bemod

2005年03月10日

宮崎駿の世界

斉藤環、上野俊哉ほか/竹書房/書籍

宮崎駿の世界もっとも読まなくていい部類の本。特に宮崎駿ファンにとっては必要のない本かも。心から面白いと思えたのは、元スタジオジブリスタッフによる座談会と、押井守と上野俊哉の対談(ただし押井の発言のみ)だけ。

みんな宗教、社会、性、オタク、少女なんかを持ち出して、宮崎駿を自分のフィールドに引き入れて語るんだけどね。そのわかったようなわからんような話が誰に向かって投げかけられているのか、僕には皆目検討がつかなかった。少なくとも宮崎アニメを楽しんでるアニメファンでないことは間違いない。ファンを公言する石井克人や山本直樹のひれ伏した文章は少なくともそちらの方向を向いていたようだけど。それでもやっぱり「ふーん(という感想)」ばかりが増殖する。そして、精神科医だろうが批評家だろうが、宮崎駿を解明しようとする輩を見ると反射的にカッとなる。そこだけはもう自動反応らしいw

そもそも僕の中の宮崎駿ってのは、「アニメーション」を抜いて語ってはいけない存在になっている。さらに宮崎駿自身のキャラも強く、長島茂雄と同じ匂いがある。例えばアニメーターの座談会なんかでは、必ず宮崎駿自身のキャラクターの話が中心になり、そこから作品の話になり、アニメーターとしての技術の話になる。それは彼がアニメーターとしてトップクラスの技術をもちながら、なおかつ監督になったからで、プレイヤーとしての憧れが常にある。そこに論理性や批評性があるかどうかは知らないけど(たぶんない)、彼のダイナミックな有り様に僕などはただただひれ伏してしまうのだ。

そういうファン意識もあって、宮崎駿を「少女」をキーワードで語る多くの批評は虚しいんだよな。特に宮崎駿の人間像から遠く離れたところで展開される評論は特に。そういうのだったら、彼の思想の変遷から語った紙屋研究所の「 『風の谷のナウシカ』を批判する 」なんかの方がよっぽど面白いと思う。宮崎駿の問題に肉薄してる感じがするから。

ただ、こういうサイトも含めて、ギターを弾かないヤツがギター語っちゃってるような説得力のなさがどうしてもついてまわる。その辺りの印象は僕の頭の悪さが原因だって事は十分承知しているけれど、例えば同書の中で、上野俊哉が大学教授の分際でこんなことを言っている。

宮崎駿に次はどうせなら歴史家カルロ・ギンズブルグのネタでアニメを作ってもらいたい。ベナンダンディの魔女話でも、「チーズとうじ虫」の異端審問ネタでもいい。いっそかるろの母ナタリアのリアリズも小説に魔法や魔女、サバトやファシズムをからませてもいい。ハリウッドばりのグローバルな「市場商品」にはなりにくいかもしれないけれど、「戦中」の処し方としては、断然「あり」だと思うのだ。

僕などは自動反応でムカッ! ときてしまう。批評家が無自覚にこういうことを語るのがどうにも好かん。だったら自分で作るべき。恥かいてでも。そうすることで、もう一歩踏み込んだ批評だってできると思う。テレビに出る料理評論家が料理を作ったことがないとしたら、あなたはその人の言葉をどのように聞きますか? 僕にはどうしてもTVチャンピオンの言葉としか聞けません。

ここでふと、古館伊知郎が局アナ時代に「実況をしている時にプロレスラーが次に出す技を先んじて言う事があって、その通りの展開になると気持ちいいんです」と言ってたのを思い出した。彼はもちろんプロレスラーではない。だけど、プロレスにとっての実況は観客(プロレスファン)にとって大きな役割を担っているので、料理評論家の話はちょっと保留(でもクラプトンのギターを聴いて、自分の手がギターに伸びないヤツの音楽論なんて全然聞きたくないなぁ)。それはさておき、少なくとも同書のような宮崎アニメ批評はアニメファンにとって大きな意味も持っていない。今のところは。

究極のところ、文学と文芸批評は同じ文章で行なわれているから、『存在論的、郵便的』の東浩紀が言うところの「その言葉は誰に届いているのか?」という意味で、同じ読者を巻き込んでの相互の影響も可能だと思うけど、アニメの批評なんてものは「評論を読むのが好きでアニメにちょっと関心のある人」にしか影響を与えていない。これはマンガ論も同様だ。それだけならいいんだけど、問題なのは、そこで語られることがアニメ文化の大枠を勝手に形作っていく事である。これは「平等に届いていない」という意味で実に不公平だと思う。暴論を言い切ってしまうと、マンガの批評は当然マンガでなされるべきだし、アニメの批評はアニメでなされるべきだと思う。そういう意味で伊藤剛には期待していたんだけど、今だ本は出ず。しかも結構高尚な語りばかりしててちょっと微妙だったり…。はは。この文章、すべて支離滅裂。かなり電波な意見ですな。賛同は得られません;

そんなわけで、僕にとっては、制作の苦しみや喜びを知っている人の視点から語られるほうが気持ちよく、ビシバシ影響を受けてしまう。例えば本書ならジブリのアニメーターによる座談会だったり、押井の皮肉だったりするわけだ。ちなみに「アニメーション」というキーワードだけで見るならば『 アニメーション宝箱 』の五味さんの方がまっとうに語りえていると思う。

Posted by Syun Osawa at 22:46