bemod

2005年10月07日

戦争と美術

司修/岩波書店

戦争と美術著者の苦悩が凄い。なぜヨーロッパ帰りの画家達が戦争画に関わったのか? パリで新しい芸術運動を体感したあなた達がなぜ? 画家=前衛=アカデミズム的なものを信じていそうな著者の揺れる思いが、膨大な引用をもとに綴られている。

戦争画を描いた画家は海外帰りの洋画家が多かった。司さんはその点に「なぜ?」と食いついているのだが、僕は洋画家たちの気持ちはわかる気がする。なぜなら海外に行くと嫌でも日本人であることを意識させられるからだ。その意識を転換して日本人ではないような振る舞いをし、日本=悪い、欧米=良いと思ったところで、自分が日本人であることはどこまでいっても変わるところがない。

また、横浜の 海外移住資料館 なんかに行くと、当時の日本人移民が実際にアメリカなどでどういう扱いを受けていたかがよくわかる。こういった内面と外面の両方の抑圧に対して、日本人として明確な意思表示をしたい。そうした思いが、当時の政府方針と重なり合って、戦争画は大きな波になったとは考えられないだろうか。

本書は、戦前生まれの人や画家が描いた戦争画関連の書籍の中では後発。そんなこともあって、新人画会のことや、松本竣介、洲之内透さんの松本竣介批判など、いろいろな要素が入っている。そしてこれらのすべてが司さんの苦悩をよくあらわしている。戦時下、画家はどうあるべきだったかということについて…。

僕は思うんだけど、画を描くっていうのは、良くも悪くも単純な行為なんじゃないかな? 司さんは、戦時下にあって、戦争とは無関係の作品を集めて行なわれた新人画会を反戦や抵抗の振る舞いと見ている。だけどこの展覧会に参加した井上長三郎さんは、巻末のインタビューで反戦とかの意味はなく、描きたいものを描いたと語っている。僕もそれだけだと思う。そして、それだけの理由で戦争画も描かれたと思う。

イラクに自衛隊が行っている今はどうだろう?

賛成も反対も含め、何かを表明する美術は少ない。どちらの態度にも関心がないのだ。司さんが持ち上げた新人画会と重ねてみてはどうか。この状況は司さんの望んだものだろうか。みんなが描きたいものを描く。これは実現できてる。だが、どこか虚しい。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 22:37