bemod

2005年09月14日

JAWACON 2005 その3

前回のつづき

Hairy Baby & Beauty Poo Synopsis

by 青池良輔

僕の座った席が会場の最後列ということもあり、字幕が全部読めなかった。残念。青池さんのブログの方で内容を補完。僕の好きなアクション・サスペンス物らしい。絵と音楽とちょっとした英語からの連想になるが、カット割りから台詞回しまで、どこか米産の匂いを感じた。声はカナダの劇団の人らしい。

物語の中盤までは漠然と『レザボア・ドッグス』だったり、ミラ・ジョボビッチだったりが頭の中に浮かんでは消えしていたのだが、子供が化け物としてキャラ立ちするラストの展開を見て、渡辺信一郎や北久保弘之なんかの日本のハードボイルドアニメの本流に真っ向勝負してるなぁと思って、ちょっと感慨を覚えた。

ただし、今回の青池さんの作品は「動き」を完全に捨てている。この点ついては後に述べるが、その捨て方が潔く、ウェブアニメというものを考える上で逆説的ではあるがとても示唆的な作品になっていると感じた。漫画か? それとも、アニメーションか? という話。

吉野の姫

by 丸山薫

とにかく絵に説得力がある。FLASHで絵を描くとセルアニメのような絵になってしまうので、丸山さんのような柔らかさと暖かさを感じさせる絵を描くのは難しい。こういう絵でアニメーションをやる人はつくづく奇特な人だと思うが(面倒臭いし…)、『老人と海』を作ったアレクサンドル・ペドロフに代表されるように、この地道な制作スタイルがセルアニメや3Dアニメでは感じることの出来ない感動を生むことは間違いない。

短編のアニメ作品を見るときに僕が気にする点が一つある。それは「この人はどういう方向を見て創作をしているのか?」ということ。もちろんそれは本人でないとわからないことだけど、丸山さんの向っている先に待っているものは、僕が追いかけているものともどこかで繋がっている気がする。そして、そこに待っているものは作画枚数だけが知っている。

情けない話だが、こちらの作品も青池さんの作品同様に内容を完全に理解できておらず、丸山さん自身に話の筋を教えてもらうという失態を演じてしまった。

Mari Mari

by 森野あるじ

何でも体調不良の中で強行的に作られた作品らしい。本人も満足していないと、会場で司会のルンパロさんが話していた。今回の作品はミュージッククリップ。森野さんの場合は、モーショントゥイーンを使った立体表現(2Dを3D的に動かす表現)が確立しているので、技法の方はとても安定感がある。その分、物語の方に感情移入できるので、ウェブアニメを「物語を消費するコンテンツ」と純粋に捉えたとき、萌え系の世界観も手伝って最もツボを押さえた作品であることは言うまでもない。

森野さんは、まんたんブロードというフリーペーパーで漫画の連載をされており、作品の方向性はアニメで作る物語と漫画で作る物語が相互依存している状況がはっきりと見て取れる。これは青池さんの作品にも実は言えることなのだが、このあたりの問題も含め次回からダラダラと「ウェブアニメを構成するもの」について考えてみたい。

Posted by Syun Osawa at 02:17