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2005年12月20日

常設展「1920年代の東京/1960年代以降の美術」

2005年9月16日−12月18日/東京都現代美術館

常設展「1920年代の東京/1960年代以降の美術」正方形の会場の壁面それぞれに貼られたデカい4枚の絵。サム・フランシス《無題》は最強。抽象画ってほとんど見ないこともあり「ジャクソン・ポラック展」以来の新鮮な衝撃を受けてしまった。ノイズがかった鮮やかな色の線がダイナミックに走ってる。やっぱ絵はデカけりゃいいんだわ。

その部屋を抜けると、雰囲気が一転。1920年代の東京を描いた絵がずーっとつづく。前川千帆《ベビーゴルフ》という作品に描かれているゴルフは、今で言うパットパットゴルフ。あんな地味な遊びが1931年にはすでにあったとは。

さらに進むと、戦争画関連でファンになった清水登之さんの作品《カフェ》(1925年)と《水平のいるカフェ》(1926年)が飾ってあった。そしてその隣には国吉康生さんの作品があった。国吉さんは藤田嗣治さんが戦後アメリカに渡って展覧会を開催しようとしたとき、力づくで展覧会を阻止した人。彼は戦中、アメリカで作家活動を続けており日本の軍部には批判的だった。戦争画を描いた人と戦争画に反対した人が隣同士に並んでいる。そのように見られるべき意図があっての陳列かどうかは不明。僕はどちらの作品も好き。

そのほか、石垣栄太郎、東郷青児、岡本唐貴といった著名な近代画家の作品群が続いた後、東京都現代美術館の本尊ともいえる「現代美術」のルームへ。こうなると僕にはもうわからない。白いキャンバスとか、木の棒とか。1900年代初頭の抽象画のようなゴツゴツした感じもなく、洗練されすぎて僕の頭はエラーを起こす。高柳恵里さんの「しぼった雑巾」4種(…と大沢が勝手に命名)のような作品などは、僕の足りない頭は台所用品としてしか想像力を喚起してくれない。高尚な作品は高尚な人たちが楽しむもんで、階級社会に生きる僕は「下層階級だもの、わかった風に思って何になる? 下手に背伸びなんかしないで自分の身の丈に合った絵を楽しむがいいさ」とつぶやきながら美術館を後にした。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 23:42