bemod

2006年01月12日

ペイル・コクーン

原作・監督・制作:吉浦康裕/2006年/日本/アニメ

ペイル・コクーン「新海誠の次は吉浦康裕だ!」なんて流れが出来てしまいそうな作品。そして『ほしのこえ』以上にハードな印象を受ける。いやホントに。それは『キクマナ』のプロットを読めばわかると思う。

鉄路の彼方 』の時にも書いたとおり、この作品でも小さな世界を丁寧に組み上げている。SF耐性のない僕が言うのもなんだけど、この展開は絶対に正しい。よーするに「自分と自分」か「自分とあなた」の小さな物語。そういうのを「セカイ系」なんて一括りにする人もいるが、それを正確に理解できてない僕にはそうだとも、そうでないとも言えない。ラストの台詞はなかなか素敵。僕は彼のアニメの最後の持って行き所がけっこう好き。ただ、なぜ彼らのいる方の場所に雲があるのか、ちょっとわからなかった。シャトルの煙? SF耐性も読解力もない僕には無理なので考察はしないが、自分達の生きている場所への思いが実は『ほしのこえ』とは対極で、セカイ系と言っておきながら実はそうじゃなかったりする(適当)。

今回の作品は吉浦作品の中だと『キクマナ』より明快で、『水のコトバ』よりも深い。画面的には新海さんの『ほしのこえ』と同様、動画の部分を3Dの背景やらに割り当てつつ、1、2人単位の人物の動画を効果的に使用するという方法の作品(こういうのを何と言えばよいか…)としてはある意味で極点とも言える。逆にこの最小パートで構成される物語世界が個人制作アニメの前にそびえ立つ大きな壁のようにも映る。

その壁は何か? 技術か? それともストーリーか? 世界観? 人間の描き出し方…うーん。本来ならば「個人制作アニメ」の壁ではないのだけれど、いつの間にか個人制作アニメの一群というのはこういう人達(僕の中では青木雄二とは逆の人。私の個人主義)で成立しているように見えてきて、彼らが築き上げた世界の壁が個人制作アニメの壁に見えてきた(妄想です)。

だって目の前にあんな可愛い娘がいるのにさ。僕があの状況ならきっとあの娘の髪の匂いとコートの中の膨らみのことしか考えないと思う。2人もいるのに。僕ならどうしたって絶望的には生きられない。たとえ世界がどんな状況にあったって。

あと、この作品には劇中歌がPVの形で登場する。エイベックスが後ろについてることから新手のメディアミックス戦略かな? メディアミックスの間の手がこんな所にまで! とか思ったがどうなんでしょ。

Posted by Syun Osawa at 00:26