bemod

2005年02月25日

第3回インディーズアニメフェスタ その3

第3回 インディーズアニメフェスタ前回のつづき

【感じたこと】

今回の上映会で一番心に残ったのは宮田眞規氏の『14歳』という作品。若さの特権をフルに生かしてひたすら「疾走感」を追っている。そしてスタジオ4℃のフォロワー的な陰影の強調されたセル絵とSF的ディティールが印象的で、動かしたい要素が散りばめられた熱い作品に感じられた。悶々とした内面を爆発させたい欲求が突っ切るイメージとして表現されていて、まさに「青春」って感じ。

もちろんそれらの熱気や青臭さは絵だけで表現されていたわけではない。この作品ではハイロウズの曲が観客の感情移入に大変大きな役割を果たしている。14歳をイメージした青い映像とヒロトの声が合わないわけがない。ここからわかるのは、音楽がヘボければ作品はダメになるし、音楽がよければアニメがヘタってても見れてしまうということ。そして両方が上手く相乗効果を発揮したとき、MTV系はストーリー物にはない力を持つ。

MTV系は個人作家による自主製作アニメにおいて、最も伸びる可能性のある分野だと思う。実際、NHKの「みんなのうた」では個人のアニメ作家が活躍している(ただ媒体がNHKということもあり、インディーズの熱狂が感じられないのは泣き所でもあるが)。ただ僕の嗜好としては、白井裕美子氏の『ひまわりの種』のような問題提起のある作品がたくさん出てくれると嬉しい。物語の再構築は批評家の嘆きなど無視して、ひたむきにやるべき価値のあることだと思うし。

さらにこれは毎度思うことだが、3Dの作品はプロとアマチュアの差を映像のクオリティだけで判断するのは難しくなっている。どうやらある程度の期間、学校で基礎を学べばそれなりの作品が作れてしまうことは間違いないらしいし、セル的な融和も昨年の『アップルシード』で極まった感じがある。ただしそれは、機械のレベルが上がっただけに過ぎない。

音楽の世界でサンプラーが安価で手に入るようになったときによく言われた言葉を自主製作アニメにも当てはめるならば、「決して作家のレベルが上がったわけではない」のだ。なぜなら商業アニメ業界のアニメーターの空洞化や老齢化が叫ばれる中で、アマチュアだけがレベルを上げているとは考えられないからだ。

アニメ業界の閉塞という固定されたイメージは、十年以上前から変わるところがない。そこへロマノフ比嘉氏や新海誠氏のような一人で作るタイプ(昔の漫画家のようなタイプ)のインディーズアニメ作家が登場し、一部にはそうした閉塞したイメージを突破する糸口になるかもしれないという話がまことしやかに流れた。

だがそうした個人作家も、商業ベースに乗れば「まな板の鯉」状態で、これまでアニメ制作会社を苦しめてきた「メディア>代理店>制作会社」という構造を同じように踏襲する可能性があると感じている。もしも業界再編の機運が代理店主体で行なわれたならば、製作者の不遇はこれまでのように続くことになると思う。このあたりは勝手な妄想であり、根拠もないのでもう少し長い目で見つめていきたい。

Posted by Syun Osawa at 19:26