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2005年05月19日

津軽三味線物語 始祖仁太坊

大條和雄/産経新聞社

津軽三味線物語 始祖仁太坊東京アニメフェアで映画『 NITABOH 』を見て以来、津軽三味線の発祥の由来がどうにも気になって、夜も眠れなくなったために仕方なく通販で買った本。『みんよう文化』という雑誌の増刊号らしい。

いきなりだけど「派手」という言葉について。この言葉は三味線からきてるそうな。三味線には本手組という王道スタイルがあって、それを破る手を柳川検校という人が考案した。それが「破手」と呼ばれ「派手」となったそうな。派手という言葉は今や大阪のおばちゃんのイメージとダブるんだけど、言葉本来の意味はもっとカッチョよく使われるべきなんですね。

この本を読んで面白いと感じた部分が二つ。

一つは、三味線などの民族音楽というのは、もともとは目の不自由な人など健常者と同じ労働が難しい人が、生きていくための術としてやっていたらしいこと(もちろん全部ではないが)。同書では琵琶法師などについても紹介されており、音楽と社会問題が密接に絡み合っている状況を社会的事実からわかりやすく読み解いていた。そしてそこに芸術も横たわっている。こうした民俗音楽へのアプローチの仕方は「音楽とは何か?」という堂々巡りの問いをより深いところで貫いていて、昨今の音楽雑誌より深いものを感じた。

もう一つは、津軽三味線のルーツが、目が不自由な乞食芸人が編み出した術であったこと。そしてそれがアドリブ演奏という手法で、ジャズの手法と似ており、しかも発祥の時期が重なること。遠く離れたところで、似たような境遇の人達がフリースタイルの音楽を確立していったなんてちょっと素敵☆

「フリースタイル」とか「アドリブ」という言葉は、「適当」とか「何でもあり」という簡単な言葉に集約されるものではない。仁太坊の「人真似でない、汝の三味線を弾け」という、芸の道を追い求める言葉の中に集約されるものなのだ。世阿弥の『風姿花伝』とか宮本武蔵の『五輪書』なんかもちょっと頭をよぎる。日本人が日本人から学ばなければいけないのは、きっとこの辺りなのかも。

Posted by Syun Osawa at 22:39