「ロリコン」のイメージは僕とは違うのかもしれない。

ここで考え方を修正。彼はビルドゥングス・ロマンの不成立の枠組みで梶原を語ったが、その視線は普通の男性(異論があるだろうけれど)の中にはないと思う。彼の宮崎勤に対する眼差し、UWFへの言及の仕方、手塚治虫への愛、梶原一騎の捉え方。どれにも「男」っぽさを感じない。「男」っぽさって何? って言われたら上手に答えられないけれど、フェミニストに受け入れられる彼の言動や、徹底的に生活に根ざした現実主義な考え方など、僕は彼を「おばちゃん」だと思うことにした。ヒステリックで結構根に持つ太ったおばちゃん。そうすれば、僕が大塚英志に動員されない理由が理解できる。

根拠のない大きな物語へ無批判に動員される「ワクワク」感とか、論理的に破綻していることを深い考え無しにやってしまう感覚とか、僕にはある。石原都知事の考え方に賛同していないくせに、愛着が湧いたりカッコイイなぁと思ったりもする。それは「おたく」か「おたくでないか」というのとは関係ない気がする。

Posted by Syun Osawa at 20:59