bemod

2005年10月21日

イメージのなかの戦争 ― 日清・日露から冷戦まで

丹尾安典、河田明久/岩波書店

イメージのなかの戦争戦後生まれが書いた戦争画の本って事でかなり期待したんだけど…。

後発の後発てこともあって参考資料の数も引用の数も膨大。データ収集家としては凄いかもしらんが、何が言いたいのかよくわからん。著者プロフィールを見ると河田さんなどは戦争画関連の文章をたくさん書いてるみたい。うーむ。この人はどういう理由で「戦争画」をテーマにしてるんだろう? 安易に予想するに、語りやすいから(少なくとも哲学者とか社会学者的な側面からは)なんだろうけど、でも僕には絵の話をしてるとはちょっと思えなかったなぁ。

例えば藤田嗣治さんの『アッツ島玉砕』と『ソロモン海戦に於ける米兵の末路』という2つの作品について、「制作に要した日数はしめてたったの29日だった」とあえて書いているところで、絵を描く人ではないんだなという事がわかる。

本書の多くの文章は引用を繋ぎ合わせて組み立ててられているので、著者の意見をなかなか目にすることは無い。そんなちょっと読みにくいサンプリングの文章の途中で必ず引っかかるところがあって、それが著者の意見だったりする。以下、適当に引用。

歴史画風の戦争画が本物の歴史画としての戦争画になるためには、明確な物語を主題に得る必要があったが、もはやこればかりは画家個々人の手に負える問題ではなかった。なぜなら、欠けていたのは物語ではなく物語る主体、すなわち、しかと認識できる戦争の意義であって、それゆえ歴史画としての“本当の戦争画”を実現するには主題である戦争そのものの性質が変わらねばならなかったからである。

「明確な物語」とかさ。(´・ω・`)ショボーン…ですよ。

歴史画といえども絵にすぎず、絵である以上は戦争画もまた画家の技量が織りなす絵そらごとである、と一歩踏み込んでひらき直るためには、一見写実的と見える西欧古典絵画の非写実性、すなわち図式化を見抜けるだけのキャリアと資質が必要となる。藤田の制作態度を果たして写実と呼べるかと問われれば、答えはイエスでありノーでもある。

どっち−!?

戦争美術の功も罪も、おそらくその最も深い部分は、彼らの個々人のいわば“絵かきでしかあり得ないことの特権”に属している。その“特権”の底の底にある、政治の力をもってしては許すことも批判することもできない根本的な部分は、だから、戦争美術などふつうに考えられているほど特殊な美術ではない、と考えた瞬間に立ちあらわれる種類の何ものかなのだろう。

回りくどいなぁ。

ようするに、当時の戦争画は国民にはっきりと戦争の主題が明確に伝わるような写実的な作品で、しかもそこに聖なる戦いとしての物語性を含んだ作品が多かった。そうした具象の作品が積極的に描かれた視線はあくまで大衆に向けられていたし、軍部もそれを望んでいたと。だったら、それは講談社絵本や漫画と同じラインで語ればいいのに、それを無理やり「芸術」と位置づけて今もなお語ろうとしてしまうところに迷走があるんではないのかなと思ってしまう。

少なくとも「紙芝居」とまで揶揄するなら、そこで捨て置けばいいだけの話じゃないのかな? むしろ僕は、様々な絵画技法で描いてきた画家たちが、揃って絵解きの写実的な絵を描いた結果の方に注目してほしかった。そういう事って今後もうないと思うし。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 22:43