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2005年12月22日

ギャラリーガイド 近代日本美術のあゆみ

市川政憲、古田亮ほか/東京国立近代美術館/図録

ギャラリーガイド 近代日本美術のあゆみこういうお手軽な図録がもっとあったらいいのに! フルカラー&A5変形判なので通勤時にも読めるし、何と言っても800円(安い!)。

明治からの日本の近代美術の流れを東京国立近代美術館所蔵の絵を中心に解説しているガイドブック。所蔵品が豪華なので紹介されている絵も有名なものばっか。本をサラリと眺めると、明治以降、日本の絵画が海外の新潮流の影響を受けていく様や、戦後に至っては現代のコンセプチュアルなアートの波に飲み込まれてゆっくりご臨終していく姿がハッキリ見えてくる。

解説文からしてそう。明治の絵は写実的な絵が多く、時代性が反映しているので解説文も明瞭。それが戦後、絵も抽象的なら解説文も抽象的になってくる。見ている僕はコンセプトを見ているのか、絵を見ているのかわからなくなる。そこは「感じろ」なのかもしれないが、そこの域には達したくない(達せられない)。

ちょっとだけ引用。まずは1970年代以降。

反復するパターン純然たる幾何学的な敬称のなかに、あらためてイメージや意味の起源がもとめられ、そこに、近くや連想や記憶といった私達の内なる過程への糸口が見出されるなかで、絵画空間が蘇生し、彫刻が再起動し始めたのです。

で、1980年代以後。

「ネオ・ジオ(新しい幾何学的抽象)」「新しいコンセプチュアリズム」等の新潮流が、マスコミの後押しを受けて次々に並立した80年代半ばには、折からのポスト・モダン論議とも連動しながら、“新しさの終焉”や“独創性の消滅”が時代の合言葉となり、新様式の創出や展開ではなく、その消費や再使用といった言い回しが好まれるようにすらなったのです。――歴史が1本の道筋でなければならない理由はとりあえずありませんが、とはいえ、歴史のパースペクティブが失われると、同時代美術(contemporary art)を支える同時代性の観念そのもの、つまり物の作り手をも受け手をも含めて、自分たちが一時代の価値観なり問題意識を大なり小なり共有しているという意識が後退し、ひいては展覧会や美術館といった共通の土俵の存立や、その有効性が危うくなってくることは確かでしょう。

ガイドブックの最後の方で、こう書かれているわけでからw

そんな切ない話はさておき、アジアのキュビズム展 を見に行った時に立ち寄った常設展の中では、竹内栖鳳《飼われたる猿と兎》は最高だった。竹内栖鳳つったら京都を中心に活躍した日本画家。京都にいたときは全然興味が無かったのに、最近俄然興味ある。下村観山とか菱田春草とか横山大観とかの日本画もドカーンとあるんだけど、竹内栖鳳の絵だけは僕の中でしっくりきてしまう。これあ同郷人に通じる何かなのだろうか。だとしたらちょっと嬉しいぞ。

Posted by Syun Osawa at 23:14