bemod

2005年09月03日

無言館「遺された絵画」展

2005年7月30日−8月28日/京都文化博物館

無言館「遺された絵画」展最近、戦争画というものにやたらと引かれている。その理由は藤田嗣治『アッツ島玉砕』を知ってしまったから。『アッツ島玉砕』には三浦建太郎も真っ青の壮絶な死闘が描かれており、僕は単純な動機でこの絵の持つ力に圧倒されてしまった。

戦争画は政治的・思想的な側面が強く、当時は戦意高揚のためのプロパガンダとして使用されていた。そのため美術史の中でタブー視される側面もあるようだ。しかし、そんなネガティブな作品群に対し、不謹慎ながら戦争を知らない子供の子供たる僕は、西南戦争を眺めるような目つきで戦争画と向き合おうとしている。それこそ、思想や戦争といった生々しいフィルターを外して。

で、無言館「遺された絵画」展。

こちらは戦争画ではない。どれも画学生が戦死する前に描いていた作品で、画家・野見山暁治さんの「絵として評価された絵ではないが、絵らしい絵」という言葉がピタリと当てはまるような作品だった。一番心に残ったのは池澤賢さんの「溶鉱炉」という作品。彼はフィリピン・ルソン島で戦傷死した(享年31歳)。

例えば、前田美千雄(東京美術学校卒)さんについて。彼は軍事郵便で妻宛に絵手紙を送っており、その数は700通にも及ぶ。興味深いのは、そこに描かれている絵の多くが戦争の惨状ではなく、フィリピンの美しい自然や町の様子が描かれていることだ。

みんな絵を描くのが好きなのだ。ある画学生は派遣された南国の美しさを前に、戦場であるにもかかわらず「画材を送ってほしいくらい」と軍事郵便に書いていた。当時、美術学校に行くなんてのは非国民以外の何ものでもないはずで、それでも彼らは絵を描きたい一心で画学生となったのだ。戦地から送られてくる軍事郵便を読むと、その思いが滲み出ており胸が詰まる。

僕は先ほど「フィルターを外して」と書いた。絵とはそもそも戦争の道具ではないし、そんなうがった思いで見ては本当の絵は見えてこないと思ったからだ。しかし、今回の絵画展でその思いは揺らいだ。戦地に行く数時間前、家の庭で妹をモデルにして「あと少し、あと少し」とせがんで描かれた絵を、僕はフィルターを外して見ることができるだろうか? そしてそれが本当に「絵を見る」という事なのだろうか?

「死」というフィルターは強烈である。「戦争」というフィルターもまた強烈である。僕はこうしたフィルターを一枚一枚取り外すことで、絵に向き合えるのだと思った。しかし戦没画学生の絵と向き合ったとき、その考え方に疑問が湧いた。

もしも僕の目にかけられたフィルターをすべて外したとき、そこに映っているものは「絵」だろうか? その疑問に対する答えは今もない。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:21